尊臣

なんじゃ、英雄って?

すぐにわかるよ

 尊臣の疑問に光が適当に答えた。大翔は昨日の英雄、という存在には覚えがある。ただ昨日会った少女はせいぜい中学生。小学生でも成長が早い子ならあのくらいでもおかしくないと思っていたのだが。

 狭いせいで一つしかない情報部室の扉が開く。三人の視線はその先に集中する。男三人の好奇の目を受けてもなお、仁王立ちして動かない少女が腕組みをして立っていた。

どうも、昨夜ぶりですね、仁坊先輩

大翔

先輩!?

 大翔は驚いて、あいさつした光の顔を見た。表情からはその真意は読み取れないが、どうもブラックジョークという感じでもない。

下足箱に文とはずいぶんと古風なことをする。して要件は何だ? 恋文にしては味気ないし、果たし状にしては淡白だ

 息が詰まるような話し方。そういえば夢の中でもこんな調子だった。歳が上だというのなら少しは納得できるかも、と大翔は考えて、やはり花盛りの女子高生にはあまりにも不釣合いだと思い直した。

 答えが返ってこないことに苛立ちを覚えたのか、仁坊と呼ばれた少女はゆっくりと情報部室の中に歩を進めてくる。

一応感謝状のつもりだったんだけどなぁ

 僕は文章を書くのが苦手でね、と光は涼しい顔で降参ですというように両手を挙げた。

大翔

なに感想を漏らしてるんですか。何か理解してもらえてないですけど?

どうした? それで私と戦うのは貴様か?

 仁坊は三人の顔を順番に見た後、当然のように尊臣に視線を合わせた。この中で誰が一番強いかと聞かれれば、間違いなく尊臣だ。それは見比べるだけで簡単にわかる。

尊臣

おいおい、助けてもらった割りにはずいぶん怒らせおったな

大翔

なんで怒ってるのかこっちにはわからねぇよ

僕の顔を見ても僕は知らないよ

 大翔と尊臣の顔が向いたのを見て、光は小さな声で答える。下足箱に入れたという光の手紙にはいったいどんなことが書いてあったというのか。読んでみたいようなそうではないような。

貴様ら! 私に向かって話をせんか!

 仁坊が叫ぶ。狭い上に物が少ない部室ではそれだけでそこらじゅうに声が反射してうるさいといったらない。

大翔

あ、えっと、昨日

昨日? 何だ?

 大翔が状況を説明しようとするが、鋭く刺さった視線に声が止まる。座っている大翔と比べてもそれほど変わらない目線だというのに、対峙している大翔は尊臣と向かい合うよりもよっぽど恐怖を感じていた。

 彼女の目は尊臣よりもむしろカベサーダの方に近い。狩人が獲物を見る眼だ、と大翔は背筋を凍らせる。

まぁあまり怒らないでくださいよ、乃愛先輩

大翔

え?

 恐怖に口が固まった大翔の隣で、そろそろ頃合いか、と光が口を開いた。

 今なんて言った? 乃愛? 誰が? この部室にいるのは現在四人。そのうち三人が男だ。ついでにいえば偽名でも使っていない限りは男三人の名前は既に割れている。推理してやる必要もない。

 大翔が光から横に顔を曲げると、その方向には入ってきたときと同じ勇ましい仁王立ちのまま、顔を真っ赤に染め上げた仁坊が固まっていた。その姿は不動明王に似たり。

乃愛

貴様! 何故、その名前を知っている!

少し調べればわかりますよ。情報というのは生まれ落ちたときから世界を巡る旅人ですから

尊臣

何言うとるんじゃ、こいつ

 光の言葉に尊臣が溜息をつく。今朝から準備していました、と言われても納得できそうな決め台詞は、やはり現実世界には少し大仰で聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。昨夜は乃愛から言われた言葉にあんなに淡白な返しをしたというのに、意趣返しのつもりだったのだろうか。

乃愛

バカな! 教師にも、その、こちらからの要請で学生名簿への記載もやめてもらっているはずだ。後輩が知る術など

 要請といいつつ脅したな、と大翔は真っ赤になった乃愛の焦る顔を見て理解する。

 この状況にあって一人だけノリがいいというか、光の大仰な表現についていっている。この人もやっていることのスケールが大翔とは一回り違うらしい。

 見た目からして畏怖の対象の尊臣、そして教師を脅す乃愛、そしてそれを手玉にとるようにからかう光に囲まれて、大翔はせいぜい少し足が速いだけの一般生徒だ。

 できることなら今すぐここから逃れたいと思うが、唯一の入り口は乃愛が塞いでいて通れそうもない。

乃愛

私の秘密を知られたからには、殺すしかっ

 両手を握り、乃愛は眼前に拳を掲げた。拳闘の構え。なるほど、これが昨日の膝蹴りの正体か、と大翔は納得した。たとえテレビで何度か見ていたとしても、格闘技に覚えのない大翔や光がいざ何かと戦うとなればまずやることは武器を手に入れることだ。それを彼女はしなかった。必要なかったのだ。

 武とは自らの四肢に武器を宿すこと。そんな言葉を聞いたのはどこでだったか。

困りますね。僕を殺すとこのパソコンからネットの海に先輩の本名が放流されてしまうのですが

大翔

的確に脅してるよ、この人

 感心するのは目の前の乃愛に気が引けて、大翔は呆れるように息をついた。

 カベサーダと対峙するには少し頼りないと思っていたが、対人間にはこれほど強力な力があったとは。人は見かけによらない、というのは多少言いすぎかもしれないが。

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