鍋は肉を多めにしろ

町に帰るという吾助を見送りに、与兵と鶴太郎は戸口の外まで来ていました。

与兵

腹減ったら食えよ。

与兵は吾助に竹の皮に包んだおにぎりを渡しました。

吾助

こいつの方が、
嫁じゃね?

嫁だと言い張っている鶴太郎は、嫁らしいことをしていません。

与兵

なんだ?

吾助がじっと見ていると、与兵が言いました。

吾助

なんでもない。

与兵を見て、吾助は言いました。

鶴太郎

吾助、早く帰ってきてね……。

鶴太郎は与兵の後ろに隠れ、顔だけ出して、淋しそうに言いました。

吾助

…………。

吾助は鶴太郎を見ます。

吾助

嫁と言うより……。

鶴太郎

なに?

上目使いで見上げるのが、とても愛らしいです。

吾助

いや……。

吾助はポンポンと鶴太郎の頭をなでました。

吾助

あんまり無理すんなよ。

鶴太郎

うん!

ニコニコと鶴太郎は言いました。
吾助は名残惜しそうに鶴太郎から手を離すと、与兵を見て、

吾助

握り飯、
ありがとな。

と言いました。
そして、二人に背を向けると、雪道を歩き出しました。

鶴太郎

吾助が帰ってくるの、
待ってるからね。

その後ろ姿に、鶴太郎は言いました。

吾助

……。

吾助は振り返らず、手だけ振って山を下りていきました。

鶴太郎

……はぁ。

小さくなる吾助の姿を見送り、鶴太郎は淋しそうにため息をつきました。

与兵

…………。

与兵にも覚えがあります。

小さかった頃、遊びに来た吾助が帰るのを見送った時、とても淋しくなりました。

次の日に会えると思っても淋しくて、吾助に会える日を、心待ちにしていました。

ただ……

与兵

え? 何? こいつ、どうして吾助をそんな心待ちにしてるわけ? え? またなの? また吾助にとられるの?

と、ちょっとだけ思ってしまいました。

与兵

彼女がいなくなっても、吾助は一緒にいてくれてたんだよな……。

与兵の彼女を盗った後でも、吾助はいつもと変わらない笑みを浮かべ、与兵の側にいてくれました。
『もしかして』と思うこともあったのですが、あまりにも吾助が平然としていたので、『まあ、いいか』と思いました。

『吾助がいてくれるからいいや』とさえ思っていました。

最後の彼女の明美の時は、違っていました。目の前であからさまに連れて行ってしまいました。
だから、与兵は吾助と会っていませんでした。

でも、それは与兵を守るためでした。

与兵

やっぱり吾助は
吾助だった。

変わらない友情を、改めて感じていました。

鶴太郎

与兵?

鶴太郎が与兵を見上げていました。

与兵

どうした?

鶴太郎

与兵、
なんか淋しそう。

与兵

お前だって、吾助がいなくなって、淋しそうな顔してるぞ。

鶴太郎

与兵も吾助がいなくなって
淋しいの?

与兵

まあな。

鶴太郎

ぷぅ

鶴太郎が怒ったような顔をします。

与兵

なんだ?

鶴太郎

与兵はボクのなんだからね。他の人でそういう顔、しないで……。

与兵

………………。


与兵はじっと怒った顔の鶴太郎を見ました。

与兵

ば~か

鶴太郎

ぷぅ

与兵

お前が俺のだって、
言ってんだろ。

与兵はそう言って、家の中に入りました。

鶴太郎

うんっ

鶴太郎は嬉しそうに与兵の後に家に入りました。

鶴太郎はニコニコして与兵の後をついて行き、家に入ったところで

鶴太郎

与兵、大好き。


と、後ろから抱きつきました。

与兵

あ?

勢いよく抱きついてきた上に、全体重がかかっていました。

鶴太郎は、見かけの割に、重いです。
与兵は床の上に倒されました。

与兵

イテ……。

振り返ると、お腹あたりに抱きついていた鶴太郎の頭部が見えます。
それが、じわ、じわっと上にあがってきます。

与兵

妖怪……?


そう思えてしまいました。

与兵

喰われるのか?
俺……。

そんなことを思っていると、

鶴太郎

与兵~


と、愛らしい顔で鶴太郎が言いました。

与兵

物の怪みたいに可愛い……。

と、与兵は思いました。

絡新婦(じょろうぐも)という妖怪は、とても美しい姿をしているそうです。
交尾している雄でもなんでも食べてしまう女郎蜘蛛から、そういう妖が考えられたとか。

与兵

糸とか出さないし……。

よくわからない言い訳をしながら、額にそっと口づけをしました。

糸を出さないから妖怪ではないというわけではありません。それ以外にもいろいろと妖怪はいるのに、与兵はそこから思考を止めてしまいました。

鶴太郎

ん……。

可愛いです。

与兵

………………。

与兵は体躰を起こし、ころんと仰向けになった鶴太郎の顔を見つめました。

鶴太郎

与兵……。

この世のものとは思えない、愛らしい微笑みを浮かべています。

与兵

……。

首についている飾り紐をほどき、そっと口づけを……、

吾助

与兵。

与兵

ん?


吾助の声でした。

与兵

!!

戸口に吾助が立っています。

吾助

はぁ……。

空耳ではありませんでした。

与兵

え?
なんでおまっ!!

吾助

忘れモンだよ。

吾助

アレ、持ってかねーと、ジジイ、「知らねえ」とか言いそうだし。

そう言うと囲炉裏部屋に上がり、例の納屋から出てきた武器の方に行くと物色を始めます。
吾助は柄の壊れた刀を見つけました。

「宗近」という銘が入った刀です。

吾助

なんか包むもんよこせ。

与兵

あ……ああ。

当たり前のように指図する吾助に、与兵は自然に反応して押入れにある風呂敷を取りに行きます。

与兵

これでいいか?

吾助

吾助はそんな返事をして受け取り、風呂敷で刀を包みます。

与兵

その……

与兵は吾助の後ろから、オロオロしながら見ています。

吾助

……。

吾助はニヤっとしますが、何も言いません。

包み終わると、緩んだ口元を引き締め、振り返ると、鶴太郎の前まで行き、膝を立てて座ります。

鶴太郎

鶴太郎はきょとんとした顔で吾助を見上げました。

与兵

あ……。

与兵が何か言おうとしていましたが、それを無視して鶴太郎のほどけたリボンに触れます。

鶴太郎

んっ

鶴太郎がピクっとしました。

与兵

あ……。

やられる……。

と、与兵は思ってしまいました。
吾助には山ほど前科があります。

けれど、吾助は鶴太郎の服を整え、ゆっくりと紐を結わきます。

鶴太郎

…………。

吾助

はた織り、行ってこい。

結び終わると、吾助は優しく言いました。

鶴太郎

んっ

綺麗にリボンを結わいてもらった鶴太郎はコクっとうなずき、パタパタと納屋に向かいます。


一度部屋を出たのですが、そっと戻ってきて、こそっと吾助を見ました。

鶴太郎

…………。

恥ずかしそうに頬を染め、吾助に笑顔を向けると納屋に行きました。

与兵

え? 何? 今の何?
俺の嫁、俺の嫁に……。

与兵は鶴太郎が納屋に行くのを、呆然として見ていました。

そして、吾助は刀を持ちやすく包み、肩から担ぐと与兵の横を通りました。

与兵

お前、何し……。

と、与兵が言いかけていると、

吾助

怪我したガキに
盛(さか)ってんじゃねーぞ。

と、与兵の耳元でささやくように言いました。

与兵

……。

与兵は先を言えなくなりました。
たまに、吾助は迫力があります。

与兵はコクンとうなずきました。
それを見て、吾助はクスっと笑みを浮かべました。

吾助

鍋作っとけよ。
肉、多めのヤツな。

吾助はぽつりとそう言って、家を出ていこうとします。

与兵

吾助!


与兵が大きな声で言いました。
吾助が立ち止って振り返ります。

与兵

あ………………。

吾助

あ?

与兵

そ……それなら肉、
買って来いよ。

聞き取れないくらい小さな声でした。

吾助

わかった。

吾助には聞こえたようです。
にやっと笑うと、出ていきました。

与兵

や……野菜も、
食うんだぞ。

吾助が出て行った後に、与兵は言いました。
聞こえなかったかもしれません。

でも、そう思っても、いつも、吾助には聞こえていました。

与兵

はぁ

吾助がいなくなると、与兵は糸が切れたように座り込みました。

与兵

あいつ、昔からああだし……。


小さい頃も、吾助はあんな感じでした。

与兵

メシ作んないと……


吾助に言われたので、与兵はご飯を作ることにしました。

与兵

……。

きっと、吾助はまたこの家に帰ってきます。だから、吾助が言ったように、『肉が多めの鍋』を作らなければなりません。

与兵

……その前に、掃除するか。


羽根がちらほらと落ちている床を見て、与兵は思いました。

与兵

なんか最近、よく羽根が落ちてんだよな。

とても綺麗な羽根ですが、与兵は無造作にホウキではき出しました。

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