大翔は転がった椅子を掴み、廊下を挟むように光と反対に陣取って椅子を振りかぶった。

 カベサーダは足取りこそ重いもののまっすぐに大翔たちの方へと歩いてくる。やけに静かでそれがあまりにも不気味だった。

まずは耳辺りを狙ってみるぞ

大翔

どこですか、それ?

とりあえず人間と同じ側頭部。聴覚で生活しているなら大きな音や衝撃に弱いはずさ

 少しずつ近付いてくるカベサーダに椅子を握る手に汗が滲む。こちらを認識しているのか、それとももう標的だった大翔たちを見失って、ただまっすぐ歩いているだけなのか。赤い瞳の見据える先は大きく突き出した額に隠れて遠くからでは判別できなかった。

 少しずつ近付いてきたカベサーダの姿に合わせて、光が首で大翔に合図を送る。

 何度目かの相槌の後、光がカベサーダの方へと首を振るのを見て、大翔は飛び出した。

 大翔と光、二人の一閃でカベサーダの頭部を挟撃。ぐらりと揺れた体は格闘技のクリーンヒットが入った瞬間を想起させた。

大翔

よし、効いた!

 そのまま手を休めることなく数度攻撃を加えるが、殴られているはずなのにカベサーダは次第に体勢を取り戻していく。

ダメか!

 効果が見えたのは最初の一撃だけ。それ以降はまるで効いていなかった。慣れたり対応ができたりするのか、それともわかっていれば堪えられるだけの硬さがあるのかを判断する余裕はない。

しまった!

 またもカベサーダが光の腕を掴む。光の制服から何かが滲んでいることに大翔はようやく気がついた。自分もそうだったが、カベサーダに押し倒されれば人間の肌など簡単に傷がついてしまう。手負いから仕留めるのは動物の基本中の基本だ。

大翔

離せ、この野郎!

 押し倒された光にのしかかるカベサーダの背後から大翔は椅子を何度も振り下ろす。しかし、まるで意に介していないかのように赤い眼は光を見つめたままだった。

 このままじゃいけない。焦りが混乱を生み、混乱が体を固定する。

乃愛

どけ!

 勇ましい声に大翔ははっと我に返った。自信に満ちたその声色は尊臣が放つそれによく似ている。だが、はっきりと違ったのはその音の高さだった。

乃愛

せいっ!

 気合一閃。

 光の首筋を狙うカベサーダの触角を両手で掴み、顔を引き上げ、容赦なく膝を叩き込んだ。

 男二人が武器を持って抵抗できない怪物に素手の少女が飛びかかる。可憐、と呼ぶには少し勇猛すぎた。大翔たちと同じ制服姿でスカートを翻しながらやや背を曲げたカベサーダの顔に膝蹴りを撃ちこむ光景はまさしく大翔が挑戦し、果たせなかったヒーローの姿だった。

 この夢の世界で何度か経験したカベサーダとの戦い。その中で自分たちとは違う、攻めの戦いを大翔ははじめて見た。

大翔

助かった?

 あれほど殴りつけても倒れなかったカベサーダが逃げるように光を置いてフラフラと廊下を歩いていく。追いかけてトドメを刺そうと大翔が椅子を掲げると、カベサーダはその場に倒れこんだ。

乃愛

まったく、男二人がかりで情けない

大翔

あ、ありがとう

 助けに来たヒーローは幼い少女。中学生くらいだろうか、短髪に切り揃えられた髪に、鋭く大翔を射抜く目。ずいぶんと下から見上げられているのに、尊臣と同じくらいの威圧感を感じるのはなぜなのだろうか。

えっと、君は?

 眼鏡の位置を直しながら光が立ち上がる。

乃愛

名乗るような者ではない。あまり自分の身を粗末にするなよ

え? 何言っているんだ?

 光の問いかけは至極真っ当だ。大翔自身は言ってみたいセリフだと思わなくもないが、実際に言われてたとすれば、おそらく光と同じ疑問を返すだろう。ヒーローはあくまでも夢物語。現実と強く意識が結びついたこの世界では芝居じみたセリフは少しばかり気恥ずかしい。

乃愛

な、え、そんな反応をするな。定番というもの知らんのか、貴様!

 恥ずかしそうに顔を逸らした少女は耳まで赤く染まった顔を隠して廊下を走り去っていく。

大翔

なんだったんだ、今の?

さぁ、助かったんだから僕としては何だっていいさ

 走り去る少女の背を見送ると、大翔の視界がぐらつく。

大翔

やっと目覚めるのかよ、俺

 自由にならない自分の体を嘆きながら、大翔は渦を巻くようにねじれ始めた廊下から逃げるように目を閉じた。

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