目を閉じれば、すぐに思い出せる。
目を閉じれば、すぐに思い出せる。
彼女は、我が主は、我ら獣たちにとって……最高の心のよりどころだったんだ……
どうしても届けたい声があったんだ。
でも、どうして……言葉が届かないのだろう。
オレは彼女の言葉がわかるのに、
どうして……
彼女には言葉が届かないのだろう。
ミランダ・ステラ。
それは、気高く美しい魔女の名前。
美しい薔薇には棘がある、
良い香りのするものには毒がある。
彼女に在ったのは鋭い刃だろうか。
何者も寄せ付けない。
近づけば、切り裂かれる。
だけどそれは、
他者からのイメージにすぎない。
実際のミランダは
誰よりも正義感が強くて、
バカみたいなお人好しだ。
救いようのないバカだ。
傷つき倒れていた出来損ないを
助けるぐらいのお人好し。
あの日、オレは喧嘩を始めた獣たちの仲裁に入った。
あれじゃ、どちらかが死んでしまうだろう。気が付いたら身体が動いていた。
おまえたち、やめるんだ!
結果。
双方の攻撃を思いきり受けて傷を負って倒れた。
喧嘩していた獣たちは、怖くなったのか逃げてしまった。
それでいい。
もう些細なことで争わないでくれ。争い事は嫌いだ。ぼんやりとした意識の中でそう思う。
オレは幻獣王と呼ばれていた。
【王】なんて、ただのお飾りの称号に過ぎない。
先代の王は祖父だった。
祖父が亡くなる前に、父とその兄弟、そしてオレの兄たちが立て続けに流行り病に倒れた。
後継者が次々と王よりも先に亡くなった。親族たちは、これを【不幸】の呪いと見て後継者に名乗りをあげなかった。
そして、残されたのがオレだった。
オレは後継者争いに加わるはずもなかった、出来損ない。出来損ないで、まだ子供だった。
誰が教育をするのだ
私は嫌だぞ
親族たちが話をしているのをオレはただ聞いているだけの子供。
……
信頼出来る者もいなかった。
支援してくれる者もいなかった。
親兄弟を亡くした、孤独な王。
王の称号を得た日から、治癒力が高くなった。
城に戻ったら、薬草を探して治療しよう。
孤独な王は、治療も自分でやらなければならない。
笑えない。そんなのが王を名乗って良いのだろうか。
大丈夫?
声をかけられた。
最初は、誰に話しかけているのかわからなかった。
大丈夫?
また、彼女はオレの目の前にしゃがみこんでそう尋ねる。深緑の髪を肩で揺らしながら、顔を覗き込む。
(どうして?)
オレは言葉を発する。人間の言葉は理解できる、だけど会話として成立するわけではない。オレの言葉は幻獣の言葉。だから彼女は何を言われているのか分からない。
えっと……何って言ったのかな。でも、驚いているのよね
こくり、とオレは頷いた。
驚いた、もしかして人間の言葉は理解できるの?
こくり。
さすが、幻獣王ね。でも幻獣王であろうと、私の前ではただの獣にすぎないのよ。弱っている獣は放っておけないのよね、私
そう微笑んで傷に治癒魔法をかけてくれた。心地よい。こうして誰かに治療してもらったのは、初めてだった。
(ありがとう)
この感情はなんだろうか……
あたたかい……
私の名前はミランダ。魔法使いよ
ならば、その契約獣になれば共に在ることができる。
魔法使いが契約獣と称して魔獣や獣を従えていることは知っていた。
人間と契約をするなんて幻獣王としての自覚がないって先祖に怒られそうだ。だけど、周囲の目は幻獣王として見ていない。
ただの出来損ないとして見ている。
ならば、
それなら、もう幻獣王なんてやめてしまおう。
オレは彼女の側に居たいと強く願ったのだ。
ミランダには野望があった。
全ての獣と対話するという野望が。オレの存在は野望実現のための壁だった。幻獣の言葉を理解するために、幻獣と契約を交わしたい。そう、考えていたらしい。
オレは人間の言葉を理解できるが、人間はオレたちの言葉を理解していない。
彼らはオレが理解していないものとして話している。
残念ながら、良く聞こえる。
集まっていたのは三人の魔法使い。
幻獣王と契約するって本気か?
幻獣王って言っても、まだ子供よ
ミランダが涼しい顔で応じる。
子供、そう。幻獣としてはまだまだ子供だ。身体が大きいだけの子供。子供と知っていて契約をしようとするのだから、ミランダは変わり者だ。
先代と後継者の病死。それによって、幻獣王の試練を受けていない子が王の称号を得てしまったと聞きます
不幸なはなしだね
無謀すぎます。我らの師匠でさえ怪我をしたというのに
師匠と私は違うわ。こんなに懐いているのに、手放せない
よく手懐けたものだね
男が手を伸ばす。
男に触れられたくはない。
そう思った。
伸ばされた男の手は パシっ とミランダによって叩かれる。
触ったら噛まれるわよ
(主と共に、何処までも行きたい)
自分としては恥ずかしい言葉を口にした。
だけど、残念ながら伝わっていないようだ。
幻獣の言葉は難しいわね。クリス、この子が何で言ったか教えて
先ほどから頭上を飛んでいた猫こうもりのクリスがニヤニヤしながら降りて来る。
ミランダの契約獣で、幻獣王であるオレにも普通に接してくれる友人。通訳して貰うのは有難いが、さすがにあの恥ずかしい台詞は……
ああ……自分も一緒に居たいってさ
クリスの口から、大分カットして告げられた台詞だが恥ずかしい。
フフフ、私もよ。この背中が大好きよ。デューク
そう言って、背中に身を預ける。デュークという名はミランダがつけてくれた。クリスを介して、オレに名前がなかったことを知ったミランダがつけた。
ふいに空気が変わった。
彼の名前はデュークなのですか? まさか、ミランダ
男の顔色がみるみる青ざめる。
ええ、私が名付けたの
!!
おいおい、それってもう契約していたってことなのか
幻獣王相手に、無謀なことをしましたね。失敗すれば、ミランダが命を落としたかもしれないのに
あら? 名前を付けることでも契約出来たの?
そうですよ。契約の儀式には幾つか方法があります。通常は魔法陣を描いて契約を交わしますが、名を与えることで相手を縛る方法もあります。名前を奪い、新たな名前を与える方法です。失敗すれば死に至る可能性が高いですから…………
でも上手く行った。私、好きなのよ。この背中が
ミランダの背中がオレの身体に倒れ込む。少しだけ感じた彼女の重みに苦笑が零れる。
背中の重み、彼女がそこに在る証だった。