千乃

もう千乃くたくたぁ……

空子

千乃ちゃん、大丈夫ですか? ちょっと休憩しますか?


現在、ダンスが苦手な千乃の個人レッスン中。

それなら自分も一緒にと、空子が協力を買って出て、今は二人でトレーニングをしている。

千乃

うん、休憩するねー……ちょっと動けない……

空子

じゃあどれくらい休憩しましょうか? ひとまず10分くらい?

千乃

千乃は寝るので3時間ほど

空子

それ休憩じゃないですよ!?


真面目な空子とマイペースな千乃のコンビは見ていて微笑ましい。

空子はいつも振り回されて大変そうだけど。

――10分の休憩の後、またレッスン開始。

空子はぎゅっと拳を握って千乃を鼓舞する。

空子

千乃ちゃんは何でも器用なので、すぐに上手になりますよ! さあ頑張りましょう!

千乃

そろそろ休憩……する?

空子

はじめて五分もたってないですよ!?


のんびり屋の千乃を動かすのもなかなか大変だな……。

あの七瀬さんでも手を焼くことがあるみたいだし。困ったな。

プロデューサー

熱血コーチみたいな人がいれば引っ張っていってくれるかもしれないけど、うちにそんな人はいないしな……


すると――バタン!

ドアが勢いよく開いて、誰かが飛び込んできた。

八葉

さあ! 夕陽の向こうまで走りましょうーーーーーーっ!

……熱血な人がきた。

八葉

さあさあ! 何をぐずぐずしているんですか! 時間は待ってくれませんよーーーーーーっ!


千乃の個人レッスン現場へ突如現れたのは、八葉。

ただ、いつもの八葉とはわけが違う。

千乃

あれ……誰かな? ち、千乃ちょっと、こわいんだけど……


突然の闖入者に、千乃が空子の陰に隠れて震えた。

空子

ああ、あれは八葉ちゃんですよ。ちょっといつもとは違いますけど

千乃

違いすぎないかな……?


いわゆるランナーズハイというやつだ。

八葉はランニングが趣味だけど、走り過ぎてテンションが一定以上に上がると人格が変わることがある。

八葉

さあハッスルしましょうーーーーーーーっ!


ちょっと古い感じの熱血ガールに。

ごくたまにこの状態になるのを空子は知っているけど、そう言えば千乃は知らなかった。

空子

千乃ちゃん? 大丈夫ですよ? ちょっとテンションが変なだけで、ちゃんと八葉ちゃんですから

千乃

そうかなあ……?


そうしている間に、八葉はずんずんと床に座ったままの千乃に歩み寄る。

そして、空子と彼女に身を寄せる千乃の様子を見て、察したように頷いた。

八葉

ふむふむ! 了解です! ぐーたらな千乃さんに熱血指導すればいいんですね!

千乃

何も言ってないのに了解された……!


そうして、熱血モード八葉による、千乃の個人レッスンが始まった。










*    *    *









千乃

ねえ、千乃おうちに帰りたい。いいよね、帰るね?

空子

大丈夫ですよ、千乃ちゃん。わたしも一緒ですからね?


熱血コーチ八葉によって、さっそく外へ連れ出された千乃。

空子が懸命に励ますけど、不安は拭えないようだ。

空子

平気です。あれは八葉ちゃんですから。いきなり無茶は言いませんよ?

八葉

さあ! まずは体慣らしにジョギングです! 軽めに20km!!

千乃

軽くないよね?

空子

……

八葉

なので往復したら40kmになりますね! さあ行きましょう!

千乃

ころされる……?


千乃がここまで怯える姿は初めて見たかもしれない。

いつも飄々としている千乃が、熱血モード八葉の前では形なしだった。

普段弱気な八葉の性格がここまで変わると、確かに別人だ。

八葉

走ったらすべて解決します! 小さな悩みも人間関係も! あと、不景気とかもっ!


強引な思考は変わってないみたいだけど……。










*    *    *









――そしてジョギング開始。

八葉

さあ! ワン・ツー! ワン・ツー! いい感じですよーっ!

千乃

はぁ……はぁ……。寝たい……

空子

千乃ちゃん! 走りながら寝ちゃダメですよ!


千乃に付き合って、空子と僕も一緒にジョギングに参加する。

八葉

スリー・フォー! スリー・フォー! まだまだ行けますよーっ!

千乃

どうにかして逃げ出そう……!


珍しく目をきりっとさせて、決意をにじませる千乃。

できれば逃げる方じゃなく頑張る方に決意を見せてほしいけど、今回ばかりはやむをえない。

千乃

そうだ……


千乃の瞳がきらりと光る。何かを思いついたようだ。

千乃

八葉ちゃん? ファイブ・シックス! ファイブ・シックス!

八葉

わぁ千乃さん! やる気を出してくれたんですね! ファイブ・シックス! ファイブ・シックス!

千乃

セブン・エイト! セブン・エイト!

千乃

ナイン・テン! ナイン・テン!

千乃

さあ八葉ちゃんどうぞ?

八葉

い……じゅういち……? じゅ、じゅうに…………


千乃……なんて策士だ。

八葉が英語で言える数字に限界があることを読んで、わざとカウントアップして困惑を誘う作戦!

千乃

えへへ。どうしたのかな?

八葉

じゅー……さん……。ご…………


てきめんだ! もう八葉はまともに数字が数えられなくなってる!

混乱する頭につられ、八葉の走るペースも落ちてくる。

完全に千乃の作戦勝ちだ。

――と思われたが。

八葉

……数字なんて関係ないっ! 走ったらすべて解決しますっ!!

千乃

……え?

空子

ああっ! 八葉ちゃんの走るペースがさらに上がりましたっ!?


細かいことはすべて走れば解決するという超思考が、千乃の策略を上回った。

八葉

さあっ! 地平線の向こう側で夢が待っていますよーーーーーーっ!

千乃

空子さん……千乃の骨はひろってね……?


圧倒的な筋力が頭脳を凌駕した瞬間だった。

空子

千乃ちゃん!? 千乃ちゃーーーん!?


空子の叫びが響き渡る。

その後、千乃の体力が尽きるまで、八葉の熱血ジョギングは続いた。










*    *    *









翌日、全身筋肉痛になったという千乃はレッスンをお休みした。

さすがにハードワークすぎたらしい。

しかし、その次の日にレッスンを始めると、彼女は見違えていた。

千乃

あれ? なんだかうまくいくよ?

空子

わあ! 千乃ちゃんすごいです! この間うまくできなかったところができてます!

千乃

えっへへー……千乃、天才かな?


どうやら、八葉の熱血トレーニングのおかげで、基礎体力がついたらしい。

一回走っただけでこんなに変わるっていうのも、千乃らしくてすごいけど。

空子

八葉ちゃんのトレーニング、無駄じゃなかったですね!

千乃

そうだねー。八葉ちゃんにお礼を言わなきゃ


その矢先――バタン!

八葉

おはようございますっ! 未来がわたしたちを呼んでいます! さあ走りましょうっ!!

千乃

!!?

空子

!!?

千乃

ごめんなさい

空子

それはまた今度で……


二人は顔を真っ青にして、ぺこりと行儀よく頭を下げる。

いくらためになっても、熱血八葉のコーチは連続じゃつらかった。

羽田千乃:熱血トレーナー

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