あたし達は、何もできずにただ、アルベルトとエリザの消えていった方角を見ていた。

ヴァルター

……もう嫌だ

勇者が思いつめたような顔でつぶやいた。

ヴァルター

もう嫌だ! 勇者だ何だと言ったって、周りに不幸しか生み出してない!
あの村でも、妖精の丘でも、そして今度はエリザまで魔王に攫われてしまった!

そう言って彼は、がっくりとその場に両手をついてうずくまった。

アニカ

で、どうすんのさ?
周りに不幸を生み出さないために。あるいは生み出した不幸の償いのために

あたしは彼が、「エリザを救うために魔王を倒す」と言うのなら、邪魔はすまい、と思った。
あたしはあたしで、ヴァルターより先にエリザを救出する策を立てる。もし首尾よく救出出来たら、改めて彼に魔王討伐隊の中止をお願いすればいい。

あたしが人間と魔物の戦いを終わらせるために動いていたのは、それがエリザの目標だったからだ。だから今は魔王討伐隊を止める事よりも、エリザ救出が優先だ。エリザが無事であってこその、あたしたちの目標だ。

だけど勇者からは、残念ながらそんな力強い言葉は聞けなかった。

ヴァルター

俺は、今は何も考えたくない。
ましてや、行動したって他人を不幸にするだけだ。何も行動したくない

彼の言葉が終わる前に、頬を一発張りとばした。

アニカ

あんたねー。
そりゃ何もしなけりゃ誰も不幸にはしないでしょうよ。でもそれでいいの?

アニカ

あたしはエリザが攫われたことはもちろん、あの村での出来事だってヴァルターのせいだと思ってないし、妖精の丘の件ですらあんた一人を責める気はないよ。でも、あんたがそれらの事件に対して、何らかの責任があると感じるなら、何かの形で償ったらどうなの?

何か自分の行動が原因で他人が不幸になったとして、それについて「自分は悪いことをした。自分は最低の人間だ」と言って、謹慎するかのように引き籠ってしまうのは正しい行いだろうか?

確かに、そいつのせいで不幸になってしまった人からしたら、そいつの事は顔も見たくないし、そいつが今どんな事をしているとかいった風聞を聞くだけでも不快だろう。そういう被害者達に顔を見せない、風聞も聞かせないという点では、引き籠るのは役に立つかもしれない。だが、本当にそれが最良なんだろうか。

特に今、ヴァルターが直面している事態に限って言えば、ヴァルターは行動次第で彼が不幸にしてしまった人々の一部なりとも救えるかもしれない。
彼は勇者であり、そうであるからには時間はかかっても魔王を倒せる可能性を持っているのだ。魔王を倒せば、エリザを救い出す事ができる。

魔王を倒すという方法で救出したら、エリザはあまり喜ばないかもしれない。人間と魔物との和平の道が遠ざかってしまうからだ。とはいえ、やっぱり無理矢理魔都オズィアへ連れて行かれて、一人ぼっちで捕らわれているよりは良いだろう。

アニカ

さあ、自分で決めな。
あんたは何をするの? 過去の間違いを清算するために

あたし達は暗闇の森で、イーリス様に決断を迫られた。これから何をして生きていくのか。それは今まで通り魔物を倒して生きていくことができなくなったからなんだけど、同じようにヴァルターも、これから何をするかを決断する時が来たのだ。
彼は今までしてきたことを悔いて、それが原因でこの先に進めなくなっているのだから。

アニカ

ヴァルター。あんたは強い。
勇者になる素質を持っているし、勇者として魔王を倒す以外でも、いろんなことができる能力を持っている。
その能力の使い方を間違えたと思うなら、じゃあどんな正しい使い方があるのか、よく考えな

ヴァルター

……

もどかしいくらい長く、ヴァルターは逡巡していた。無理もない。ただでさえ、彼は悩んでいたのだ。妖精の丘で犯した、償いようのない程の罪を抱えて、なおも『勇者』であり続けることに。

そこに、降って湧いたエリザの誘拐。彼女のことは救いたいだろうけど、今の魔王討伐隊の実力では魔都オズィアにたどり着くことすらできない。
魔物たちと戦ってレベルを上げながら進軍するしかないが、それには何ヶ月も時間がかかる。魔王に囚われているエリザがその間、無事でいられる保証はない。

瞳を閉じて、微動だにせずに考えを巡らせていた彼は、おもむろに両目を開くと、こんなことを宣言した。

ヴァルター

……魔王腹心に対して、取引を持ちかける

アニカ

取引?
どゆこと?

ヴァルター

妖精王オベロンに、俺の身柄を引き渡す代わりに、エリザを解放してもらう。オベロンは眷属を皆殺しにした俺に復讐したいはずだ

ヴァルターのその言葉に、あたしは耳を疑った。

アニカ

あたしの聞き間違いよね?
勇者ヴァルター・フォン・ランベルト閣下ともあろうお方がそんな自暴自棄みたいな、自分をあえて粗末に扱って悦に入るようなことするわけないわよね!?

あえて厳しい単語を選んで、あたしはヴァルターを問い詰めた。厳しくしなきゃいけないんだ。こいつは多分ヤケになってるだけだ。本当に罪を償うために自分が何ができるかを真剣に考えるのがつらいから、とりあえず自分の身を全部捧げればいいんだろみたいな安易な解決方法に逃げてる。死ねばもう悩まなくていいし責任も取らなくていいくらいに考えている。本当は死ぬ覚悟なんてできてないくせに。

ヴァルター

自暴自棄とかそんなんじゃない。勇者としての行動を真剣に考えた結果だ

非難するあたしを、彼は真っ直ぐに見据えて反論した。

何のごまかしも混じっていない澄んだ瞳が、あたしの論難を跳ね返すかのように力を宿していた。

ヴァルター

俺が本当に『勇者』としての運命を背負っているのだったら、魔王の腹心に捕らえられても死なないはずだ。もし死んだとしたら、俺は勇者じゃなかったってだけの話だ

ヴァルターの言い分はこうである。エリザを救うためにはオズィアへ行かなければならないが、その道中には強力な魔物が多すぎてとてもたどり着けるものではない。

ではどうすればエリザを救い出せるか。ヴァルターが再び妖精の丘へ行き、周辺に住む妖精族を信仰している人々にこう告げれば良いのだ。『自分は妖精族虐殺犯の首魁である。罪を償いたいので身柄をオベロン公に引き渡してほしい』と。

妖精を信仰している村人たちはヴァルターを捕らえて痛めつけるはずだ。信仰の対象を殺されたのだから。だがこうも考えるはずだ。こいつを一番痛めつけたいのは殺された妖精たちの王、オベロンであると。

彼らはヴァルターをオベロンを祀る祭壇かなにかに捧げて、こう祈るはずだ。オベロン王よ、御身の尊いみどり児達を殺害した犯人を捕らえました。どうぞ王みずからの手で、思う存分いたぶり殺してくださいませ。

人々の信仰を魔力に変えて生きているオベロンは、彼らの祈りを察知することができる。眷属を殺した憎きヴァルターがそこにいると知れば、オベロンはすぐに駆けつけてくる。そうやって魔王腹心オベロン公に会うことができれば、エリザを解放してもらえないかと交渉する機会が生まれる。

アニカ

オベロンが交渉に応じると思う?
そのやり方だとヴァルターは抵抗も逃亡もできない状態でオベロンに会うことになる。オベロンにしてみれば、ヴァルターを捕らえて復讐するためにわざわざエリザを解放する理由がない

ヴァルター

もちろんそうだ。
……そこで、ちょっと一工夫する

ヴァルターはそこで一旦言葉を切って、巫術師のエーミールを呼んだ。

顔立ちにまだ幼さの残るエーミールは、急にヴァルターに呼ばれてすぐには状況を把握できないようだったが、やがておずおずとヴァルターの前へ進み出た。

ヴァルター

なあエーミール、俺に『誓約の火炎』をかけてくれないか

アニカ

ちょっ……、
あんたまさか!

『誓約の火炎』は、メレクの巫術師が使うことのできる魔術の一つだ。効果は、術をかけられた相手が誓約を守らなかった場合に、その身が炎につつまれて焼死するというもの。相手に間違いなく誓約を履行させるための魔術だ。

ヴァルター

オベロンを説得してエリザを解放させられなければ、俺は焼死する。みずからの手で眷属たちの仇を討ちたいオベロンにしてみれば、自分が手を下す前に勝手に俺が死んだら困るだろう

自分のことを心底恨んでいる魔王腹心に身柄を引き渡すというだけで、すでに命がけの行為だ。その上彼は、エリザを救えなければ自動的に自死する魔術を自分にかけておくことで、自分の命を交渉材料にしようとしているのだ。

アニカ

そこまでしなくても……。
考えようよ。そこまでの危険を冒さずにエリザを救う方法はあるはずだよ

ヴァルター

もう決めたんだ

ヴァルターは、――勇者は、きっぱりとそう言い放った。

ヴァルター

もう少し安全にエリザを救う方法はあるかもしれない。
でも、俺が殺した妖精たちやその王オベロン、妖精を信仰している人々に多少なりとも償いをする方法は、他にはないんだ

彼は勇者だから、自分の犯した過ちの責任を取らなければならない。
オベロンの手でじっくりと地獄の責め苦を味わわされた挙げ句に殺されるとしても、それが自分の罪の結果ならば受け入れなければならない。そう彼は考え、自分のなすべきことを決めたのだ。

散々『自分で決めろ』と言ってきたあたしが、彼の決めたことを否定する権利なんてない。

『誓約の火炎』をかけるように指示されたエーミールは、どうしたらいいか決められずに硬直してしまっていた。そりゃそうだ。魔王討伐隊に入って日が浅いとはいえ、一緒に旅をしてきた仲間に、焼死する魔法をかけるなんて躊躇しないわけがない。

ヴァルター

お前が魔術をかけてくれなくても、俺はオベロンにこの身を引き渡す。だったらエリザだけでも助けるために、誓約の火炎をかけた方がいいだろう。
さあ早く

そう言われてエーミールは、観念したように杖を掲げて詠唱を始め、ヴァルターに誓約の火炎の魔術をかけた。

ヴァルター

ありがとう。
……じゃあ、行ってくるよ

グレーテル

道中は魔物が出ますので、お供いたします

グレーテルとオットー、それにエーミールは、沈痛な面持ちでヴァルターの後を追った。
それがヴァルターの死出の旅になるとわかっていても、付き従うことしかできないことに、心を痛めているようだった。

さて、ヴァルターは自分で考えて自分の進む道を決めた。あたしはあたしで、なすべきことを考え、実行しなければならない。

一番理想的なのは、魔都オズィアへのりこんでエリザが監禁されている場所に忍び込み、助け出してしまうことだ。ヴァルターが妖精の丘に着く前にそれを完了できれば、「エリザはもう救い出したから誓約の火炎を解呪して」という手紙を『イーリスの封筒』を使ってエーミールに送れば、ヴァルターの命も救うことができる。

だがもちろん、魔王討伐隊でもたどり着けないオズィアにあたしが単身のりこむなど不可能だ。
そう、何か人智を超えた強力な存在の手助けでもない限りは。

そう考えたあたしは、ザンクトフロスの街の外にある、まばらに灌木の生えた草地にやってきていた。

エリザとあたしで四通ずつしか持っていない貴重なイーリスの封筒を二通も使って喚び出した、『人智を超えた強力な存在』たちに会うためである。

アニカ

二人とも魔力もスキルも卓越してるから、きっとすぐに来るよね。
おもてなしにお茶でも淹れておこうかな

そこらの枯れ枝を薪にして火をおこし、ハーブを煎じてお茶の用意を始める。あたしたち荒野の狩人が狩りの最中によく飲む、身体の疲労をやわらげるお茶だ。
いくら強力な存在とはいえ長距離を移動してもらうのだから疲労は蓄積するはず。このお茶で少しでも回復してくれればいいけど。

ちょうど火にかけた鍋が煮立って、もう少しでお茶の用意が整うという頃、ばさばさと大きな羽音を立てて、人間よりも大きな巨鳥が一羽、あたしのそばに降り立った。

オキュペテー

手紙一枚でハーピーの女王を呼びつけるとは、豪胆な人間もおったものだな

その巨鳥――暗闇の森に住むハーピーの女王オキュペテーは、あたしを見るなりため息をついた。

アニカ

え、えへへ。
まあどうぞお茶でも

オキュペテーにお茶をすすめたちょうどその時、あたしのすぐ足元の土が蠢いたかと思うと、大地に大きな穴があき、中からもう一人の待ち人が現れた。

ドワーフ

巫術師のお嬢ちゃんが一大事だというから来てやったが、年寄りを遠方へ呼びつけるでないわい

アニカ

ごめんなさいおじいさん。あたしの力だけではどうにもならないからつい……。
せめてお茶でも召し上がってください

ドワーフのおじいさんを見るなり、オキュペテーは泡をくって居ずまいを糾した。

オキュペテー

ゴ、ゴットハルト様!?
人間きさま下賤の分際でドワーフ族の大長老殿を呼び出すなど――

ドワーフ

よい。よいのじゃ。

あたしに噛みつかんばかりの表情で責めたてるオキュペテーを、ゴットハルトと呼ばれたおじいさんが制す。途方もないほど昔から生きていて、魔法の腕も尋常じゃないことはわかっていたけれど、あたしの思った以上にこのおじいさんは高位の魔族なのかもしれない。

ドワーフ

ときにオキュペテー殿。
そなたの主、伝令の女神殿はご壮健ですかな?

オキュペテー

はい。
私が幼少の頃、はじめてわが主にお会いした時から、寸分たがわぬ若々しさと美しさを保っております

オキュペテーが言うと、ゴットハルトは遠く虚空を見つめながら「ああ、目に浮かぶようです」とつぶやいた。彼もイーリスも遥かな昔から、人間の尺度で言えば神話の時代と呼べるころから生きているのだ。二人が旧知の仲であったとしても不思議ではない。

オキュペテー

いつか機会があれば、またゴットハルト殿とお会いしたい。
いつだったかわが主がその様におっしゃっておりました

ドワーフ

いや会わんほうがいい。
……会わんほうが、いいでしょう

そういって彼はこれ以上この話をすることを拒否するように目を閉じてうつむき、しばし感傷に浸った。
声をかけるタイミングをはかりかねて、ただ黙ってその様子を眺めていると、彼はしばらくしておもむろに口をひらいた。

ドワーフ

それで、用件は何なのかな?
巫術師の嬢ちゃんの命が危ないから助けてくれとしか聞いとらんのだが

アニカ

あ、あのですね。
実は……

あたしは今までのことをすべて二人に話した。
魔王の怒りの理由、そしてその怒りゆえにエリザを攫って行ったこと、そしてヴァルターの苦悩。

ヴァルターが誓約の火炎を使って、自分の身を賭けてエリザを救おうとしていることまで話した上で、あたしは彼らにお願いしたいことを言った。

アニカ

なんとかして極秘裏にオズィアの魔王城まで忍び込めれば、やつらの隙をついてエリザを救い出してみせる

魔王城の中にさえ侵入できれば、後は魔物どもに見つからないようにこっそりとエリザを見つけ出し、あとはチャンスを待てばいい。見つからないように気配を殺して隠れるのも、好機が来るまでどれだけでも根気よく待ち続けるのも狩人の得意技だ。荒野の狩人の誇りにかけてエリザを救出する。

エリザが魔王城の中の、檻かなにかに捕らわれているとして、その檻からエリザを出せればしめたもの。あとは二人で『地霊王の抜け穴』を使って逃げる事ができる。

『地霊王の抜け穴』は、以前癒しの泉の皇龍から逃げる時に使用した術法だ。あの時はレベル1の術法しか使えなかったため、皇龍のいる部屋からランダムで別の部屋へ移動するのがやっとだったが、今はレベル3まで使えるようになっている。これなら、今いる洞窟やダンジョン、建物などの外へ確実に出ることができる。

魔都オズィアは城塞都市であり、都市と魔王城の区別が曖昧だ。都市全体が巨大な一つの建物と言っていい。魔王城内で『地霊王の抜け穴」を使えば、オズィアの外に出られるはずだ。

ドワーフ

で、その後はどうするんじゃ?
オズィアから出られたところで、まだ強力な魔物がうじゃうじゃ生息しとる地域のど真ん中には違いなかろうて

アニカ

ふっふっふ……
ちゃーんと考えてあるんだなこれが

言いながらあたしは、懐から地図を取り出す。
ここより北の魔物の生息域について、伝承や歴代勇者が書いた記録をもとに出来うる限り地形や生息する魔物を書き込んだ地図だ。そこに、魔物に遭遇せずに行軍できそうなルートを書き込んである。

どうしても魔物のいる場所を避けられない場合は、動きが遅くてこちらが逃げれば追いかけてこられない魔物や、あたしとエリザのスキルがあれば気付かれずにやり過ごすことのできる魔物、あるいは人間と積極的に戦闘しようとしない魔物の生息域を通るようにしてある。

アニカ

以前から魔王との交渉のためにオズィアへ行く方法を検討してたから、それを逃走ルートに使えるわ。

このルートは魔王との交渉を実現するためにはどうしたらいいか、毎夜エリザと作戦会議を行っているなかで、検討に検討を重ねて考案されたものだった。

魔物と戦闘せずにオズィアまで行けたところで、魔王と交渉できるあてがなければ無意味なので、じゃあどうやって交渉の糸口を見つけようかというところで議論が行き詰まっていたのだが、逆にオズィアからの逃走であればこのルートがそのまま使える。

オキュペテー

ふむ……
それで我々に頼みというのは、お前をなんとかしてオズィアへ連れていき、魔王城に侵入させよと言うのだな?

アニカ

そうです。
厚かましいお願いなのはもちろん承知の上だけど、これしかエリザを助ける方法が思いつかなかったの。
お願い、力を貸してください

そう、厚かましいにも程がある。
ハーピーもドワーフも魔物であり、そうであるからには彼らは魔王の配下ということになる。

魔物にとって「王」だの「国」だのというものは、人間の場合に比べれば曖昧なものだそうだが、それでも魔王に仇なすような人間の行為を手助けするのは魔物として許されないことだろう。そんな許されない行為をお願いしているのだ。

でもエリザを助けられる可能性が少しでもあるとしたら、この方法しかないのだ。彼らに協力を拒まれたら、もう本当に打つ手がない。できるのはせいぜい、ヴァルターの試みが成功してエリザもヴァルターも生還する僅かな可能性に賭けることぐらいだ。

オキュペテーはしばらくあたしの目をじっと見つめていた。
あたしが生半可な思いで彼女たちを頼ったのではないかどうか、その思いの強さをあたしの双眸から読み取ろうとするようだった。

オキュペテー

――言っておくがな、お前たちの考えたこの逃走ルートとやらも決して容易にはいかないぞ。
経路上の魔物たちをそれぞれどんなスキルを使って煙に巻こうとしているかは想像がつくが、オズィア周辺に生息する強力な魔物連中には、お前たちのスキルは必ずしも通用しない

アニカ

そうだろうとは思ってる。
でも今こうしている間にもエリザは殺されるかもしれないの。
それを救い出せる可能性があるのなら、命を賭してでもあたしは行く

この道なら安全だなんて思ってない。命がけの逃避行になるだろう。それは自分だけでなく、エリザの命も危険に晒すということだ。

ひょっとしたら、エリザは捕まったままのほうが逆に安全な可能性すらある。アルベルトはエリザを殺そうとして連れ帰ったようには見えなかった。オズィアで大人しくしていれば命までは取られなかったところを、連れ帰ろうとしたせいであたしもろとも殺されてしまう、なんてこともありうるのだ。

それでもあたしは、彼女を救いに行きたいと思った。アルベルトが彼女を殺さない保証はなにもないのだから、手をこまねいて事態を静観しているよりは、自分にできることはしたいと思った。

オキュペテー

いいだろう。
その無鉄砲さに魅力を感じて、イーリス様はお前たちに使命を与えたのだ。
イーリス様に仕える我にはお前たちに協力する義務がある。

そう言ってオキュペテーは、あたしの頼みを承諾してくれた。なんでも、新しい魔王腹心の就任式に出席するためにどうせオズィアへ行くので、あたしも一緒に連れて行ってこっそり紛れ込ませることは可能だという。

ドワーフ

敵地への潜入なら、ちょうどいいものがある。
わしが持っていても使いみちがないから、お前にやろう

そう言ってゴットハルトは、新月の夜空で染め上げたような真っ黒なマントを私にくれた。
なんでもこれは、着用した者を他人の目から見えなくする魔法のマントなのだという。その効果は非常に強力で、相手が魔王だろうが誰だろうが、神でもない限りこのマントの効果を無効にすることはできないらしい。

アニカ

ありがとう。すごく助かる。
でも、それってもの凄く貴重なものなんでしょ? さすがに貰うのは気がひけるから、エリザを救出したら必ず返しに行くね

実際問題として、姿を消してしまえる魔道具があれば勝算はかなり上がる。魔王城の中ではあたしの狩人としての気配を殺すスキルで潜伏しようと考えていたが、だだっ広い荒野で狩りをするのと魔王城の厳重な警戒をかいくぐるのでは勝手が違いすぎる。姿を消せるマントはありがたい。

さらに言えば、エリザを奪還してオズィアを脱出した後にも、マントが有用な場面はいくらでもあるだろう。マントは一つしかないのでエリザとあたしを二人とも見えなくすることは難しいが、使い方を工夫すれば役に立つはずだ。

非常に便利なので貰えるならありがたいのだが、魔王の目さえ欺くほどの強力な魔道具をタダで貰うのはさすがにおそれ多い。『貰う』ではなく『借りる』に留めておかないと。

ドワーフ

わしが持っていても仕方がないと言っとるのに。
まあ良いわい。無事に帰ってこれたら、わしの家に報告に来てくれ

アニカ

うん!
絶対に返しに行くからね!

そんなわけで、オキュペテーとゴットハルトの二人の協力を得られたおかげで、魔都オズィアへと向かうことが出来るわけだが。

オキュペテー

ところで、イーリス様がお前らのために遣わしたドリアードはどこだ?
彼女も連れて行くであろう?

オキュペテーがそう言うと、どこからともなくヘカテーが姿を現した。

ヘカテー

ここにいるっす

アニカ

ヘカテーちゃん、ついて来るの?
向こうで魔物に見つかって、あたしに協力してることがバレたら殺されない?

あたしの心配に、彼女は平然と答える。

ヘカテー

逃げることに関して、ドリアードほど卓越した種族はいないっす。殺されたりしねーですよ

彼女が言うには、ドリアードが本気で身を隠したらどんな魔物でも見つけ出すのは無理だという。イーリス様からあたし達の補助を命じられている以上、オズィアへも当然ついていく、と彼女は言った。

アニカ

わかったわ。
そんじゃ、囚われの姫君を助けに行きますかー

オキュペテーはあたしに、首に手を回しておぶさるように指示した。あたしが従うと、オキュペテーはショールのようなものを巻いてあたしを隠した。

オキュペテー

では、行くぞ

言葉少なにそう言うと、彼女は大地を蹴って力強く羽ばたき、大空へと舞い上がった。

(悪魔の降臨編・完。 断章:エリザの視点へ続く)

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