急いで術法の準備を進める。
地面に魔法陣を描き、護符を配置し、祈りを込める。

途中まではさっきと全く同じ手順だ。一度やったばかりだから、ここまではむしろ前よりも早く完成させることができた。

だが、今回はさらにもう一つ、とっておきの高度な術法を仕掛けなければならない。

悠長にやっていると、アルベルトを引きつけてくれているエリザの魔力が尽きてしまうかもしれないし、それでなくてもあんな規格外の強敵といつまでも渡り合っていたら、ちょっとした不注意で相手の攻撃をまともに喰らってしまう可能性がある。そうなれば致命傷はまぬがれない。

精一杯迅速に、しかし焦らずに、術法を組み上げなければならない。

アニカ

できたっ!
術式起動!

最後の大技への霊力の充填が終わり切る直前、半ばフライング気味にそう叫ぶ。どうせこの仕掛けを使うのはちょっと後だし、ここまで出来ていれば後は他の仕掛けを起動しながらでも残りの充填作業は行える。

あたしの叫びは、本当に間一髪だったのだろう。アルベルトがこちらを向いた瞬間、緊張の糸が切れたエリザから全身の力が抜けて倒れ伏せる。

ここでアルベルトが、とりあえず弱っているエリザへ止めを刺してからこちらへ対処しようなどと考えたら最悪だが、そんなことにはならない。なにしろこっちを一瞥した彼の眼には、『地霊王の機械人形』レベル1が映るのだから。

あいつはさっきこの人形を『忌々しい』と言ったけれど、今回も人形が視界に入るやいなや、憎たらしい奴を見る表情になる。身体の一部の、そのまた表面だけとはいえ、石化され行動を制限されたのは相当厄介だったらしく、この人形自体を毛嫌いしているらしい。エリザなんかより、先ほど意外な苦戦を強いられたこの憎き自動人形に標的を定めたようだ。

人形が吐き出すのは――
また『地霊王の石化』レベル3だ。

アルベルト

二度も同じ手が通用するか!

アルベルトが華麗に霧を避ける軌道を目で追いながら、あたしはにんまりとほくそ笑んだ。

そう、二度も同じ手は通用しない。一度目に多少手を焼きながらも突破できているならばなおさらだ。そんな状況なら、獣でさえ突破法を学習する。

そして、獣でも人間でも、そして今の状況を見る限り魔王であってもそうなのだが、「一度突破したことがあるけれど、突破に失敗すると厄介なことになる」という状況の場合、一度目に突破した通りの手順をかなり忠実に再現する。

失敗できないから、余計な冒険はしない。一度できたやり方を基本的にはなぞる。

という事は、さっきと同じ軌跡を描いて人形へ向かってくるということで。

獲物が通る道筋が分かれば、そこに罠を仕掛けるのは狩人にとって造作もないことで。

先刻と同じく、アルベルトは人形の眼前で強く大地を蹴って、機械人形へ突進――しようとした。

アルベルト

!?

彼の足が大地に触れた瞬間、あたしの「とっておきの大技」である『四大の呪縛」レベル5が発動する。
四大精霊の力を使うスキルに関していうと、あたしが使えるのはほとんどレベル1で、得意な術法でもレベル2か3なのだが、この呪縛スキルだけは狩りで重宝するのでレベル5まで習得している。これならアルベルトをほんのわずかな時間だけ、拘束可能だ。

拘束されて動けないアルベルトに、機械人形がありったけの石化の霧を吹きつける。至近距離からの直撃を受けて、彼は体表面のうち、人形に面している側の半分がほぼ石化してしまった。これだけ濃い霧を勢いよく吹きつけれられては、体表面だけでなく多少は内側も石化しているかもしれない。

追い打ちをかけるように、最後の力を振り絞ってエリザが魔術で地中からつる草を伸ばし、アルベルトを拘束する。

これでアルベルトは、『四大の呪縛』と石化、そしてエリザのつる草と、三つの方法で拘束されたことになる。一つ一つはすぐに破ることができるだろうが、三つあればそれだけ時間がかかる。

アニカ

名付けて『呪縛三重奏』
色々ギリギリだったけど、なんとかうまくいったね

主にエリザの体力と魔力がギリギリだった。
エリザには負担をかけてしまったし、あとで回復薬を調合してあげて、それからお菓子でも奢ってあげよう。

ヴァルター

ナイスだアニカ。
後はまかせろ!

アルベルトが身動きできないと見るや、ヴァルターとオットーが剣を抜いてアルベルトの方へと駆け出す。少し遅れて、巡礼騎士団たちもそれに続く。

アニカ

待って!
攻撃しないで

あっという間にアルベルトとの距離を詰め、剣を振り下ろすヴァルター。間一髪のところであたしは二人の間に割って入り、短刀でヴァルターの剣を受け止める。

以前、砂漠で同じようにヴァルターの剣を短刀で受け止めた時、こちらの刃が欠けてしまった反省を活かして、今回は峰の方で受け止めてみたのだが、そうするとヴァルターの剣に押されて、あたしの短刀の刃が自分の方へ向かってくることになる。ものすごく怖い。ってゆーかほっぺたちょっと切れた。

ヴァルター

なぜ邪魔するんだ!?
折角チャンスなのに!

ヴァルターだけでなく、あたしが割って入ったことにびっくりしたオットーや巡礼騎士団達も止まってくれている。うん。それでいい。

アニカ

あたしは魔王を止めたかっただけ。
倒したかったわけじゃない

本音を言えば、倒したくても倒せない、というのが正直なところだ。アルベルトの石化はもう癒えている。あとは、あたしの霊力を上回る魔力をぶつけるだけで『四大の呪縛』は簡単に壊せるし、エリザのつる草も彼は、以前力ずくで引きちぎっている。

この場にいる人間の中で、アルベルトに多少でもダメージの通る攻撃をできるのは、ヴァルターとオットーと、その仲間の巫術師エーミール。あとはフォルケールを筆頭に巡礼騎士団の中の、ほんの数人の手練れだけだろう。彼らにしても『かろうじてダメージが通る』という程度で、大した打撃は与えられないだろう。

それではあたしが止めなかったとしても、アルベルトが三つの呪縛を破るまでにアルベルトを倒すことなどとてもできない。弱らせることすらできない。そして、呪縛から解かれれば、もうこちらに勝ち目はない。

最初から彼を倒せるなんて思っていなかったから、あたしの狙いは巡礼騎士団を殺していた彼の目をこちらに向けさせ、捕縛して、話し合う事のできる状況を作ることだったのだ。ここでまた攻撃して彼を怒らせれば、皆殺しにされるだけだ。

本当はヴァルター達にそう説明したいんだけど、アルベルトに聞こえるところで『勝てないから攻撃しないで』なんて言ったら、奴を調子づかせてしまうかもしれないので、そんな説明は出来ない。

アニカ

ねえアルベルト。
頭に血が昇ってるようだったから、少々手荒な方法で捕縛しちゃったけど、攻撃する気はないの。話を聞いてほしい

そしてあたし達は、あの村で起こった事と、その後の、今日にいたるまでのすべての出来事を話した。

あの村での虐殺事件の罰として、あたし達は全員、メレク神の呪いを受けたこと。そして、あたしとエリザは解呪のためにイーリス様のもとへと赴いたこと。

イーリス様の神殿で、あたし達は魔物と人間の戦いを終わらせようと決意したこと。イーリス様からトイフェル退治を依頼されたこと。そして、実際にトイフェルに憑かれた勇者やフォルケールを救ってきたこと。

アニカ

あの村で、村長や自警団員達に直接危害を加えたのは天上教会の連中。でも、そもそも天上教の司祭達をあの村に呼んで、村人達を改宗させようとしたのはあたし達。その罪をごまかす気なんてない

エリザ

アルベルトから見れば、私は裏切者でしょう。
メレクの信徒の癖に、彼らを改宗させるために天上教会の司祭を呼ぶという案に賛成したのですから。
私たちはその過ちを認め、贖罪の意味も込めて、戦いを終わらせるための活動を続けているのです

アルベルトはあたし達がかけた呪縛をこともなげに破壊した後、黙ってあたし達の話を聞いていた。
聞く耳を持ってくれているということは、さっきよりは冷静な状態になっていると考えていいのだろうか。

エリザ

あなたが魔物とミタン人との平和的共存を目指していることは知っています。その点で、私とあなたの目標には共通した部分があります。ただし私は、ミタン人のみならず、人族全体と魔物との平和を実現したいのです

エリザは、魔物と人間との恒久平和の必要性を、必死になって説いた。なにしろ、これから気の遠くなるような手順を経てようやく交渉のテーブルに着けるだろうと思っていた、最終的な交渉相手が目の前にいて、しかもその相手は少なくともミタン人との協力に関しては前向きな意見を持っているのだ。

ここで上手く相手を説得できれば、ひょっとしたら本当に戦いを終わらせられるかもしれない。何千年と繰り返されてきた魔物と人との流血の歴史が。
それを思えばこそ、エリザの説得は自然と熱を帯びたものになった。

アルベルト

なるほど。貴殿の意見は分かった。
だが、その意見は承服できない

エリザの言葉が終わるのを待って、アルベルトは静かにそう言った。

アルベルト

二つの勢力同士の和平とか、協力関係というものは、お互いが譲歩しあって初めて成立する。だが一方の勢力が大きすぎると、どうしても小さい方の勢力がたくさん譲歩しなければならなくなる

アルベルト

魔族と人族全体では、人族側の勢力が大きすぎる。しかも基本的に生活が保障去れれば良い我々に比べて、多様な文化を持つ人族側はおそらく要求も多岐にわたるだろう。釣り合いの取れる交渉になるとは思えない

アルベルトのいう事は、確かに一理ある。
人族全体と魔物との和平交渉をするならば、エリザは当然人族側の代表として、グラマーニャ王国政府や天上教会といった諸勢力から『この条件が満たされるならば我々は魔物に危害を加えない』という合意を引き出さなければならない。

それらの条件というのは当然、各勢力ごとに異なっているだろうから、人間側が突きつける要求はそれだけ数が多くなる。魔族側の要求が生活の保障だけなのだとしたら、その交渉は極めて不均衡かつ不平等なものとなり、魔族側として納得できるものにはならないだろう。

アルベルト

ところで、話を聞いていて思ったのだが、そなたは言動から家柄の良さが窺がえるし、教養もありそうだ。ミタン人社会における高貴な家の生まれなのかな?

エリザ

エリザベート・トリビス・メレクス・シュラートゥスと申します。旧ミタン帝国の筆頭宮廷巫術師シュラートゥス家の血筋に当たります

エリザ

とは言っても庶流で、父は古都ヴァーシュではなくその近くの村で巫術師をしておりましたから、高貴な家柄かと言われたら疑問ですけど

アルベルト

いやいや、シュラートゥス姓を名乗れるということは、それなりにミタン人社会での地位が高いということだ。魔族とミタン人との間の交渉役としては申し分ない。余とそなたの間での交渉結果ならば、魔族もミタン人も従うだろう

アルベルト

だがな、思うにそなたは、優しすぎるのではないか?
そこのグラマーニャ人らと行動を共にするうちに、情が移りすぎているのではないか?

そう言ってアルベルトは、ヴァルター達を指さす。

アルベルト

あの勇者は妖精の丘で罪もない妖精達を虐殺したし、仲間の僧侶と聖騎士は我が第二の故郷の村人殺しの張本人だ。そんな奴らばかりのグラマーニャ人のために、魔族とミタン人との和平交渉にケチがつくのは馬鹿馬鹿しいと思わんか

エリザ

思いません。
ヴァルター達は、あってはならない重大な罪を犯しましたが、私の大切な友人です。

エリザ

グラマーニャ人全般についても同じことが言えます。罪深い人もいるでしょうが、良い人もいる。ミタン人と同じように

エリザとあたしからしてみれば、魔物と停戦するためにグラマーニャ人を排斥するのでは意味がないのだ。それではあの村や妖精の丘で起こったような悲劇が、今度はグラマーニャ人を被害者として繰り返されるだけだ。

しかしアルベルトは、エリザの考えにどこまでも納得できないらしい。大仰な動作でゆっくりとかぶりを振ると、おもむろに言った。

アルベルト

どうやらそなたは、人族の社会しか見ていないゆえに視野が狭くなっていると見える。魔物の社会も等しく見たうえで、客観的に判断すれば、世界の平和のためにはグラマーニャ人が邪魔であることはわかるはず。

アルベルト

聡明なるシュラートゥス家のご令嬢に正しい見識を持っていただくために、そなたをオズィアへご招待いたそう

エリザ

……?
どういう事……ですか?

巨龍

――こういう事だっ!

アルベルトは急に龍の姿に戻ると、エリザを掴んで空へと舞い上がった。

あまりに突然だったので、状況を把握するのに数秒を要した。
つまりアルベルトは、エリザを魔都オズィアへ連れ去ろうというのだ。それが分かった瞬間あたしは、遠ざかろうとする巨龍へ渾身の力を込めて投げナイフを放っていた。

アニカ

エリザを放せバカ龍!

右手がナイフを投げ終わる前に、左手が投擲体制に入る。そして左を投げながら、すでに右手は次なる投げナイフに手をかけている。
そうやって手持ちの十本の投げナイフ全てを打ち出し終えると、今度は弓に矢をつがえる。

速射レベル6のスキルを使って、文字通り矢継ぎ早に矢を射かける。ナイフにしても矢にしても、アルベルトにとっては無視できる程度のダメージしか与えられないだろう。だがこれは倒すために射ているのではない。少しでも攻撃を不快に感じ、奴が怒って戻ってきてくれれば、エリザを奪い返せるかもしれない。

そんなあたしの、藁をも掴むような必死の抵抗も空しく、アルベルトはエリザを連れたまま、弓の射程距離の遥か彼方へと消えていった。

(続く)

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