彼は赤い薔薇の前で倒れていた。薔薇の花があんなに散っている。違う、あれは薔薇の花びらなんかじゃない。
なら、何の【赤】
ヴァイス……
彼は赤い薔薇の前で倒れていた。薔薇の花があんなに散っている。違う、あれは薔薇の花びらなんかじゃない。
なら、何の【赤】
うぅぅぁ
喉の奥から色んなものが押し出されてくる。ダメだ、止まらない。何で、何が起きているのかシュバルツにはわからない。
真っ赤な液体と、動かない人間。
どういうことだ。どうして、どうして……
生暖かい風が吹いた。
ふと、顔を上げる……
狼がいた。
口から赤い何かをしたたらせて、こちらを伺う。【何か]】が居ることは知っていた。妙な鳴き声は何度も聞いていた。獣がいるとも聞かされていた。入ってはいけない。危険だから、入ってはいけないって、言い聞かされた。
だから、鍵が開いていても奥に入ろうとはしなかったのだ。
怖がっていたのは自分だ。
怖気付いていたのは自分だ。
それなのに、彼を奥に行かせてしまった。
あの悪魔の巣窟に……
ヴァイスだって不気味な声がすることは知っていたはずだ。この庭園が危険なことを知っていたはず。ムキになったのだろうか、らしくもない。
違うな。
双子だから、わかる。緑色の薔薇があるのなら見たい、それを見せて兄貴としてシュバルツがヴァイスを認めてくれるのなら…………
シュバルツがヴァイスに認めてもらいたかったように、ヴァイスだってシュバルツに認めてもらいたかったんだ。その為なら、無茶なことを貫ける。
もう、ダメだな
自分もヴァイスと一緒に、あの狼に喰われる。そのイメージしかわかない。
動かないで
目を閉ざしたシュバルツの耳に入るのは男の声。その声は背後から聞こえた。どちらに言っているのか、わからない。どちらにしてもシュバルツの身体は恐怖で硬直していたのだから動くことは出来ない。
その後、パンっという音とザシュっという音、色んな音がしたと思ったら。
静かになったので、目を開くと狼が倒れていた。
そんなのは、どうでもいい。
視線を、また彼に動かす。
動かない双子の片割れから目が離せなかった。
どうして……
ここは入っては行けない場所だったはずだが?
男は責めるように、シュバルツを見る。スーツをパンパンと叩きながら不機嫌層な顔でこちらを見る男。こんな奴、知らない。
鍵が………開いていた
何ですって? ですが入っては行けないと言われませんでしたか?
………言われていた
茫然としたまま、視線はヴァイスから離れない。
ここは、獣の墓場です。暴走して手が付けられなくなった獣をこの庭園に閉じ込めて……私たちの様な魔法使いたちに殺させるのです。
男は説明してくれた。ここの薔薇には特殊な魔法効果があるとかで、結界の役割も担っていたとか。薔薇の香りには獣たちの心を穏やかにさせる効果もあるのだとか。獣たちの死骸はそのまま薔薇の養分になるのだとか、それによって特殊な色の薔薇の花が咲くのだとか。
だけど、そんなことどうでもいい。
お爺様はそんなことは言っていなかったよ
黙っていたのでしょう。自分の屋敷の敷地内にそんな場所があるなんて考えたくもないでしょう
知らなかった。
自分の家なのに、知らないことが多すぎて、頭がクラクラする。
でも、どうでもいいことだ。
今のシュバルツには目の前のヴァイスがもう動かないってことしか考えられない。
………
ああ………人を慰めることは苦手なのですが
男は何やら呻いて、シュバルツの前に立つ。身長差があるから、少しだけ屈みこんで。少しはニコリとすれば良いのに仏頂面のまま話し始めた。
こういう事しか言えないが……これは事故ですよ。事故です。事件ではありません。不可抗力というものでしょう。それでは、貴方のお爺様に呼ばれていますので……
慰めなのか、よくわからない言葉を投げつけて男は去っていった。
………
シュバルツは何も考えられなかった。
はっきりとしていることは、これだけ。
やっぱり兄貴は……ヴァイスだな
何とか声を絞り出す。
どちらが兄か弟かなんて、もうどうでも良いのに。
おかしいよ。ヴァイスがいなくなったら、嬉しいって思うんだろうなって思った。
おれは酷い奴だから、だから凄く嬉しいはずなのに………でも……おれは……
動かない兄の横で膝をつく。
兄は身体から血を流しているけど、憎らしいほどに綺麗な顔をしている。
誰かが言っていたんだ。双子ってさ、もとは一人の人間なんだって。
「だから二人の内、片方がいなくなれば、完全な一人の人間になれる」
「完全に一人の人間になれば、堂々と胸を張って歩けるって思ったけど…………」
「お前がいなくなったらおれは一人なんだ。」
寂しいよ身体の半分がなくなったみたいだ
両親は愛情をくれない、興味も示してくれない。使用人は形式通りの付き合いしかしてくれない。確かに喧嘩はしたけれど、学校の連中だってヴァイスの弟、としか見てくれない。シュバルツとして向き合ってくれたのはヴァイスだけだった。