ちょっと待った。紫季にも言っていたんだけど、



今にも出て行きそうな灯里に
晴紘は慌てて
先ほどの事件の話を持ち出した。



まさか知らないとは思わないが
自分の世界にしか興味のない
引きこもりのこと

知らないはずがない、とは
言い切れない。






なにかあったりしたら、
撫子が帰って来るのを
心待ちにしている侯爵だって
悲しむだろう。

……

灯里は扉を開けかけたまま
足を止めた。

今日遅かったのはそのせい?

あ……うん。帰りがけに死体が上がったって言うからさ

咎められているわけではないのだが
どこか気まずい。

















今日は早く帰ると仰ったのはどのお口でございますか?






まさかとは思うけど紫季とふたりで待ってた、ってことは……

いや、いやいやいや、今はこいつの外出を止めるのが先だ


そう思いつつも、
晴紘は目をそらす。

























































死体が上がったのは
龍神池と呼ばれる小さな池だ。


たいそうな名前だが
実際には龍など
住めそうにないほど小さく

生い茂った木々のせいで
昼なお暗い。

















その草むらに隠れるようにして
浮いていたのは
数日前から行方不明になっていた
娘だった。









講堂にピアノのコンサートを
聴きに来ていた客で

彼女自身もピアノを嗜む。

何時までたっても帰って来ない
と、
両親から捜索願いが出ていた。































足を滑らせて落ちたのではございませんか? 前にも仰っていたじゃありませんか、あの池は危ない、と


無表情のまま紫季が呟く。

表情が乏しい彼女は
顔から感情を見てとることはできない。

ただ、その口調から
半ば呆れているような節が
見受けられた。



そう言えば以前、
「龍神池だからリュッシーという怪獣を作れば誰も近づかないだろう」
などと不思議なことを仰ってましたわね




手にした急須で
晴紘の湯飲みに
茶を注ぎ足してくれてはいるが……

今度は
何度見ても透明度が高い。






あの池は岸から急に深くなるんだよ。
子供が足を滑らせたらまず上がって来られない

だから化け物で脅せば近寄らなくなるんじゃないかなぁ、って意味で





























草が生い茂っている上に深い。



龍神が住み着いているのだ
などと言う
説話まで付いているので、

埋め立てるにも
街灯の数を増やすにも
周辺住民は良い顔をしない。




仕方なく
柵を設けて、入れないように
しているのだが

それでも何故か
入り込む不埒な輩は後を絶たない。








リュッシーなんか出てきたら余計に見物客が増えますわ



紫季はそう言うが、
その娘は単なる好奇心で
足を踏み入れたわけではないだろう。

コンサート帰りの着飾った娘が
そんな場所に行くなど
あり得ないことだし、












……それに。


































その娘は
両の手が切り取られていた。









【壱ノ参】奏でるための手・壱

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