こんな時間に灯里様が何故、晴紘様を待っていなければいけないのです。
その理由を四百字以内で述べなさい


そんな倒錯じみた想像を
察したかのように

茶碗を運んで来た少女は
殊更冷たく言い放つ。



晴紘のほうはと言えば
ほこほこと湯気の立つ
白飯と味噌汁を前にして


倒錯の世界など既に
記憶の彼方に
吹き飛ばしてしまっていたのだが……

待ってたっていいでしょ?
六年の付き合いだ。男女の仲ならそろそろ身を固めようか、なんて言葉がでる頃だぜ?

……この娘は
からかい甲斐があって困る。





親父的思考だとは自覚しているが

やはり野郎よりは女、
それも若くて可愛いのに
ちょっかいを出したくなるのは
男の性(さが)。

我慢してもらおう。



男女でない時点でその例えは間違っています

それっくらいの長い付き合いだってこと。俺はこう見えてもあの引き籠りの唯一の友人だからね。大事にしてよ?

 .



彼女は迷惑そうに溜息をついた。











……灯里様もなにが良くてこんなのを、

聞こえてますよ、お嬢さん










灯里本人のために言えば、
別に彼から
同居を頼まれたわけではない。


前述したとおり
級友とは名ばかりの単なる顔見知り。
むしろ覚えていてくれたほうが
奇跡だと言える。


運よく拾ってもらって、
なにも言われないのをいいことに
そのまま居ついている。


……と言うだけだ。













この
お手伝いさんなのか、
人形技師の助手なのか、
はたまた養子縁組した娘なのかも
よくわからない彼女は

その時には既にこの家にいた。















妹ではないことだけは
わかっている。

此処へ来た当初にそれを聞いて

ブリザードが吹き荒れたのかと
錯覚させるほどの
冷ややかな視線を頂いた。







それ以上聞いたら
氷漬けにされて
隅田川に投げ込まれるかもしれない。


と、遠慮して……今に至る。





わかっているのは、
彼女が見た目によらず
家事全般が得意だと言うことと

主人なのか師匠なのか義理の父なのか
よくわからない級友に
心酔しているというところだけ。




ふたりだけの生活に
入り込んできた晴紘への風当たりは
推して知るべし。


これでも大分
緩くなってきたと言えるだろう。


























まぁ、それはさておき。
時計塔の鐘が遅れてるって言いたかったんだけどなぁ


晴紘は帰り道に聞いた鐘の音を
思い出した。




時間で言えば五分ほどの遅れ。

たいした誤差ではないと
流してしまいそうなところだが


あの鐘の音は
近隣住民も時報代わりに使っている。
放置しておくわけにも
いかないだろう。


でしたら明日、私から

へい

家と共に譲り受けたものだから
あの時計塔も撫子と同様、
あちこちに
ガタがきているのかもしれない。











時計の遅れを報告するのは
晴紘がここに来てからの分だけでも
もう両手の指を越えた。



人形も修理、時計も修理。
修理だけで
人生が終わってしまうんじゃないか?

なんて

顔を見せる暇もない級友が
心配になる。



























お喋りはお終いでございますか?


いかにも
「早く食べろ」と
言わんばかりの物言いに

晴紘は白飯を口いっぱいに頬張ると
それを味噌汁で流し込んだ。

おかわり

食べる量だけはひとの倍ですのね

働いてる時間も倍近いです

時間内に片付けられないだけなのに、そんなに自慢げに仰るとは

人間、自信を無くしたら終わりって格言、知らない?

存じません。どなたの言ですか?

……

いちいち
突っかかって来るのにも慣れた。

本来なら
嫁もいない独り身の男では
帰宅しても
温かい食事が待っていることなどない。


朝の残りの冷や飯を
ひとり寂しく掻き込むことに比べれば

口うるさくとも見目の良い少女が
給仕してくれて
なおかつ
話し相手にまでなってくれる生活は

なかなか手放しがたいものに
なりつつある。






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