メール……?
一心さんって……
……まさか……そんな。
私は訝しげにメールを開く。
『Re: 一心さんへ』
お久しぶりです、美咲さん。
お互い長い年月を経て、いろいろ変わったことでしょう。
是非一度、お会いしてお話がしたいものです。
もちろん、お互いの生活があると思いますので、今さら一緒になってくれとは言いません。
ただ私は、あの時間がいっときの感情として、風化させてしまうのが忍びないのです。
良い返事、お待ちしております。
2045年8月吉日 間木 一心
あぁ……
なんてこと……
ビルの屋上での一心さんの告白。
短期間でお互いの空白を埋め合わせるような
濃密なSNSメッセージのやり取り。
成し遂げられなかった見送り。
離れ離れの時間に馳せた思い。
思い出されるあの日々に
怒涛のように感情が押し寄せる。
……ゆ…夢じゃ
……なかったんだ……。
どうしたの、おばあちゃん。
泣いてるの?
思わず涙ぐむ私の顔を
心配そうに一美が覗き込む。
ううん、なんでもないのよ。
おばあちゃん、やることできたから、一美ちゃんはあっちの部屋で遊んでくれる?
はーい
一美を他の部屋へ送り出すと、
私はスマホでメールの返事を書き始めた。
拝啓 一心さん
お懐かしいですね。
あの頃の事が、今でも昨日の事のように思い出されます。
もし都合が合えば、明日の午前10時半に思い出の場所の向かいにある、カフェテリアで待ってます。
美咲より
送っ……ちゃった…。
あまりに長い空白の時間ゆえ
期待半分不安半分。
何かの間違いであって欲しい気持ちも
否定できなかった。
しばらくしてメールが届く。
ありがとう、美咲さん。
明日の10時半を楽しみにしています。
帰ってきたのは快諾の返事だった。
――次の日。
めかしこんで、どこいくんだ?
いつもと違う雰囲気の私に気づき
夫が声をかけてくる。
余計な心配をさせたくない私は
取り繕うように言う。
ちょ……ちょっと
昔の友だちと会ってくるの。
……ふーん。
じゃあ、行ってきます。
怪訝そうな顔をする夫を置いて
私は家を出た。
……大丈夫、何も変わらない。
懐かしい人に、ただ久しぶりに会うだけ。
いらっしゃいませ~
ちょっと早かったかしら。
久しぶりのカフェテリアは
個人経営からチェーン店に変わっていた。
私はテラスに面した一番奥の席へ座ると
向かいにある建物を見上げる。
勤めていた会社のビルは建て替えられてしまい、
あの屋上はもう無い。
かつて隆盛を誇ったSNSメッセージは、
汎用性のない仕様から
運営会社の撤退と共にこの世から消えていた。
皮肉なことに
シンプルな仕様のメールは
未だに利用されている。
変わったものと、
変わらなかったもの……。
世の中、色々ね。
……あの頃はメッセばかりだったのにねぇ。
そう思いながら
一心さんのメールをまじまじと眺める。
『Re:一心さん』
ふふふ……。
ただのデジタルデータ。
それなのに、
それ自体が
とても愛おしくなってくる。
ハッ!
変な気持ち、起こさない起こさない!
思わず昂ぶる自分の心を制するよう
自分に言い聞かせる。
まったく、私ったらメールの文面相手に
何やってんだかね……。
……あれ?
メールを見返していた私は
ふと、妙なことに気づく。
『Re:一心さん』
一心さんから届いたメールの題名。
それは恐らく私が一心さんへ宛てた
メールへの返信。
……そう言えば私、メールなんて
送った事あったかしら?
定かでない遠い過去。
メールくらいは送ったかもしれない。
そう思いつつ私は視線を上にずらす。
!!!
『宛先:misaki_2040_kazumi_0812@...』
宛先に記されているのは、
初孫の一美が産まれた時に
取得したアドレス。
……なぜ……?
……なぜ、このアドレスに送られてきたの?
それは一心さんが知る由のない宛先。
少しずつズレて行く何か。
スマホを握る私の手がじっとり汗ばむ。
チラッ
すがるように時計を見ると、
約束の時間は目前に迫っていた。
もうすぐ……
時間になる……。
リズムを変える私の鼓動が
警戒のシグナルを伝える。
その時。
ピクッ!
メール……。
私は恐る恐るメールを開く。
題名には
『今から店に入るよ。』
と書かれている。
……本文はない。
何……?
このメール……。
奇っ怪なメッセージに
私の呼吸と鼓動は
ますます律動を乱す。
ビクッ!
ドアベルに驚き
跳ねるように店の入口を振り返る。
そこには、あの頃と
何一つ変わらない彼の姿があった。
……あの頃と……変わらない?
ハッと息を呑んだ私は
その拍子にテーブル脇の
ティーカップに触れてしまった。
!!
その音に気づいた彼は
私の下へと
まっすぐに向かってくる。
若い男性は私の前に立ちはだかる。
あ……あ……あ……
そして、開口一番こう言った。
美咲さん、結婚しよう。
!
やがて、全てが止まり
そして、何も聞こえなくなった。
変わらぬ二人
つづく