二十一話 相続遺産ヴァンパイア

俺とジルは、昼下がりの電車に揺られている。



中途半端な時間のせいか、帰宅の学生がちらほらいる程度で、あとは高齢者やベビーカーを押す奥さんたち。


地方都市へ向かう、小さな電車だ。

季節はもう、秋になっている。









あれから俺たちは、それなりに楽しく春を終え、七星や北鎌倉がいる分いつもより騒がしい夏を過ごし、
いくつもの同人誌即売会を攻略し、夏コミの死闘を乗り越えた。


最近では伯爵とは隣接するほどの間柄となり(北鎌倉のサークルが)、ジャンルも変わった(北鎌倉が)。


月光館は北鎌倉や伯爵のとりまきたちのたまり場とな
り、

七夕といえば七夕パーティをやり、
お盆だといえば百物語をやり、
大変めいわくだった。


俺とジルは、何もしなかったわけではない。

あれから話し合って、1年、一緒に過ごそうと決めた。




できるだけ、

できるかぎり、

あらんかぎり、

ふつうに。



俺たちは、全力でふつうを楽しんだ。


そして、11月が来る。



ジルが目覚めてから1年。

俺とジルが目と目を合わせてから、1年。





約束の一年が来た。


俺とジルは、某県某市へ向かっている。


ハイネと親父が、25年を過ごした家へ。




これからどうすっかなぁ、ジル

俺はのっそりと、相方に尋ねる。

どうするか、とは

相方がのんびりと答える。

アスカセラーズでさあ、バイト募集してたんだよね

ああ、私も見たが、お前に勤まるか?

コンビニのバイト経験ならあるんすけど

だがアスカセラーズだぞ。黒魔術の一つでもたしなんでいなければ勤まるまい

やっぱそうかなー

そうだろう

ジルはどうすんの

ユーチューバーになろうかと思っている

小学生ですか

プロのポケモンマスターでもいいのだが

ポケGOやってんの知らなかった

コウモリになって上空を散歩しているとレアなポケモンばかりが出るのだ知っていたか

まじか。でもそれ稼げないからね

稼げないか。
それなら大人しく伯爵の手伝いでもするかなあ

同人誌のアシスタントかよ

いや、こんどヴァンパイアカフェを開店すると言っていた

いかがわしいことこの上ないな

くだらない会話を延々と交わしながら、俺たちはほとんど同時に車窓を見た。


秋の早い陽が落ちる。





俺たちは黙った。

電車を降り、伯爵が以前書いてくれた住所と、スマホのナビを頼りに、入り組んだ路地を歩いていく。


おせじにも栄えているとは言いにくい商店街を抜け、
ネコバスが走りそうな田園風景を横目に歩くと、ぽつんと一見の日本家屋に行き当たった。


簡素な看板がかかっており、白地に黒字で「渋澤こども学習館」と書かれている。

せんせい、またねー

ありがとうございましたーー

はい、また来週ーーーー

ほとんど陽が落ち切った薄暗がりの中で、子供たちの元気な声だけが響く。


やがて、子供たちのむれは俺とジルの腰のあたりをかすめていく。

夕闇のせいで、子供の顔は一人も見えなかった。
あるいは、人間の子供じゃないのかもしれない、と、ふと思う。

俺たちはそのまま、日本家屋の門をくぐる。

砂利をふみしめる音が止まった。

おや、どちらさん?

おだやかな声がした。

日本家屋で、パチリと電気が灯る。

その明かりが、男の顔の輪郭をはっきりさせた。

ああ………

俺はため息をつく。

似てんなあ。俺に。

………松彦……

俺より先にジルがつぶやいた瞬間、ざっと滑り込むようにして人影が割り込み、
隠しもしない殺気を俺たちにぶつけてきた。

何しに来た!!

ハイネだった。

松彦、家に入ってて!

ハイネ、こちらどなた……

いいから!!

ハイネの金切り声に、親父が怯む。

だが、ただならぬ何かを感じるのか、彼は家に入ろうとしない。

何しに来たと聞いてる。仲間になりに来たわけじゃなさそうだな?

ハイネが杖のようなものを構える。

いや、ハイネ、そうじゃないんだ、これ……

ジルが取り出したそれに、ハイネが素早く反応した。

復讐に来たか!!

ジルの手元を、ハイネの杖が叩き落とした。

あーーーーーーー……
手土産の鉄分ようかん……

は!?

あーもったいない!!

駆け寄ってきたのは親父だった。

あーだいじょうぶ、だいじょうぶですこれ、外側が破れただけ。食べられます、大丈夫!

砂まみれになった手土産を手で払いながら、親父はにこっと笑った。

ならよかった。
とても珍しいんですよ、鉄分ようかん。
甘党吸血鬼にはたまらない

やぁ、どこのどなたか知りませんが、ご趣味の良いことです。奥でお茶でもいかがですか

おっ、いただきましょう

ジルと親父は、ハイネの戦闘態勢などなかったことのように、にこやかに家に入って行ってしまう。

遺されたハイネはやや呆然としながら、しぶしぶ構えを解いた。

……中二病とおいぼれ対決、
おいぼれの圧勝

なんだと

まあまあ

俺はハイネの肩をぽんぽんと叩いた。手を掴んで睨み上げられたが、それほど怖くはない。

仲間になりに来たと考えていいんだな?

気迫は買うけどね。
でも出来ないでしょ、そんなこと

俺は元は田園風景だった背後の闇を見回す。


薄の群生や、高い木の影、長く伸びた道の曲がり角に、今の俺なら気配を感じ取ることができる。

ここは、いつも吸血鬼やその眷属たちに監視されている家。


そうやって25年、二人が息を詰めて暮らしてきた家。

ハイネは俺の余裕を感じ取ったのか、憎々しげに舌打ちをして目をそらした。

こうしてみると、この子は本当にまだ若いのだなと思う。

あんたには感謝してる

自然に、言葉が口をついて出た。、

は?

ひどい侮辱を受けたような顔で、ハイネが俺を睨み返したが、俺はかまわずに家に入って行った。

……そうですか、記憶がありませんか

中では、もうジルが親父と話をしていた。

はあ、ここに来てからのことはちゃんと覚えているのですが、その前のことは

私のことも

はあ、面目ない。覚えていません

そうですか、志摩さんのことも、夜子…あなたのお母さんのことも

母は、何度か訪ねてきてくれましたので存じております。
…志摩さんというのは?

あなたの奥さんです

そうですか、奥さんがいましたか……

おっさん二人はしみじみと、ようかんを食べながら茶をすすっていた。
どちらも吸血鬼とはとても思えない枯れっぷりだ。

松彦さん

はい

では、この子はどうでしょう

俺が部屋に入ると、ジルは俺を隣に座らせ、ぽんぽんと頭を叩いた。

きみの息子さんです

……わたしの、むすこ。

もう一度、息子……、と繰り返すと、
親父は俺を穴があくほどじっと見つめ、

やがてふーっと長い息をついた。

ごめんなさい。覚えていない

俺の肩から、ふっと力が抜けた。

いやいやいやいやいや、覚えてるわけねーって

あれほど、あれほど憎んで、血が出るほど会いたいと思った親父との再会は、

だって会ったことねえもん

ひどく心おやだかだった。

俺まだおふくろの腹にいたし、分かれったってムリでしょ

親父は首をかしげると、無垢な表情で眉をひそめた。

そうだったんですか?

そうだったんですよ

だとしたら、きみはずっと寂しい思いをしていたでしょう

寂しかったっすね。憎たらしいなーと思ったことも死ぬほどあった

俺は茶をすすると、親父と視線を合わせた。

それでもまあまあ、おふくろも俺も、
ふつうにしあわせでしたから

親父は小さくのどぼとけを揺らすと、目を伏せた。


時計の音が聞こえ、親父はそのまま、深々と頭を下げた。



俺は、それでもういいや、と思った。

覚えてるのはいつ位から?

最初の5年くらいは別の場所にいて、読み書きから始めました。

言葉も何もかも忘れてしまっていて、普通の生活を思い出せるまで、随分とハイネに苦労をかけまして

ハイネはいつの間にか戸口に立ったまま、長い脚を組んで俺たちを睥睨している。

ようやく人並みのことができるようになってきてから、ここに越してきたんです。

それからは、書道やそろばんを教えて、塾の先生みたいなことをやっています

俺の隣で、ジルが目じりを下げる。

ようやく好きなことができてるんだね、松彦

はい?
ええ、そうですね

親父さんもふつうに幸せなわけだ

ええ、私は普通に……

じゃあ、ハイネ、きみは?

ジルがふいに視線を上げた。

二人の間には、何ともいえない緊張感がある。


言うなれば昔激しく愛し合っていた恋人同時が
お互いの現在を探り合う雰囲気が。


僕?

すげえ不幸

ハイネはあまのじゃくな微笑みを浮かべて答える。

相変わらず伯爵に監視されてるしさ。
あんたらが都会でヨロシクやってるのに
俺たちだけこんな田舎で、息をひそめるみたいな生活で
ほんとずるいと思う。

そうか……

マジでなんで?
ねえ教えてよジル、
なんで俺だけこんなハズレ引かされてんの?

そもそも俺巻き込まれただけでしょ?
それを25年も俺だけ悪者にして、俺だけ……!

言いながら感情が高ぶってきたのか、ハイネの声音が高くなり、子供みたいにわめきはじめる。

まとっているオーラをもし見ることができるならば、
以前俺を襲ったときみたいに、危険な色になっていたことだろう。


ジルは俺をちらっと見ると、こくりと頷いた。

よし、わかった!!

俺はドンっと机を叩いた。

では、これより新たな遺産相続の分与を発表いたします!!

渋澤夜子、遺言書の追記。

渋澤普の遺産相続後、

渋澤普本人が希望し、かつ、
指定後見人のジル・ド・バードリ及び同指定後見人の種村聖弁護士の両方が同意した場合のみ、
相続した財産を他者に分与できるものとする。


1.輸入品(特に倉庫内の棺桶一式について)

重い臭い狭い~~~~~!!

がまんしなさいハイネ、都会ではこの間取りでせいいっぱい

なんで古臭い棺桶に二人で入らなくちゃいけないのさー、ベッドでいいよ、てかベッドがいいよー!

せちがらい都会でしがない吸血鬼が生き抜くには、今日び一軒家など高嶺の花!
貸し倉庫が精いっぱい!

やだよーーーー!
俺が住みたかったのはこういうとこじゃないーーー

しっ、誰か来る

おはよーハイネにジル

あっ、エルンスト伯爵!

おお伯爵

長らく待たせてごめんねー、迎えに来たよー

迎えに!?

私の家に君らの部屋が用意できたからね、そちらに引っ越ししようねー

わーん伯爵!!ありがとうございます、俺悪い子でしたごめんなさい

伯爵、私は貸倉庫で十分です

いやいやジル、遠慮せず

ん? 何この雲行き

最近ユーリ!!!ってジャンルに手出したらこれがえらい人気でさあ、
今度の冬コミまでには6冊は新刊作っとかないと旬逃しそうなんだよ、さあ、一緒にがんばろう

へ?なんの話?

伯爵、私はポケモンGOのバイトに行ってきます

そんなバイトは無い

何? 何がはじまんの? え? え? 俺もとの家帰ったほうがよくない?

松彦、まつひこーーーーーーーーっ!!!

1.某県某市の日本家屋

おふくろ、ばーさん。

おやじとなんとかやってくよ。

そのうち俺のほうがおやじより年食っちゃうかもしんないけど、
そん時はそん時で、また考えるからさ

あまねー、ごはんできましたよーー

うぉーい

今日からバイトですか?

うす、近くにアスカセラーズ開店したから、オープニングスタッフに

アスカセラーズができたら便利になりますねえ。鉄マッスルも通販で買わなくて済むし

般若心経で面接通ってほんとよかったっす。えーと、あの、…さんは

え?

おや、じ、さんの、仕事は?

ああ、今日はそろばん塾のほうです。
ふふ

なんすか

くすぐったいですねえ

そうですね

帰りエロ本買ってきてくださいね

基本の生活は月光館と変わんねえんだよな。

…………。

……ジル何してっかなあ……

3.月光館

きゃー北鎌倉、また見つけましたーーー!

お嬢様見てはなりません、BLならいくらでもお見せいたしますがエロ本は読んではなりません

おじさまとおにいさまったら、ありとあらゆるところにエロ本とエロDVDが隠れていて、
まるで宝探しですわね

ああお嬢様見てはなりませ……あらこの作家、あらあらこんなところで書いていましたか、あらあらあらあら

北鎌倉っ

はっ! 読んでおりません!

これらをまとめて倉庫に集めておき、背表紙もそろえてきれいに並べておくのです

焼却ではないのですか

こうしておいたほうが捨てられるよりよっぽど恥ずかしいでしょう

御意!!

特におにいさまが気に入っているらしいこのメイド物は、コスしますので型紙も作っておきなさい

……おじょうさま

なんです

わたくし、そんなおじょうさまが慕わしく存じます。

ごっごっ誤解してはなりません。

おにいさまはこういう感じででいたぶるのがいちばんかわいいのです。

御意!!

私は晴れて月光館のあるじとなりましたが、
おにいさまもジルおじさまもいいかげんな男、いつお戻りになるかわかりません。

はっ!

二階の掃除に参りますよ!!

かしこまりましてございます!

わたしは、自分の勝手なやり方で、
人や吸血鬼をいろいろなところに置きざりにしてきてしまいました。


死んでからこんなことを願うのは、無責任だとはわかっているのよ。

でも、祈らずにはいられないの。

どうぞ、あなたたちがあるべきところに帰れますように。

願わくば、普通の、なんでもない生活を、ゆっくりと送ることができる、そんな場所へ。

あなた方が、おのおの戻っていけますように


それだけを願って、私は遺産を残します。


渋澤夜子

FIN

二十一話 相続遺産ヴァンパイア

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