ぼくらに吹く風

同人誌即売会から出てみると、午後の心地よい風が流れていた。

階段下ではコスプレの撮影会をやっていたが、午後もかなり過ぎたせいか帰る人のほうが目立ち、
コスプレイヤーの皆さんもなんとなくのんびりしているように見える。

俺はぼーっと、彼らの非人類的な髪の毛が時折強い風になぶられていくのを眺めていた。

少し泣いたので、目元がひんやりして気持ちよかった。

おにいさま

ふと声が聞こえて、振り返った。
七星が俺にスポーツドリンクを渡してくれた。
珍しく北鎌倉の姿は無く、一人らしい。

いろんなことが、わかりましたわね

いいんだか、悪いんだかなぁ

七星は俺の隣に来ると、自分もオレンジジュースを
こくりと呑んだ。

わたしも、ようやく分ったんです

なにが?

おばあさまのこと

七星の髪が、さらっと風に揺れた。

おばあさまって、私たち家族がどれだけおばあさまを楽しませようとしても、全然楽しそうじゃなくて。

いつも一人になろう、一人になろうとしているところがあったんです。

それで、気難しいとか、偏屈だとか、性格が悪いとか、いろいろ言われてたけど

…………

わたしは、ずっとおばあさまが嬉しいことや楽しいことを恐れている気がしていたの

恐れていた……

そう。だからお兄様が初めて家に来た日、おばあさまの顔を見て驚いたんです

高校生になり、一度だけ渋澤家に呼ばれた日。

あれは、多分俺がまっとうに成長しているかどうかをばあさんがチェックする、唯一の機会だったのだと思う。

迎えに来た高級車にびびる俺に、おふくろは
「あいさつは元気にね!」
と言って、ばしんと背中を押した。

なんて言えばいいかしら。おばあさまがいつもつけているお面が、ぽろっと取れた感じがして

お面?

そう。とてもそわそわしたり、わくわくしたり、どきどきしたり。
感情がすごく動いてたの。

そうかな。会ってる間、ずっとムスっとしてた気がしたけど

ムスっとはしてたけど、ムスっとしようとしているムスだったのよ

よくわからん

わたしには分った。
それで思ったの。おばあさまにはおにいさまが必要だって

七星は俺を見た。

そうか。それで、七星はハンガーストライキを起こし、俺を渋澤家に呼び寄せたのか。

よくばあさんが許したよな。伯爵の話でいけば、3つの約束を破ることになりかねない

かなりギリギリよね。今考えたら、おばあさまは私がご飯を食べなくなってすごく困っていたわ。

あちこちにバタバタと連絡してた記憶もあるから、もしかすると伯爵に許可をとっていたのかもしれない

かもな。で、自分は絶対に関わらないからって条件をもらったのかも

そうね

七星は長い睫毛を伏せて、ふっと深い息をついた。

でもわたし、無茶してよかったと思ってます。
おにいさまが来てから、おばあさまは少し楽になったように見えたから

そうなのか?

きっとね、
志摩おばさまとおにいさまを遠ざけた時、
おばあさまは自分の心も死ななければいけないと思ったんじゃないかしら。

志摩おばさまだけでなく、自分にも罪がある。

自分が吸血鬼と近しくならなければ、こんな不幸の連鎖は起こらなかったと、
自分で自分を罰していたんだと思うの

…………

俺の記憶の中のばあさんは、冷たくて気難しくてよそよそしいだけ、なのだが。

そのばあさんの心の中に山ほどの後悔が詰まっていたのだとしたら。

でも、おにいさまが案外のびのび育っていて、
おにいさまを通して、志摩おばさまが元気にやっていることもわかって。
おばあさまは、きっと救われたと思うの

まあ、貧乏ながらも、決して不幸ではなかった。
むしろこれだけ大変な環境で生を受けたのに、
俺のこれまでの25年間は、奇跡と言っていいくらい普通だった。

その普通は、おふくろとばあさんのせいいっぱいの努力の上に成り立ってたわけだ。

あー、もうさあ

俺はガリガリと頭を掻く。

おふくろとばーさんが生きてる間に、これが分ってたらなあ。
そしたらさ、そしたら俺もっと……

もっと?

……えーーー…えーと………もっと早くニートやめてた

七星があはははと声を出して笑った。

お嬢様ーー、アマネ様ーーー

北鎌倉の元気な声がして振り向くと、スーツケースやカートをガラガラさせつつ、
三人がこちらに向かって歩いてくるところだった。

おー、終わったのか

ファンサも終わりましたからね、切り上げですー

いやー、今日はほんとお世話になっちゃったねえ

伯爵がひらひらと手を振る。

もしよかったらまた来てね。というか、ジルんとこの魔女たちガチですごい戦力なので。
ぜひ今度うちにも遊びに来てほしい

行きます行きます、絶対行きます!

わたくしどもでよろしければ、いつでも馳せ参じます!

いやー、ほんといい魔女を持ったねえ

うむ

吸血鬼二人は、ほんわかと微笑みあった後、急にオトナの顔になってハグをする。

本当にまた会えてよかったよ、ジル

私もだ、伯爵

また会おう

それから、伯爵は俺をハグした。

一度もかいだことが無いのに、白く美しいとわかる花の香りがした。

アマネ、きみにこれをあげる

ハイネの住所だ。彼は我々吸血鬼の監視下に置かれながら、そこで暮らしている。
松彦も、そこにいる

俺の手の中に、名刺大のメモがあった。
そこには端正な字で、隣の県の小さな町の名前が書かれていた。

二十話 ぼくらに吹く風

facebook twitter
pagetop