クオォォォーン!













決めたくもない覚悟を決めた時、右側の引き戸の向こうから、まるで狼の遠吠えのような声が聞こえた。

そして、次の瞬間には目の前で引き戸が内側に倒れ、何かが飛び込んできた。

グルルルル

佐上!

遙斗

……………

そこに俺が見たものは無口なクラスメイトと、そして、奴が連れていた白い大きな犬の姿だった。

遙斗

うわっ!?

その事を確認する暇もなく、デカい犬に体当たりを食らわされ、俺は思いきり後ろに吹っ飛ぶようにして板間に尻餅をついた。

大丈夫か、
佐上!?

すぐにも俺の側に走ってきた久我が呼びかける。
そして、床に座り込んだ俺が立ち上がるのに手を貸すように奴は片手を差し伸べてきた。

遙斗

大丈夫…って
何でお前がここに?

遙斗

言いかけた時に思い出した。
引き戸の左側からは俺達を追っていた”何か”の音が近づいていた。
それにさっき犬にぶつかられて俺は先輩から引き離されてしまっていた。

遙斗

先輩!

先輩の姿は俺の前に立った久我が邪魔で見えなかった。
慌てて、その場から立ち上がると俺は先輩の方を見た。


美緒

……

遙斗

…?

先輩は笑っていた。
何とも言えない目で俺を見て、どういったら良いのか分からない表情を浮かべて…

だけど、その笑顔は俺が知っている先輩のものとは、あまりにも違っていた。

遙斗

大丈夫っすか、
美緒先輩?

不意に心に込み上げてきた不安に押されるように、久我を避けて先輩の方へと近づこうとした。
その俺の動きを制するように目の前に片手が出される。

フェリス

いけません

静かな声でそう言ったのは、前に久我と一緒にいた外人の神父だった。


あれ?
この人、いつ来たんだっけ…

頭が酷く混乱している。
何で、この人がここにいるんだ?
いや、それより何で久我がここに…?
そういえば犬がいない…

いや、そんなことはどうでもいい!
何で美緒先輩は笑ってるんだ?

ずっと怖いと俺に言っていた先輩。
訳の解らない音に追いかけられて悲観的になっていたはずなのに…
なのに何で…

一瞬、恐怖のあまり笑っているのかとも思った。
だったら、俺が何とかしないと…

遙斗

退いてくれよ

フェリス

………

俺を通せんぼするように立った神父にそう言った。
けど、そいつは無言で首を左右に振っただけだった。

佐上…

不意に俺の横に来た久我が声をかけてきた。

彼女はもう…

美緒

佐上君…

久我の言葉に被せるようにして先輩が俺の名を呼んだ。

遙斗

はい。
今行きます!

止せ!

神父の制止を振り切って先輩の方へ戻ろうとした俺の腕を久我が掴んで止めた。

遙斗

何だよ、
止めんなよ!

先輩が俺を呼んでいる。
先輩は怖がっているんだ。
怖くて心が折れてしまいそうで、だから、あんな風に…

美緒先輩の手を引いて逃げていた間、先輩はずっと今にも泣き出しそうな不安を口にしていた。

だから俺が行かないと!

美緒

佐上クン…

先輩が、もう一度俺の名を呼ぶ。

遙斗

はい!
今すぐに…

フェリス

行ってはなりません

久我の手を振り切って先輩の方へ向かおうとすると、神父が強い口調で言った。

遙斗

何なんだよ、お前らはっ!?
邪魔すんじゃねーよ!

ずっと手にしたままだった刀の鞘を振り回し、俺は久我を振り払った。
それから片手を真横に上げるようにして俺の邪魔をする神父に向かって、それを振りかざす。

遙斗

くっ!

けど、神父は俺がでたらめに振り回した刀の鞘を片手で掴んで止めた。

フェリス

あれをご覧なさい

美緒

神の遣いが邪魔立てを…

低く囁くように言った先輩の顔には、まだあの笑みが浮かんでいた。

美緒

恐怖と焦燥とを限界まで高め、
絶望の最高潮へと誘う

美緒

自らの死を意識したその刹那、
生ある者の気は至高の美味となる

美緒

その最高の瞬間を邪魔するとは
無粋な…

遙斗

美緒先輩、何言って…

神父に向かって嘲笑するように語る先輩の表情と態度とは俺が見たこともないようなものだった。
それに、先輩はこんなことを言う人じゃない。

フェリス

あれは貴方の知っている
少女ではありません

フェリス

匂いが違う…

相変わらず俺が先輩の元に向かうのを邪魔しながら、静かな声が俺に言った。

遙斗

何だよ、それ…

先輩が俺の知ってる先輩じゃないって…
だって、先輩はちゃんと目の前にいるじゃないか。
そりゃ、先輩はあんな訳の分からないことを言うような人じゃないけど、だけど、どう見たって美緒先輩だろ?

美緒

相変わらず人間如きに尻尾を振るか…
だから貴様らは気に入らぬ

馬鹿にするような口調で言ってから先輩の目が俺を見た。

美緒

助けて、佐上君

俺に呼びかけたのは、いつもの美緒先輩の声で…

フェリス

お止しなさい

先輩の元へと向かおうとした俺を神父が止める。

遙斗

退けっつってんだろぉっ!?

止めろ、佐上!

遙斗

止めんなよ!
先輩が呼んでんだよっ!!

俺を止めようとする2人を振りきろうと暴れた。

先輩が俺を呼んでいる。
先輩はずっと怖がっていた。
すぐにも俺が側に行かないと…!

フェリス

聞いてはなりません

フェリス

あれは魔。
人の心を惑わせる、
人に仇為すものです

遙斗

うるせー!
先輩を悪く言うんじゃねぇっ!

佐上!

俺を止めてくる2人を何とか振り切って、俺は美緒先輩に駆け寄った。



遙斗

先輩、もう大丈夫っす

ずっと立ち尽くしたままの美緒先輩の側に行って、彼女を安心させようと必死に呼びかけた。

遙斗

何か、こいつら変なことばっか
言ってるけど、気にすること
なんかないし…

美緒

ふふ…

言葉の途中で先輩が俺の手を取る。
その手がヤケに冷たいような気がした。

バカ野郎!

久我の叫び声が聞こえたと思った瞬間、強い力で身体が後ろに引かれた。

遙斗

な…

一瞬、何が起こったのか分からなかった。
久我の近くにいた神父が俺の身体を自分達の方へ引き戻したのだと気づいた時、目の前で先輩の身体がわずかに揺らいだ。

遙斗

せんぱ…

言いかけた言葉が止まる。

先輩は…

先輩の身体は前のめりに倒れるように小さく揺れて…

俺達の方へと向けられた顔は笑みを形作ったままで…

そのまま、先輩の綺麗な髪がずれるように下へと滑る。
先輩の顔がグズリと崩れ、その皮膚がゆっくりと滑り落ちていく。

顔だけじゃなかった。
先輩の白くて細い腕も、スタイルの良い足も制服ごと下へと崩れ落ちるように、ズルズルと滑り落ちていった…

遙斗

ひっ…

言葉が出ない。

本当に驚いた時には人間は言葉を失うのだと、否、何か言おうにも声が喉に引っかかって出てこないのだという事を俺は初めて知った。

今まで先輩が立っていた。
その場所にいたのは…

先輩の皮が崩れ落ちた、そこに姿を現したのは…
















それは大きな一匹の蜘蛛だった。

人間の男程もある巨大な体を持つ毒々しい色をした一匹の大蜘蛛。

何本もの不気味な足、幾つもある暗い色の目が俺達に向けられていた。

遙斗

何で…

何が起こったのか解らない。
いや、目の前で見たことを信じることを頭が拒否した。

フェリス

下がっていて下さい、光

呆然とする俺の前で神父が大蜘蛛の方へと一歩踏み出した。

分かった

それに応え、久我が脱力した俺に肩を貸すようにして腕を取り、神父から距離を取る。


白キ獣ハ神ノ遣イ…





その時、声が聞こえた。
いや、それは声と言うよりは想いだったのかもしれない。
耳から聞こえる声でなく頭の中に直接響いてくる想い…


貴様ラハ何時モ我ラノ邪魔立テヲスル





そう憎々しげに言ったのは誰だったのか。
消去法で考えると、それは俺達の前にいる大蜘蛛しかいない。

フェリス

私は貴方と論争をする
つもりはありません

あくまでも静かな口調で彼は言った。



我ガ結界ヲ破ル程ノ力持ツ故ノ自信カ

此処ハ我ガ住処。我ガ巣。
貴様ノ力ハ通用セン





聞いているだけで暗い気持ちになるような陰鬱な声が言うのに対し神父は、厳しい目でただ黙って大蜘蛛を見ていた。

フェリス

貴方と話す価値はない

その言葉が終わると同時に、彼は駆けた。
前方の巨大な蜘蛛へと向かって…


目の前で彼のまとう黒い服が大きく動く。
次の瞬間、その漆黒は一瞬にして純白へと変わった。

グルルルル

巨大な蜘蛛へと走り込んだ大きな白い犬が蜘蛛が振りかざした前脚に噛み付く。
それを振り解こうと蜘蛛が脚を振るが、すぐにも蜘蛛から離れた犬は今度は別の脚を狙って噛み付いていった。

大きな蜘蛛が上げる硝子を引っ掻くような耳障りな声と低い犬の唸り声とが部屋に響く。

遙斗

……

佐上!

目の前で繰り広げられる大蜘蛛と犬との戦いを呆然と眺めていると、俺の腕を引いていた久我が呼びかけてきた。

ぼっとしてるんじゃない。
引くぞ!

緊迫した表情で言った奴の顔を見るとはなしに見た。
未だ頭が混乱している。

いったい何がどうなった?

先輩が…
先輩の皮が崩れたのを目の前で見た。
それは、あの大蜘蛛が先輩の皮を被っていたということなのか?

それに蜘蛛に向かって走り込んで行った神父。
だけど、今蜘蛛に食ってかかっているのは白い大きな犬で…

佐上!

久我の叫び声が聞こえたと思った瞬間、頬が強い力で叩かれる。

遙斗

久我…

俺を見上げるようにして睨む久我の顔をぼんやりと眺めながら俺は呟いた。

遙斗

先輩は…?

遙斗

先輩はどこに行ったんだよ?
さっきまで、そこにいただろ…

一縷の望みを込めて俺は久我に、そう尋ねた。

そうだ。
先輩の中に、あんなデカい蜘蛛が入っていたはずがない。
きっと俺は幻覚か何かを見ていたに違いない。
先輩も、きっとどこかに…

…彼女はもういない

俺の目を見たままで久我が静かに語る声がヤケに耳に響いたような気がした。

おそらく、あの大蜘蛛に
喰われて…

遙斗

遙斗

嘘だ…

先輩がもういないなんて…
いや、あんな馬鹿デカい蜘蛛がいて、人間を喰うなんて、そんな馬鹿げたことがあるはずがない。

現実を見ろ、佐上

彼女は…
死んだんだ

遙斗

死…

その言葉が強烈な重みを持ってのしかかってきた。

遙斗

何で…

何で先輩が死ななきゃいけないんだ?

美緒先輩は笑顔のかわいい人だった。
明るくて、ハキハキしていて魅力的な人だった。

ガルゥ!

不意に険しい犬の声が聞こえ、俺はほとんど反射的にそちらを見た。

俺達から離れた所で巨大な蜘蛛に大きな白い犬が向かっていくのが見えた。
白い犬は蜘蛛を威嚇するように左右へと跳び、隙を見ては蜘蛛の脚に牙を剥く。
蜘蛛もまた、自分に向かってくる犬を複数の脚を振り上げ払っては振り下ろすことによって威圧していた。
おそらく犬は大蜘蛛の胴を狙っているらしいが、幾つもある長い脚が邪魔をして、そこまで到達できないようだった。
飛びかかろうとする所を蜘蛛の脚に払われては地に叩きつけられるが、すぐに立ち上がっては蜘蛛に向かう。

だけど…

どう見ても蜘蛛の方が強い。
俺には、そんな風に見えた。
犬も素早く立ち向かっては蜘蛛の脚に噛み付いたり、前脚で引っ掻いたりはしているが、蜘蛛の動きが弱ったようには見えない。

起こった現実を受け入れられないまま、いやむしろ、重くのしかかる現実から目を背けたいが為に、俺は敢えて目の前で繰り広げられている光景を、ただぼんやりと眺める。
何の感想を抱くこともなく…

ギャン!

俺が漠然と判断していたように、蜘蛛の脚に取り付いていた犬が、蜘蛛が大きく脚を振るったことにより勢いよく弾き飛ばされる。
そして、硬い板間に思い切り身体を打ち付けた犬は小さく痙攣した後、動かなくなった。

フェリス!

犬の悲鳴に久我が叫ぶ。
そちらに向かって踏み出そうとした、その動きがとっさに止まる。

大きな蜘蛛がこちらへと顔を向けていた。
昆虫の無機質な複眼が俺達の方を見る。

ああ、そうか。
俺は、ここで死ぬんだな…
考えるとはなしに、そんなことを思う。

蜘蛛が床に倒れた白い犬に背を向け、こちらへと体の向きを変える。
美緒先輩も、こんな風にこの蜘蛛に追いつめられて喰われたのか…



恐怖ト絶望コソ最高ノ美味





不意にまた、頭の中に、あの声が聞こえてきた。

ふざけるな!

俺の前に出た久我が腰を落とし、蜘蛛に向かって構える。
何か格闘の心得でもあるのだろうか。
その構えは決して素人がするようなものには思えなかった。
だけど、そんなことはもうどうでもいい。

遙斗

先輩…

美緒先輩を助ける為に、俺は彼女を必死に捜した。
この不気味な館で先輩を見つけた時には必ず2人で帰ると決めた。
そう決意して、どんなに苦しくても不安に押しつぶされそうになっても、必死で走り続けてきたというのに…

なのに、その先輩はもう…



佐上君





遙斗

!?

自棄(やけ)になって目をそらせた時、不意に美緒先輩の声が聞こえた。


私が佐上君を呼んだのは
助かりたかったからなんだよ





遙斗

……

そうだ。
俺だって先輩を助けたかった。
だから、すぐに駆けつけた。
このおかしな場所で恐怖で気が狂いそうになっても必死に耐えた。


私が佐上君を呼んだことで、
佐上君が危険な目に遭っても
私は助かりたかったの





遙斗

…?

先輩、何を言ってるんだ…
いや、どこから先輩の声が?

それが目の前にいる大蜘蛛以外にはないというのに、俺は思わず部屋を見回した。



君を犠牲にして助かるつもりだったのに
君は役立たずだね





それは辛辣な皮肉だった。
だけど聞こえてくるのは間違いなく先輩の声で…

遙斗

せんぱ…

聞くな!

美緒先輩の声に応えようとした俺の声に久我が叫ぶ声が重なった。

喰った者の力を使っているんだ。
お前の先輩じゃない




あははは。
先輩じゃないだって





黙れ!




ワタシなのにね…
ねぇ、佐上君?





止める久我を無視して先輩の声は俺に語り続けていた。

遙斗

………

ふと目を閉じて考える。
これは間違いなく美緒先輩の声だ。
屈託のない可愛い笑い声、俺に語りかける明るい声。


死んでよ、佐上君。
この役立たず





遙斗

その言葉を聞いた瞬間、カッと頭に血が上った。

遙斗

黙れ!

俺を庇うように前に立った久我を押しのけ、俺は大蜘蛛に向かって叫んだ。

遙斗

これ以上先輩を
侮辱するな!

腹の底から叫んで片手に持ったままだった刀の鞘を強く握り締める。

先輩は…
美緒先輩は、そんなことを言うような人じゃない。
彼女はいつでも友達や先生の話を楽しそうに話していた。
人を褒めることはしても貶(おとし)めるようなことは決してしない人だった。
それなのに先輩の声で…

あの美緒先輩のきれいな声で、下衆なことを言うのが許せなかった。


死ネ、役立タズ





遙斗

黙れっつてんだろっ!!

叫んだと同時に刀の鞘を握り締め、大蜘蛛に向かって走り込む。
このフザけた化け物をボコボコにしてやらなければ気が済まなかった。


愚カナ…





そう頭の中に響いたのは先輩の声ではなかった。

遙斗

馬鹿はお前だっ!

言いながら渾身の力を込めて、手にした刀の鞘で蜘蛛に殴りかかる。
だけど、大蜘蛛は無造作に前脚を上げると、難なく刀の鞘を止めた。

遙斗

くっ…

昆虫のギザギザと節のある脚が刀の鞘に食い込むような形になって、それ以上、押しも引きもできなくなる。

佐上っ!

後ろから駆け寄ってきたらしい久我の声が聞こえた。



遅イ…




脳裏に声が響いた次の瞬間、蜘蛛の複眼が一斉に俺を見た。
鋭い牙を振りかざし、奴は俺の頭を食いちぎろうとするかのように、それを一気に振り下ろす。

死ぬ…!

その時になって、怒りに押されて忘れていた恐怖が一気に蘇ってきた。

恐怖と絶望こそ最高の美味…
そう言っていた蜘蛛の言葉を思い出す。
俺はただ奴の思惑通りに動いただけ。
最初から最期まで…


グルルルル…

どこから飛びかかってきたのか、俺を噛み砕こうとした大蜘蛛の首と胴の付け根に白い犬が思い切り噛み付いていた。

遙斗

うわっ!

ギィーという耳障りな甲高い悲鳴だか絶叫だかを上げた蜘蛛が暴れ、俺は突き飛ばされるような形で後ろへと弾き飛ばされる。

ウゥゥ…

蜘蛛の首に噛み付いたままで低く唸った犬が、首を左右に振るようにして大きく動かした。

それを振り落とそうと蜘蛛は何本もの脚を上げていたようだったが、首と胴とのつなぎ目に噛み付いた犬に届くことはなく、その動きがだんだん弱くなってくる。

ガルゥ!

やがて犬が一際大きく唸るように鳴くと、犬が噛み付いていた蜘蛛の体から赤黒い血のようなものが溢れ出してきた。

その時になって、ようやく白い犬は大蜘蛛から牙を放すと、暗い板間へと降り立った。

大丈夫か、佐上

いつの間にか俺の横に来ていた久我が床にへたり込んだままだった俺に手を差し伸べる。

遙斗

ああ、大丈夫だ…

久我に応えながら、俺は赤黒い血を流しながら床へと倒れていく大蜘蛛を見た。

遙斗

終わった…のか?

ああ…

佐上が隙をつくってくれたから
上手くいったな

久我の手を借りて立ち上がりながら聞くと、奴は何とも言えない顔でそう言った。

だけど無茶しすぎだ!

けど、その後ですぐにも俺を睨むようにして怒鳴ってくる。

遙斗

いや、まあ何だ…

その勢いに押されて思わずたじろいでいる時…



サガミクン…





遙斗

……

突然、その声が聞こえた。
聞き間違いようのない美緒先輩の声で…

遙斗

お前、
まだそんな事を…

まだ、これ以上先輩を汚すつもりなのか…
怒りに任せて言い返そうとした俺の視界から蜘蛛の姿を追い出すように黒い影が割って入ってきた。

フェリス

聞いてはなりません

蜘蛛に背を向ける形で俺の方を見て彼はそう言った。

遙斗

あんた、いったい…

フェリス

帰りましょう

フェリス

この場所は主(あるじ)を失った。
すぐにも消滅します

その言葉はたぶん本当なのだろう。
聞きたいことはたくさんあったが、今がその時でないのは分かる。

こっちだ

俺を先導するように歩き始めたクラスメイトの後を追って、俺もまた色々なことがあった、その部屋を後にした。

部屋を出る時、一瞬、背後を振り返りそうになる。

フェリス

……

だけど、それは俺の背後を守るようにしてついてきていた神父が無言で首を左右に振ることで止めた。

遙斗

……

何とも言いようのない想いを胸に、俺達は大蜘蛛の巣を立ち去った。




















電柱に備えられた外灯の光が暗い夜道を
照らし出している。



かつて不規則な明滅を繰り返しては、時折完全な闇を作り出していた、その外灯はもう点滅してはいなかった…












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