週明けの月曜日の放課後、皆が帰り支度を始め、人もまばらになった教室で俺は前の席の方へと向かっていた。

















遙斗

ちゃーっす!

……

呼びかけたのはクラスメイトの久我光。
先週末、美緒先輩とデートに向かう途中で偶然会った。

遙斗

元気してたか、
久我っち!

……

めいっぱいフレンドリーに呼びかけると、久我はムッとしたような表情で俺を見た。
…というより、俺はこいつが笑っているのを見たことがないような気がする。

ていうか、勝手に変な
呼び方するな

遙斗

えー、何で?
いいじゃん、別に

それより何か用か?
オレ、今から帰るんだけど

遙斗

用って程でもないんだけど、
こないだ会ったとこだし
挨拶でもしとこうかと思って

いかにも面倒そうに言う奴に対して、「あ、それじゃ」なんて言うのもどうかと思ったので、そう答えた。

…で、何でこんな時間なんだ?
もう放課後だぞ

遙斗

やー、
朝うっかり寝坊しちまって
遅刻ギリギリだったしさ…

遙斗

昼休みは飯食って昼寝してたら
声かけそびれたんよ

お前はずっと寝てるのか?

遙斗

失敬な。これでも一応
きちっと勉強はしてるんだぞ

遙斗

昨日だって遅くまで勉強してたから
日中眠い訳でだな…

それで授業中に寝ていて先生に
怒られてたら本末転倒だな

ああ、そういや担任の授業中に、うっかり眠くなって注意されたんだった。
すっかり忘れていたことを指摘され思わず頭を掻く。

遙斗

ま、寝る子は育つって言うしな

それ以上でかくなる気かよ

などとジト目で言ってくるのは、身長の低さを気にしているのかもしれない。
俺は背の高い方だし…

遙斗

そういや、こないだ教会にいた
神父さんて久我っちの知り合い
だったりすんの?

フェリスのことか?

何となく空気が冷たくなったような気がして、とっさに話題を変えると、すぐに奴は聞き返してきた。

遙斗

そうそれ。
何かお互い名前で呼んでたしさ

あいつは家に
下宿してるんだ

遙斗

へえ、
神父さんが下宿?

フェリスは父さんの
友達だからな

日本に来ることが決まった時
たまたま家の近所だったから
家の両親が申し出たんだ

遙斗

神父さんが家にいるって
何か堅苦しそうだな…

神父さんに限らず坊さんだったとしても、宗教関係者が家にいると、どうしても息が詰まりそうな気がする。
俺が自堕落な生活を送っているせいかもしれないが…

で、フェリスに
何か用でも?

遙斗

いやいや
とんでもない!

遙斗

何か先輩が格好いいって
褒めてたからさ…

……

お前、あの先輩と
付き合ってるのか?

遙斗

Oh,yes!
Yes,of course!

何で英語なんだよ

遙斗

それが聞いてくれよ、久我っち!
美緒先輩、すっげー可愛いんだぜ

遙斗

話をしてて笑った時の顔とかさ、
お茶してる時の仕草とか、
暗い所を怖がっちゃうとことかさ

惚気ならまた今度

遙斗

おーい!

勢いに乗って話し出したところで鞄を持ち上げた久我が俺に背を向けた。
そして、俺に構うことなく廊下の方へと向かっていく。

遙斗

っとまあ、バカ言ってる
場合じゃないな

一瞬、のろけ話くらい聞いてくれたって減るもんじゃなしとも思ったが、向こうには向こうの都合があるのだろう。

遙斗

引き留めて悪かったな

そう考えて、俺は久我の背中に向かって声をかけた。

遙斗

俺も先輩と待ち合わせてるから
もう行くわ

……

悪びれずに言うと歩みを止めた奴が俺を見る。

遙斗

また暇な時にでも
のろけ話も聞いてくれよな

……

気が向いたらな

それだけを言うと奴は教室から出て行った。
何だ、気難しい奴かと思っていたが意外に話しやすい奴じゃないか。
もっと早く話してれば良かった。

遙斗

さてと、俺も美緒先輩を待つかな

そう呟いて、俺もまた教室を後にした。























遙斗

美緒先輩遅いな

俺が教室を出てから半時間程が過ぎた。
いつものように校門の前で美緒先輩を待っていたが、まだ彼女は来ない。
さっき送ったLINEも未読のままだ。

遙斗

しかたないな。
電話してみるか…

ぼやきながら先輩の番号にかけた時だった。

美緒

佐上君!

遙斗

美緒先輩

美緒

ごめん。
かなり待たせちゃったね?

遙斗

いやいや!
全然オッケーっすよ

遙斗

ノープロブレムっす!

そう言ってから俺は先輩が校舎の方を見ている事に気がついた。
誰か探しているのだろうかと思って見てみると、校門に向かう生徒の中に美緒先輩の友達の姿が見えた。

美緒

ごめんね、佐上君

美緒

実は今日、優花達と一緒に
買い物に行くことになっちゃって…

遙斗

あ、そうすか…

俺と一緒に帰るより友達との買い物かと、ちょっとばかり思わないでもなかったが、先輩にも先輩のつきあいっていうものがあるだろう。
それに友情だって大切だろうし…

美緒

優花の彼氏のプレゼントを
選ぶのを手伝って欲しいって
お願いされちゃって…

美緒

あの子、結構悩んでたみたい
だから放っておけなくてね

遙斗

了解っす

申し訳なさそうに言う先輩に俺は笑って見せた。
肩すかしを食らったようでスッキリしないが、ごねて女々しいことを言っても印象が悪くなるだけだ。
ここは懐の広いところも見せておかないと…

遙斗

美緒先輩と一緒に帰れないのは
残念だけど、彼氏のプレゼントは
大事っすからね

美緒

ごめんね。
この埋め合わせは
またするから

遙斗

大丈夫っす。
気にしてませんから

美緒

ありがとう
佐上君

笑いながら言うと美緒先輩も笑った。

遙斗

んじゃ、また明日
会いしましょう

美緒

ええ。
また明日ここで

急いでいるように俺に応えると先輩は友達の方へと自転車を押しながら走って行った。
それから俺の方に向かって片手を上げると、友達と一緒に歩いていく。

遙斗

調子こいたせいか…

調子に乗って久我に先輩のことを、のろけたりしてたら、この様だ。
人間、調子に乗るなということなのだろう。

遙斗

へこんでても仕方ない。
俺も帰るか

独り言を呟き、俺は自宅の方へ向かって歩き始めた。



























遙斗

正解率は9割ってとこか。
まあ、こんなもんだろ

参考書の解答頁をチェックし終え、俺は深い溜息と共に呟いた。

学校では寝ている事の多い俺だが、一応それなりに勉強はしている。
とはいえ、最近は美緒先輩と遊び歩いたりしている事も多かったから、ややサボり気味になっていたのは否めない。

遙斗

もう、こんな時間か…

そう呟いて、ペンを置くと思い切り背伸びをした。

壁の時計は10時を過ぎていた。
こんな時間だというのに俺の親は、まだ出張先から戻っていない。
予定では今夜帰ってくるはずなのだが、まだ着かないらしい。
…というより、もしかしたら出張が延びて、また宿泊してくるつもりかもしれない。

遙斗

ったく、いつも仕事仕事って、
ああいうのをワーカホリックっ
て言うんだよ…

ぼやきながら参考書を閉じる。

遙斗

ちょっと腹減ったかも…

自分一人の食事を作るのも億劫だったので、冷蔵庫に入っていた物を適当につまんだ。
そのせいで、こんな時間に空腹を覚えたのだろう。

遙斗

夜食でも食ってくるか…

この時間なら近くのコンビニに行くのもいいだろう。
そんな事を考えながら立ち上がると不意に充電中のスマホからコール音が鳴った。

遙斗

こんな時間に誰だ?

小さくぼやきながらも、もしかしたら美緒先輩かもしれないと、すぐにスマホの方へと向かったあたり、我ながら現金だと思う。

遙斗

ってか、本当に先輩だし!

スマホの画面には美緒先輩の名前が表示されていた。

放課後、校門の前で別れた時、先輩は急いでいるようだった。
そのお詫びに電話をかけてきてくれたのかもしれない…なんて都合のいい事を考え、俺は通話をスライドした。

遙斗

もしもし、先輩っすか?

もしもし…

通話に応えた途端、スマホから先輩の声が聞こえてきた。
だけど、先輩の声と一緒にザーという雑音が混じっている。
いや、むしろ雑音に先輩の声が混じっていると言った方が近いかも知れない。

もしもし…
もしもし!

電話の向こうの先輩の声は小さくて聞き取り難かった。

遙斗

もしもーし?

遙斗

ちょっと声が遠いんすけど?

何度も、もしもしと繰り返す先輩に大きめの声で言うと更に雑音が大きくなった気がした。

遙斗

あー、ちょっと電波が
悪いみたいっすね

佐上君…?

俺の声が聞こえてなさそうな先輩の様子と通話に混ざる雑音から判断して言うと美緒先輩が俺の名を呼んだ。
けど、それは通話の相手が俺だと確認したというよりは何か呆然と呟いたかのような声に聞こえる。

遙斗

はい。
佐上遙斗っす

遙斗

どうしたんすか
美緒先輩?

先輩の声の調子に何か腑に落ちないものを感じながら俺は先輩に呼びかけた。

佐上君!

その途端、スマホの向こうで美緒先輩が叫ぶ。
気のせいか、何かせっぱ詰まったような声だった。

お願い…
すぐに来て!

哀願するかのように言った先輩の声は今にも泣き出しそうな感じに聞こえた。
相変わらず雑音がうるさくて聞こえ難いが、先輩の声からは緊迫した様子が聞き取れる。

私…ところに…
て……なくて

先輩の声は涙声で途切れていて何を言っているのか、よく聞き取れない。

遙斗

大丈夫。
聞いてますから、まずは
落ち着いてください

スマホの向こうで泣いている先輩を落ち着かせるよう声をかけながら、俺の心には焦る気持ちが込み上げていた。

とてつもなく嫌な感じがする。
先輩はもしかして、まだ家に戻っていなかったのではないのだろうか?
そして、帰宅途中に不審者か何かにでも追われているのでは…

そう考えると、いても立ってもいられない。
だが、まずは先輩を落ち着かせて、状況を聞き出すのが先だ。

遙斗

先輩、今どこっすか?

スマホを持ったままで俺は扉の方へと向かった。

どこって…
そんなの…

遙斗

大丈夫です。
すぐ行くんで落ち着いて、
今いる場所を教えてください

今いる…

遙斗

今、先輩がいる所っすよ。
家じゃないんすよね?

家よ…
家の近く…

優花達と別れて…
家まで後少し…
…ところで…

そこまで言った時、先輩の声が急に途切れた。

遙斗

先輩!

や…

その事に焦りを覚え叫んだ途端、美緒先輩の声が微かに聞こえた。

遙斗

先輩、大丈夫っすか!?

問いかけた途端、キィンという高い音が聞こえ、続いて耳が痛くなるような衝撃音がした。

遙斗

先輩?

スマホから先輩の声が聞こえなくなる。
さっきの衝撃音からすると、先輩がスマホを落としたのかもしれない。

遙斗

先輩!

……

呼んでも無駄だと思いながらも必死に呼びかけたが先輩からの返事はない。
ただ耳障りな雑音だけが聞こえている。

遙斗

美緒先輩っ!

一向に返事のないスマホに向かって呼びかけた時、不意に通話が切れた。

遙斗

何だ…?

遙斗

いったい何だってんだよ!

落ち着け。
俺が焦ってどうするんだ。
焦る気持ちを落ち着けて着信履歴にかけ直す。

遙斗

………

遙斗

くそっ!
やっぱり出ないか…

思わずスマホを叩きつけたくなるのを堪え、俺は先程の会話を思い出していた。

遙斗

確か家の近くって言ってたよな…

電話が通じないのなら行くしかない。
そう考えて、俺は部屋を飛び出した。


























先輩の家の近くで俺は自転車をこぐ足を止めた。
俺の家から先輩の家までは少し距離がある。
走っていたのでは時間もかかるし体力ももたないだろうと思って、お袋の自転車を借りてきた。

美緒先輩は友達と一緒に買い物に行くと言っていた。
だったら、駅前の方から帰ってきたはずだから、この辺を通っているはずだ。

遙斗

先輩は、ここまでは
来たんだろうか?

そんな事を考えた時、ふと視界が暗くなった。





 

電柱に備えられた外灯の光が暗い夜道を
照らし出している。


壊れかけてでもいるのだろうか。


その外灯は不規則な明滅を繰り返し、
時折完全な闇を作り出していた…















遙斗

………

そういえば、先輩はこの壊れかけた外灯が気味が悪いと言っていた…
不意にそんなことを思い出した。

あの時、美緒先輩は友達から聞いたとかいう話を話していた。
確か点滅する外灯の光が消えた時に、その下を通ってはならないとか何とか…

遙斗

止めとこう。
こんな時に…

こんな時につまらない怪談を思い出すなんて縁起でもない。
漠然とそんな事を考えた時、視界の隅で何かが動いたような気がした。


遙斗

先輩!?

……

とっさにそちらの方を見ると、のっそりと歩いていた大きな白い犬と目があった。

遙斗

何だ、犬か…

思わず拍子抜けして文句を言う。

遙斗

お前、ずっと
ここにいたのか?

……

遙斗

ここを女の子が
通らなかったか?

遙斗

すっげー可愛い子がさ

俺が尋ねると、犬はわずかに首を傾げるような仕草をした。
犬に聞くなんてバカげていると思いながらも、そんな事をしたのはよほど気が焦っていたのかもしれない。

………

犬は俺の顔をしばらく見上げた後、再びのっそりと歩き始めた。

当たり前だ。
犬に会話が通じる訳がない。

クゥゥン

俺から少し離れた所で立ち止まった犬が小さく鼻を鳴らした。

それに応えるように犬に向かって手を差し出したのは…

……

犬がすり寄ったその先、点滅する外灯の光に照らされ、そこにいたのは無口なクラスメイトだった。

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