その男、怠惰につき
2.踊る怠け者





 酒場からは賑やかな音楽が聞こえ始めていた。
 その酒場に一人、女が足早に裏口から入ってきていた。

サリカ

あ、リーフィ姐さん! 来てくれたのね?

 そこにいたのは、艶やかな長い黒髪に白い肌をした女だった。青い布に花の刺繍の入ったベールを被っていたが、それを外してみると、いっそう彼女が整った顔立ちをしていることがわかる。どことなく繊細で冷たさを感じるほど涼しげで、硝子細工を思わす人形のような顔の美人だ。カタスレニアにかわいい子がいる酒場があるといっても、彼女だけはちょっときれいすぎる部分がある。

 しかし、彼女もどこか変なところがある。なんというか愛想がない。愛想がないのならいいのだが、どちらかというと無表情だ。それでも、彼女はサリカに笑いかける。といっても、笑ったのかどうなのかわからないほど、微妙な表情の差だ。そう、彼女の不愛想さには悪気はない。本人はそれなりに愛想よくしようと努力している形跡もあるが、あまり努力が実っていないだけなのだ。

リーフィ

遅くなってごめんなさい、サリカ

サリカ

ごめんね。お仕事忙しかったんでしょう?

 サリカにとっては、それはいつものリーフィの姿だった。

 サリカにとってはライバル店の看板娘に当たるリーフィであるが、存外に彼女たちの横のつながりは強く、店同士も別に仲が悪いわけではない。むしろ、こうやってお互い協力することも多いのだ。それなものだから、今日は踊り子が急病で来られなくなって困った亭主が、サリカの伝手をたどってリーフィに応援を頼んだということだった。リーフィももちろん仕事があるのだが、それがある程度終わってからここに駆けつけてくれたようである。

リーフィ

遅くなっちゃって大丈夫だったかしら

サリカ

あー、それなら大丈夫よ。男だけど、一応、代役がいるから。ちょうどリーフィ姐さんの前座にはぴったりだったわ

 サリカはそういいながら、リーフィを中に案内する。
 なるほど、先ほどから音楽が聞こえるのは、すでに誰かが踊っているからのようだった。甲高い硬質な打弦楽器の音と調子よく刻まれる太鼓と金物のリズム。時折、喝采が起こっているところを見ると、かなり場が盛り上がっているようだ。
 リーフィがひょこんと覗いてみると、舞台……といってもものをよけて床に絨毯を敷いただけだが、その上で青いマントを翻しながら、誰かが踊っている。

 音楽に合わせて軽妙に、しかし、決めるところは決めながら。身も軽いらしく、扇を持っているがそれが妙に華麗だ。
 踊る男は、青い羽根飾りのついた仮面をつけていた。口の部分しか見えていないので、一見誰だかわからず、いつもより少しだけかっこよくみえていた。サリカはその中身が誰だかもちろん知っているが、それでも思わず、わあと感嘆してしまうほどだ。

サリカ

へえ、普段から踊りだけは自慢できるとか言ってたけど、意外とやるのねえ。あ、でも、もうすぐ終わりだから、そうなったらリーフィ姐さんと交代ね


 そう彼女に話しかけるが、リーフィから返事がない。サリカが彼女を見やると、リーフィはなぜか真剣な顔をして踊る男を見ていた。

サリカ

どうしたの、リーフィ姐さん? アイツ、なんかリーフィ姐さんに変なことでも……


 サリカは、てっきりあの腐れ三白眼がリーフィになんぞセクハラでもしたのではないかと心配した。もちろん、シャーはリーフィにも一通り声をかけているのだ。何か失礼なことでもしでかしたのだろうか。ところが、リーフィはてんで話を聞いている様子ではない。
 しばらくじっと彼を見やった後、大きくうなずいた。

リーフィ

あのひと、できる!

サリカ

できる……って?

リーフィ

……ものすごく動きのキレがいいし、足も上がってる。タダものじゃないわね、彼

サリカ

そ、そうかしら……

サリカ

いやでも、リーフィ姐さん、あれの中身はね、腐れ……

リーフィ

サリカ!


 慌てて彼女に正体を説明にかかったサリカであったが、普段はおっとりしているリーフィが、なぜか急にばっと素早く彼女に向き直ったので面食らった。

リーフィ

あのひとの後に踊るだなんて、とんでもないわ。負けてられない感じがするわ! 私も頑張らなきゃ……! 早速、準備してくるわね!


 リーフィは、ぐっとこぶしを固めると着替えの準備をするのか、あっけにとられている彼女を置いて、控室に走って行ってしまった。

サリカ

リーフィ姐さん、何変なところに闘志燃やしちゃってるの……。あの中身はアイツなんだってば

 冷静で落ち着いたリーフィは頼りになる存在なのだが、何かどこかがズレている部分があるのだった。

*









 酒場から流れる音楽の雰囲気が変わっていた。先ほどは、どちらかというと激しい音楽であったが、今度はしっとりとしたものだ。

なんだ、女でも踊ってんのかな?


 先約である会合を別の酒場で済ませた後、家で飲んで帰ろうと思っていた男たちは、約束通り酒と肉を取りに酒場に向かっていた。すっかり日が落ちて真っ暗になった路地裏は、人通りが少なかった。狭い路地が入り組んでいるここいらは、暗くなったあと下手に歩くと迷うほどだ。男たちが適当に歩いている道も、もしかしたら遠回りになっているのかもしれなかった。

イイ女ならさらっちまおうか?

それもいいが、あんまり騒ぎ大きくすると面倒だぜ?

かまわねえって! そんな文句言いそうなやつ、いなかったじゃねえか


 男たちは下卑た笑い声をあげながら道を進んでいたが、ふと、一番前を進んでいた男が唐突にぎゃっと声を上げて倒れ込んだ。何か目の前から飛んできたようで、それが地面に落ちてからんと音を立てる。星明りで見れば、どうやらただの木の棒らしい。

へへ、待っていたぜ。チンピラども


 声をする方を見てみると、誰かが木箱の上に座ってその辺で拾ったらしい木片を弄んでいた。

誰だ、テメエは!

シャー

誰だっていいだろ。テメエらに名乗ってやるほど親切じゃねーよ

 闇の中で、男の声がそういった。ちっと舌打ちして、血の気の多い男が突っかかる。闇の中にいる誰かは、さっと身を翻して男をいなすと彼の足を引っかけてそのまま転ばせた。そして、そのままマントを翻して彼らの前にたたずんだ。


 目元に青い羽根の仮面をつけた男は、にやりと笑う。その男のかすかに覗く瞳が、夜の星明りにキラリと光り、どことなく青い色を帯びているように見えた。

シャー

預かりものを返してもらいに来たぜ

その男怠惰につき: 2.踊る怠け者 前編

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