不意に店の入り口の方で、何か騒ぎが起きていた。
机が倒されて酒瓶が割れ飛び、がしゃーんと音が鳴る。入り口近くで座っていた男が、入ってきた男たちに胸倉をつかまれて慌てていた。
不意に店の入り口の方で、何か騒ぎが起きていた。
机が倒されて酒瓶が割れ飛び、がしゃーんと音が鳴る。入り口近くで座っていた男が、入ってきた男たちに胸倉をつかまれて慌てていた。
な、なんだい、アレ?
シャーは、不安そうにそちらを見やる。
入ってきた男は五人だ。見ればまだ若い。おそらくシャーよりも年下だろうが、無精ひげを生やした者たちもいるし、服装も派手でかなりおっかない。カタスレニア地区は王都の下町の一部だが、もともとはそれほど治安のいい場所ではない。ヤクザな連中もいる場所もあるし、こうしたチンピラどもが徘徊してもいる。
店に彼らが上がり込んで乱暴を働くのも、ままよくあることである。
ああ、あの餓鬼どもですか
アイツらは最近ここいらで調子に乗ってるやつらなんですよ。なんでも、シャー=レンク=ルギィズの身内って話ですが
また、アイツか
まー、ヤクザ屋さんの抗争には興味ねえけど、一般市民巻き込むのやめてほしいよねえ
そんなことをぼそりというシャーに、カッチェラはやや慌てる。
兄貴、あんまりそんなこと言ってると、目ぇつけられますよ。
大体、兄貴は目につきやす……
おい、何見てんだ、お前!
ほら、来た!
いつの間にか、男たちは店の中に入り込んできていた。さすがにシャーも青ざめる。カッチェラは、とみてみると、彼は三白眼の兄貴をアッサリ見捨てて、すでに他人のふりをしていた。今まで彼をはやし立てていた連中も同じである。
ちょ、お、お前ら、薄情もの……
小声でシャーは助けを求めてみるが、残念ながらシャーのいわゆる”舎弟”達に腕の立つ人間はいないのだ。みんな冷たく他人のふりである。
お前、俺たちを見ていたよな?
一人、単発で顔に傷のある大男がシャーに近寄ってきて凄む。
本当に、シャーという男は目につきやすい。ちょっと奇妙な風体で目立つし、第一、目つきがよくない。ぎょろっとした三白眼で彼らを一瞥しただけなのだが、その視線だけで何もしていないのに挑発扱いにされてしまうのだ。
見てただろ?
え、えええ、いやその、見てただけですよ
といって、逃げの姿勢をとってみるが逆効果だったらしい。あっという間に胸倉をつかまれてしまった。
気にくわねえ顔してるなあ
正直、そんなこと言われても困る。シャーだって、こんな顔に生まれたくて生まれたわけではないのだ。できたら、もうちょっとイケメンに生まれていれば、女の子にももてたし、こんな風に絡まれることもなかった。
い、いえ、本当に、なんというかすみません。生きててすみません
とりあえず、こういう時は謝るに限るのだ。シャーは意外と背が高いのだが、ひょろっと痩せている。長身痩躯といえばかっこいいけれど、どちらかというと風に飛ばされそうな貧弱な感じ。ありていに言えば弱そう。もちろん、誰もシャーに勝ち目があるとは思っていない。
そんなとにかく荒事には向かないシャーだったのだが、そんな彼は実は一つだけ、不相応なものを持っている。
ん?
なんだ、お前。いいもんもってんじゃねえか?
シャーは腰に濃紺の帯を巻いているのだが、そこに刀が差してある。
この国の成人男子は基本的に刃物を腰に差す。文無しのシャーとて、例外ではない。通常、短剣であることが多いが、シャーは一文無しの癖になぜか長剣を差していた。
しかも、その剣が非常に珍しい。装飾は比較的簡素であるが、鍔には細やかな細工がされている。東方風の装飾のようだが、男にはそれがどこのものかはわからない。
それ、貸せよ
男に剣を取られそうになると、一瞬シャーは抵抗するそぶりを見せたが、ふと周囲に目をやって手を止めた。代わりに、追従するような態度になって、ねこなで声を出してみる。
いや、ちょ、それだけは……。こ、これは、オレの唯一の財産でして……
へえ、ずいぶん珍しいもんだなあ。見ろよ。お前こういうの好きだろ
男はシャーにかまわず、強引に剣を鞘ごと抜き取ってしまうと、近くにいた細身の男に差し出した。
あああ、ちょっと、それ、オレのーーー!!
へえ、こんな刀初めて見たぜ。東から海越えて輸入した剣がそういえば、こういうのだったかな
細身の男はそう言って、刀身を鞘から抜いた。酒場の中に剣呑な青銀の光が走る。かすかに反りがあり、片刃。刃の表面には複雑な波紋が浮かび上がっていて、妙な凄味があってみるものをぞっとさせる美しさがあった。
だ、ダメだって! それは、返してくださいよ!
うるせーな! お前にもどうせ使いこなせないだろうがよ! 俺たちがもらっておいてやらあ!
で、でも、使い方難しいんですって
だったら売ればいいだけの話だろ。これはいい金になるぜ
細身の男が口を挟んできた。余計なことを、と思いつつ、シャーはどうしたものか考えていたが、そのうちに他の三人が騒ぎを聞きつけて出てきた亭主に、酒と肉を用意しておけと告げていた。
亭主が怯えながら尋ねると、この先にある酒場で先約があるとかいう話をしている。
先に金払えばいいんだろ! ほらよ!
そういって、一人の男が金を渡すと、亭主はとりあえず礼をいい、これ以上騒ぎが起きないようにそっと彼らを見送ってしまう。
おい、いつまでそいつに絡んでるんだよ。もう行くぜ
おう
そういっていきなり男はシャーを突き飛ばした。床に投げ出されつつ、シャーは慌てて起き上がって男たちに呼びかける。
あ、ちょっと、オレのー! 返してー!
シャーの呼びかけなど無視して、男たちはさっさと外に出て行ってしまった。
兄貴兄貴、あきらめましょうよ
だ、だって、アレはシャレにならねえんだって。すげー大切にしてんだよ
兄貴には使えないもんじゃないですか。いつも言ってるでしょ、飾りで差してるんだって
そ、そりゃー、その、そうなんだけどさあ
質にいれたんだと思ってあきらめましょうよ
質草って、金ももらってないのにあきらめられるわけねえだろが、ちょっと追いかけて交渉して……
そこまで!
と、いきなり首根っこをつかまれた。振り返ると、さっき彼が口説いていた酒場の女の子が彼の首根っこをつかんだまま立っている。
な、なあに? サリカちゃん、オレ、今超忙しい……
忘れたの? アンタ、この間のうちのツケ、体で返すって約束したわよね?
そ、そんなのしたっけな?
すっとぼけてみると、サリカに睨まれてしまいシャーは慌てて口を噤む。
今日は、踊り子さんが急病でこれなくなってショーが大変なの。リーフィ姐さんが来てくれるんだけど、ちょっと遅れてくるってきいてね。あんた、確か踊りは好きだったわよね? この間のツケ、それで返してくれるわよね?
う、……いや、でも……
そ、それはそうだけどさあ。今はちょっといろいろ……
と言いかけたが、サリカの後ろで酒場の亭主がこっちを見ていた。
黒幕は貴様かー!! オッサン!!
とはいえ、サリカちゃん、振り切れるほど強引には持ってけないし。
とほほ……
ま、参ったな
うーん、しょうがないな。まあ、どうせ後でここに来るみたいだし
仕方がない。その時に剣を返してもらうように”交渉”するしかない。