その狼は、ただひたすらに森の中を駆けていた。
 何かから逃げるかのように。
 捕食者であった彼が、今度は喰われる番となる。

ヴォルヴァイン

……っ!

 横っ腹の辺りには刃物で切られた傷があって、そこからは点々と血が滴っていた。
 全力で駆けているせいだろう、止まる気配がない。

ヴォルヴァイン

っ!

ローティア

うわっと

 急いでいたからか、人の気配に気付かなかった。
 ぶつかった相手は赤ずきんだった少女。衝撃で尻餅をついている。

ローティア

いきなり、何? ん…………犬?

ヴォルヴァイン

バウバウ(犬じゃない、狼だ)!

ローティア

……可愛い。

 (伝わらない)反抗もむなしく元赤ずきんに犬認定されてしまったヴォルヴァイン。
 元赤ずきんは彼の前にしゃがみ、手を差し伸べる。

ローティア

私はローティア。あなたは……うーん……ヴァルヴェルト!

ヴォルヴァイン

グルルルル(俺はヴォルヴァインだ)!

ローティア

あら、そんなに嬉しいの? ふふふ。

ヴォルヴァイン

バウワウ(嬉しいわけあるか)!

ローティア

さあ、いきましょう、ヴァルヴェルト。今日から私が、あなたの飼い主よ。

ヴォルヴァイン

ガウガウ(誰が飼われるか)!

ローティア

ん? どうしたの? ヴァルヴェルト。なになに? ……血?

ローティア

怪我、してるのね。前の飼い主はひどい人だったのかしら。大丈夫よ。今から、傷に効くお薬を貰ってくるから。ああ、でも一人だと寂しいわよね。じゃあ……あ! あそこなら! ちょっとついてきて。

ヴォルヴァイン

ワウワウ(お、おい、どこ連れて行くつもりだ。おい)!

ローティア

ほら、着いたわよ。

ヴォルヴァイン

ここは――!

 森の一角にある、そこだけが別世界かのような花畑。様々な花が咲き乱れ、蝶が舞い、鳥が歌う。
 ここは、ヴォルヴァインにも見覚えのある場所だ。だって、ここは――

ローティア

ここはね、私にとって特別な場所なの。

ローティア

私の、初恋の場所。ここに案内してくれた人が、初めての恋の相手。

ヴォルヴァイン

なんで……なんだ。ここに案内したのって、それに、その後のことは……

ローティア

彼はきっと、私をただの獲物としか見ていなかっただろうし、なんで私もこういう気持ちなのかがわからない。でも、ね。彼が死んだ時、何か失った気がしたんだ。おかしいよね? 騙されて、喰われた相手なのに。

ヴォルヴァイン

……

ローティア

あ、あなたのお薬貰ってこないと。ちょっと行くから、良い子にしててね。

 そう告げ、ローティアは去っていった。

ヴォルヴァイン

なぜ、なんだ。

 何故、彼女は――俺に恋をしたのだろう。
 ここは、俺が彼女に案内した花畑だ。そこを思い出の場所と呼ぶなど信じがたい。だが、あれは恋を語るときの目だ。
 何故、己を喰らった相手に。
 俺は、彼女の肉を、血を、骨を――全部、食べたのに。傷つけたのに。

ヴォルヴァイン

……

「みーつけた!」

ヴォルヴァイン

――っ!

ツィーズィプト

やっと見つけたよ、狼さん。鬼ごっこはもうお仕舞いさ。

 完全に油断していた。もう末っ子はすぐ後ろにいる。
 ――逃げられない! 話がどうだとか気にしている余裕がない。ならば、戦え!

ヴォルヴァイン

バウッ!

 ありったけの力を込め、末っ子の喉笛を噛み潰しに行く。
 それは風のような勢いで、彼の持っているちゃちなナイフでは防げない……彼のナイフでは、だが。

 乾いた音が、響いた。
 重力に従い、落下する体。視線を移すと、一人の男が銃を構えていた。

シェーン

やあ、狼くん。どうやらかわいそうな子山羊を襲おうとしていたんだね。だから、撃たせてもらったよ。

 運悪く近くにいた猟師に撃たれたらしい。面白いことに、赤ずきんのときと同じ猟師だ。

 ……

 ああ、女の子の声がする。そういえば、死にたくないと思ったのは初めてだ。女の子が、泣いている。……ローティアが、泣いている。

第三幕「花に抱かれ、彼は眠る」

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