橋の上で足を止める。

目の前に、姉の靴が川に向かって揃えられていた。

黒のパンプス。

姉が通学時に履いていたもの。

よく遊びに行く私のものよりも綺麗な状態で、半年前に時が止まってしまっていた靴。



その上に見なれた字で『遺書』の文字が置いてある。

――間に合わなかった?

熱くなっていた背筋が一瞬で冷えるのが分かった。


――身体の反応は心の在り方で簡単に変わる。



そんなことは遥か昔に知っていた。

熱湯風呂に浸かっていた姉のとぼけた声を思い出す。

え? 痛くないよ?
熱くないよ?

馬鹿なこと言わないで。

私は熱くなくなった今、寒い。

凍えるように寒い。


動かない身体を叱責するように私は自分の頬を力強く叩いた。

凍りそうになった気持ちを何とか切り替える。

錆びた冷たい欄干にすりつけるように身を乗り出して川面を覗いた。

遠方から届く電灯の光を頼りに姉の姿を探したが、そこには静かに流れる暗澹とした水が映るだけだった。

雪のおかげで明るい夜ではあったが、探し物をするには暗い。

私は無我夢中で携帯を取り出してライトのアプリを起動した。

ほんのわずか、舞う雪の間を縫って水面にLEDの光が跳ねる。

――お願い!

願うような気持ちで何度も光を往復させた。

輪郭の歪んだ光が不安をあおる。

――ねえ

私、こんな風になって、生きていく意味、ある?

いつの日か姉が言っていた言葉を思いだす。

感覚を失ってそう経たないうちだ。

それは、これから見つけていけばいいと思うよ

私はその回答を先送りにした。

ずるいと思う。

だけど、心底思ったのだ。



私が『ある』って言ったところで姉が納得しなければ意味がないって。



『知るわけないじゃん』

『そんなの自分で決めてよ』

『お願いだから、人に自分の人生を預けないでよ』



姉を突き放すそれらの言葉をぐっと飲み込んで、私はそんな風に大人の回答をした。

姉は私の言葉に遠くを見て笑い、言った。

そっか

私はあの時、なんて答えるのが正解だったんだろう。

姉との会話は終止、そんな感じだった。


私は姉の望む回答を一度も返せなかった。


いつも、最後は姉が遠くを見て終わる。


姉は私の理解を諦めるのだ。


私はそんな姉の本心を見つけようとしたけれど、最後までそれを見つけることは叶わなかった。



会話を重ねる内に、姉の中の闇に囚われてしまいそうで怖かった。


私のような弱い光が、姉の闇の中に届く気がしなかった。


ちょうど、今のように。

小さくても良い。姉を見つけることが出来る何かが、光が、欲しかった。

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