笛吹 康大

ありがとうございました!

………結局、放課後も彼についてきてしまっていた。
他に行くところもないし、行きようがないというのもあるが。


しかし、バイトしていたとは。
さっきの店長らしき人と話してるのを聞いたが、一人暮らしをしているらしい。

やっぱりというか、なんというべきか。
まぁ、私は触れないし、見られもしないから、やることもなくコンビニの中をグルグル回っていただけだったが。
目の前に本があるのに触れないというのは、なんと歯痒い事かと雑誌コーナーの前で地団駄踏んだのも、もちろん誰にも見られてなかった。

水島 愛理

それはそれでつまらないけど……

笛吹 康大

マネージャー、レジの点検終わりました

川口 大次郎

はいよ。じゃあお疲れ!

笛吹 康大

お疲れ様です

水島 愛理

あ、待って!

バイトを終えて帰る彼を、私は慌てて追いかけた。

水島 愛理

もう夜になっちゃった……

ここはどこだろう。
そういった疑問を今日一日ずっとひきずっている。


ポケットをまさぐっても、携帯も財布も持っていなかった。
お母さんに連絡もできない。

今頃はきっと心配してるだろうな……

水島 愛理

ん?

彼の足が止まった。

遂に私の気配を感じたのかと思ったが、違った。

笛吹 康大

月がきれいだな……

月を見上げていた。

呟いた言葉には、かすかに息が混じっている。


つられて上を見ると、確かに綺麗な満月だ。
真珠のような輝きが夜の街を照らしてくれる。

水島 愛理

………っ

その時、私はようやく存在を認識されたと思った。


他でもない、満月に。


月の光が、彼ごと私を照らしてくれているみたいで、一気に安心感が体を満たす。

こんな非日常の中で、ようやくホッとできた。

笛吹 康大

平凡に生きて、平凡に人生を終える……それが俺らしいんだろうさ

ふと、彼の呟きがまた聞こえてきた。

それは、今という日常に満足しているようだった。

水島 愛理

………羨ましい

私は、こんな日常が送れないのに
どうして、この人はできるのだろう。


私だって、学校に行きたかった。
バイトだってしたかった。

一人暮らしだってしたかったんだ。


「日常」を生きたかったんだ。

水島 愛理

えっ………?

急に視界がぼやけてきた。

前を歩く彼の輪郭すらおぼろげになっていく。


怖くなって、無意識に手が前に伸びる。







その時――――

笛吹 康大

ん?

水島 愛理

あ………

――――彼と目が合った。

ほんの一瞬、私の意識が消えるまでの数秒にも満たない間、私は彼から目を外せなかった。

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