正太郎の後をつけて、玄関までやってきた百合はいつものように正太郎を見送る。
正太郎は帽子を少し持ち上げると、そのまま仕事へと向かっていった。
じゃあ、行ってくるね
はい、いってらっしゃいませ
正太郎の後をつけて、玄関までやってきた百合はいつものように正太郎を見送る。
正太郎は帽子を少し持ち上げると、そのまま仕事へと向かっていった。
この時代、専業主婦と呼ばれる人はあまりいない。
しかし、遊女上りとなると、やすやすと仕事をするわけにはいかない。
まして、正規の方法で抜けてきたわけではないならなおさらである。
さて、お仕事終わらせちゃいましょうか
百合は玄関を後にすると家事に取り掛かった。
遊女時代には、下積みもかねて、先輩たちの部屋を掃除していたこともあってか、お手の物といった感じだった。
それにしても、こういう場所の掃除は大変ね……
元々は正太郎さんが一人で住んでいたから仕方ないのでしょうけど……
百合はそう呟きながら箪笥の上を掃除しはじめる。
正太郎が自分に合うようなサイズのモノを買っていたためかは分からないが、百合の身長では、箪笥の上までわずかに届かない。
よっ……と…
百合は片足立ちの状態で背伸びしながら箪笥の掃除をする。
時折バランスを崩して転びかけるが、そんなことはすでに慣れてしまったらしい。
さて、買い物にいきましょうか
掃除を終え、洗濯ものを干し終わった百合は、夕飯や日用品をそろえるために買い物へ出た。
ちょっと買いすぎてしまったかしら?
市場からの帰り道、百合は今日の夕飯になるものを両手に抱え帰り道の林道を歩く。
もともと百合は料理をあまりしたことがなかったが、筋がいいのか、基本的なものは作れるようになり、最近では少し手の込んだものを作るようになってきた。
百合は、正太郎の喜ぶ顔が見たい、という一心で料理の腕を上げている。
これもいわば愛の力というべきものなのか。
あら?
帰宅中の百合の前に見覚えのある人影が見えた。
あれは……正太郎さん……?
と、誰?
そこには正太郎と見覚えのない女性が仲良さそうに話していた。
百合は思わず物陰に隠れてその様子をうかがう。
会話の内容は聞き取れないが、二人ともとても仲よさげに話している。
なんでしょう……なんだか、すごくモヤモヤします……
やましいことは無いと思いつつも、なぜか物陰から覗いてしまうのは人の性なのだろうか
どのくらい経ったか分からないが、正太郎と女性は握手を交わし別れた。
帽子をかぶり直す正太郎の姿を見て百合の心はますますざわついた。
私のこと嫌いに……
いや、そんなわけ……
何もないと信じているとは言え、百合の心の片隅にはうっすらともやがかかったような感覚が残った。
やあ百合。今日はちょっと遅かったかい?
先に家の中に入っていた正太郎が百合を出迎える。今日は仕事が早く終わったということで、帰るのが早かったらしい。
いつも通りですよ……
平静を保とうと思っているが、自分の声が震えているような気がしてならない。
百合さん……なんか元気がないような感じがするけど……?
だ、大丈夫ですよ。
もしかしたら、お買い物で疲れちゃったのかも……
そっか
あまり頑張りすぎないでね
そう言って正太郎は部屋へ戻ろうと扉に手をかけた。
あの!
反射的に百合は正太郎を呼び止めた。正太郎はどうした?と言って振り返ったが、そのあとに続けるはずの言葉が出てこない。
「あの女の人は誰?」という言葉が古くなった油のようにねっとりと喉にこびりつくような感覚がした。
百合さん?
ごめんなさい。何でもないです。
……そう……。
正太郎の顔が少し曇ったような気がしたが、何事もなかったように正太郎は部屋を後にした。
バタン、と扉の閉まる音を聞くと百合はその場にへたれこんだ。
意気地なし……
百合は心の中で自分に毒づいた。