正太郎

ただいま

百合

お帰りなさい

仕事から帰った旦那を迎え入れる。
どこに出もある光景の様だが、この会話が二人にとっては大きな意味を持つ。

遊女として育った彼女にとって、心置きなく人を迎え入れるということは今まで無かった。
この何気ないやりとりが、今の生活を実感できる瞬間なのだ。

百合

いつも大変ですね

正太郎

そうでもないさ。
帰ったら誰かがいてくれる。
そう思うだけで仕事もはかどるよ。

百合

なっ……

百合は頬を紅潮させながら俯く。

遊女として身体を売ることには慣れてしまっていたのだが、言葉の愛情表現にはなれていないのだ

端的に言うと恋愛経験がないのだ。

そんな彼女はいつも正太郎の言葉に顔を赤くして俯いてしまうのだ。

百合

いつも正太郎さんばかりずるいわ……

何がずるいのかは百合本人も分からないが、とにかく百合の中でモヤモヤが続いていた。

百合

正太郎さん……
私のことを助けてくれたけど……
私が正太郎さんにできることってなんだろう……

仕事もすべて終わり、布団の中で百合は一人考える。

自分は助けられ、住処も用意してもらい……
相手に対してできていることといえば、正太郎が家を空けている間の家事をこなすこと……

正太郎は何一つ不満を言うことは無いが、それが逆に不安になる。

百合

正太郎さん……

正太郎

なんだい?

百合

その……
私は正太郎さんのことをちゃんとお慕いできてますか?

自分でも質問の意味がよくわからない
ただ、無性にあふれてくる不安を無理やり言葉にしただけだ。

しかし、正太郎はそんなこと気にも留めずに笑顔で返す。

正太郎

もちろんですよ。
気にすることはありません

百合

でも私……何もできてない気がして……
その……

百合が言葉に詰まる。
ここから先に続ける言葉がどうしても思い浮かばないのだ。

しばらく黙ってみていた正太郎は、何も言わずに百合の頭をなでた。

正太郎

百合がそばにいてくれるだけでありがたいんだよ……。
おやすみ、百合。

すべて見透かしているかのように正太郎が言う。

この人はいつもずるい。

私が惚れたところもそう言うところだったのかもしれない

百合

正太郎さん……

百合は最後に愛する人の名を呼び眠りについた。

吉原にいた時とは違う……。

百合は、何かに包まれるように、ゆっくりと眠ることができた。

第続章:新しい生活。    普段の生活。

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