えっ!?

そ、そんなに驚かれます?

 戸惑うようなお姉さんの声で、冷静になる。
 でも、差し出された本に驚いたのは、仕方ないと想ってしまう。

(これって、今話題の……)

 見せられた表紙を知っていたから、逆に、戸惑いを隠すことが出来ない。
 ――しばらく部活の練習が忙しく、他校との合同練習なんかもあって、久しぶりに来てみた本屋。
 お姉さんは、いつもと変わらない優しい笑顔を向けてくれて、気持ちが落ち着いていた。
 だから、なんだろうか。
 なんとなく、今までと違った本が読みたいなって。
 そう、相談してみたのだけれど。

れ、恋愛小説……ですか?

 差し出された本は、テレビや教室などでも話題になっている、高校生の恋を書いた恋愛小説だった。

はい。
今、話題になっている本なんです

そ、そうですよね。
……クラスでも、話題になってますから

ご存じでしたか。
てっきり、こういう本は、読まれていないのかと想っていましたが

 ……鋭い。
 最近の記憶を想い返して、本の説明文みたいな話をいつ読んだか、振り返ってみるけれど。

(あー……やっぱり、出てこない)

 テレビの恋愛ドラマや映画も、雰囲気が苦手で、最後まで見れたことがない。
 なので、みんなから話を振られたりはしながらも、自分から見ようとは想わなかった。話を聞いたり、ちらりと付けっぱなしのテレビで見たことはあったから、雰囲気は知ってはいるけれど。

(なんとなく……苦手、なんだよね)

 本を受け取りながらも、自分が、困った顔を浮かべているのがわかる。
 それでもお姉さんは、いつもと同じ優しい笑顔で、本の説明をしてくれる。

人気があって、これから、もっと好きな人が増えると想いますよ。
特に、同じ年代の子がよく読んでいるみたいですね

 どうでしょうか、と、すすめてくれるお姉さん。
 わたしは、ちょっと声を重くしながら、答える。

いや、でも……似合わないですよ

あら、どうしてですか?

 あっさりとそう聞き返されて、わたしもちょっと考えてしまう。

どうして、って……

 問い返されて、否定する理由もないって、わかってはいる。
 自分の趣味じゃないとか、雰囲気が苦手だとか、面白いと想えたことがないとか、現実そんなにうまく行かないと想うとか、いろいろな理由が浮かんだけれど。

(……それって、でも)

(全部、触れずに嫌がってただけなのかな)

 友達と恋愛話をしないわけじゃなくて、悩みを聞いたり、逆に心配をされたりもしたけれど。

(……ドラマチックな、恋、か)

 本の帯には、『淡い青春時代を駆ける、ドラマチックストーリー』という見出しと共に、恋物語として人気だという文が書かれている。
 表紙に描かれた、夕焼け色に染まった街の景色が、とてもきれいに想える。

もし、嫌だったら……断ってくれても大丈夫ですよ

 不安そうにそう言うお姉さんに、空いた手をふって答える。

嫌じゃありません。
あの、今まで教えてもらった本、とっても楽しいですから

 それは本当のことだったし、でも、だんだん読む本が減っているのも自分のこととしてわかっていた。

 部活の練習が忙しくなってしまったこともあったし、学(まなぶ)と勉強したりする時間が増えたことも、その理由。
 ただ、一緒にいる時間は増えたけれど、学(まなぶ)との関係に変化はないと想う。
 もちろん、前とは少し違っていることもある。
 一日の話が挨拶だけだったり、ケンカをするような空気になったりすることは、もうないのだけれど。
 逆に、勉強を教えてもらいながら、軽口をたたき合うぐらいになって。
 でもそれは、変化というよりも……。

(……昔の、なんとも言えない頃に戻っちゃったのよね)

 性別なんか気にならないくらい、ずっと前の、幼い頃。
 楽しくて、気を使わないから、意識してもそういう空気になりづらい。
 今のわたし達は、そんな頃の雰囲気に、戻りすぎてしまった。
 踏み込めない理由は、それだけでもない。
 部活の練習が忙しくなったのも、変わらない理由の一つかもしれない。
 やっぱり大切な時間だったから、学(まなぶ)とばかり、ずっと一緒にいるわけにもいかない。
 ――でも、踏み出せない、走り出せない自分の気持ちなのかも、と考えてしまってもいる。

(なにか、変わるのかな)

 本を読んだだけで、現実が変わるなら苦労はしないけれど……と、想いながらも。
 少しずつ、見えている世界が変わったことを、わたしはもう知っている。

読んでみます

 お姉さんがすすめてくれた本なら、大丈夫だって想えるから。

本当ですか?

はい。
あまり、読んだことがないので……チャレンジです

 走り出さないと、結果や記録は出てこない。
 だからこれも、一つの変化になるのかも、と想う。

(……本当に?)

 ただ……考えも、する。
 あれこれ考えたり、教えてもらったり、本を読むのも大事だとわかったり。
 でも、学(まなぶ)との関係は、現実で走り出してしまっていること。
 でも、ゴールにたどり着くのが怖くて、コースのなかをぐるぐる回っている。
 それが楽しくて、落ち着いていて、このままが続けばいいと想ったりもするけれど。
 起きていることだから、でも、フィクションみたいに上手くいくことを認めたくなくて。

(でも、これじゃ、同じままだよね)

 ゴールにたどり着きたくないのが、わたしの問題なんだと、わかってもいるから。

もしかすると……走り方がわかる、キッカケになるかもしれないですし

 小さく呟いた声は、お姉さんにもわかるように、言ったつもりはなかったのだけれど。
 お姉さんは私の言葉に、嬉しそうに頷(うなず)いてくれた。

こうして話せる方が増えるのは、やはり嬉しいものですね

話せる人……って、たくさん、お客さんと話してますよね

お一人お一人、考え方や読まれるものは、様々ですから。
ですので、一人でも多くの方と話せるのは、新鮮で楽しいんですよ

……すごいなぁ

 そこまでいろいろな人と話せる自信は、わたしにはない。
 なので、素直に感心してしまう。
 学校では、学年やクラスを気にせず、話している方だと想う。
 けれど、お店となると話は違う。
 お姉さんのように、どんな人が来るかわからない状況で、いつも大人の笑顔を浮かべられる気がしない。

(やっぱり、すごいよね……)

 ただ、人と話せるありがたさ、みたいなものはとても良くわかる。
 話せないより、少しでも触れあえる時間は、確かに大切だと想う。

そうですね……。
人と話せるのは、楽しいですよね

 一時期、イライラしていたり、部活でのこともあって、人と話す時間が減っていた自分を想い返す。
 あの時期に比べれば、今、いろいろな人とまた話せるようになったことは、素直に嬉しい。

そうですね

……ふふっ

 少しだけ無口になってから、小さな笑みをお姉さんは浮かべる。
 ほんの少し、だけどとっても楽しそうな、嬉しそうな声だった。

あの、どうかされたんですか

 気になって聞いてみると、眼を細めながらお姉さんは口を開いた。

そういえば、同じ歳くらいでしょうか

同じ、歳……

 歳、だなんて言葉が出てきたのが意外。
 続くお姉さんの言葉は、その意味を教えてくれる。

お客様みたいに、よく、いらっしゃるんですよ

わたし、みたいに?

私の紹介した本を、嬉しそうに読んでくれる子が

 どきり、と心臓が跳ね上がる。

そ、そうなんですか。
どういう子なんです?

 心の中をがんばって落ち着かせながら、話を合わせる。
 もしかすると、違う子かもしれない。
 学校の知り合いも、女友達も、たくさんここに来ているんだし。

不思議な縁、ですね。
すっごく、小さい頃から知っている子なんです

 ……でも、その一言で、誰を指しているのかがわかってしまう。
 そんなに昔からここに通って、そして、わたしが見ていたような笑みを浮かべさせる人間が……そんなに、多いとも想えないから。

小さいって、今は、わたしと同じくらいなのに?

この場所が出来た頃、だから……十年近く、経つでしょうか。
ご両親と一緒に、よくこの場所へ来られていたんです

へぇ

……女の子、なんですか

男の子ですよ。
今も、いろいろな本を探しに、ここへ来られるんです

 ――やっぱり、学(まなぶ)だ。

その子は、他の子と違うんですか

 抑えて、おさえて……そう想いながら話す自分の声が、よく聞こえない。

違う、ということはないんですけれど

 お姉さんの表情に、少し困ったような様子が見えた。
 ……そんな気がした。

ずっと、成長しながら、一緒に見つけてきましたから

 ――ずっと、一緒に。
 その言葉は、わたしにも、少しは当てはまるはずだけれど。

違わない、けれど……その子は、ちょっと、特別なんですか

 同じ意味なんだとわかっていても、わたしは、聞かずにいられなかった。
 だって、今、わたしに見せたお姉さんの表情は……いつも店で浮かべているものと、やっぱり違うように想えたから。
 視線は、何かを考えるように、本の間を行き来して。
 手元はなにかを探るように、もう一方の手を撫でている。
 言いよどんでいるお姉さんは、新鮮。
 でも、その新鮮さが、暗い気持ちにさせる。
 それは、わたしの言った言葉が、そんなに的外れでないと言うことなんだと感じることが出来るから。
 ゆっくり、お姉さんは口を開く。
 少しだけ、困ったような笑顔を造りながら。

……そうですね。
少し、違うのかもしれません

そう、なんですか

 答えを聞いて、ふっと、ある考えが浮かぶ。
 お客さんたちのいる手前、『違います』と認めるのが、いけないことだったのかもしれない。
 無理に、そうした答えを聞いてしまったんだろうか。
 そう考え、わたしの気持ちが少し重くなる。
 代わりに、認めたお姉さんの顔は、どこか晴れやかなものに変わっていた。

そう、やっぱり違うのかもしれません。とても、大切な時間だったんです

……そう、なんですね

 小さな声で、ゆっくりと熱が漏れ出るような、お姉さんの色づいた言葉。
 わたしは、無感情に、受け答えて。

(やっぱり、そう、なんですよね)

 ――手元の恋愛小説を、強く握りしめてしまう。
 この本の中に、どんな物語が書かれていたとしても……それは、今のわたしを、助けてくれるものなんだろうか。
 わたしが今、感じている以上のざわめきを、越えるものがあるんだろうか。
 八つ当たりなのは、わかっていた。
 本に罪はない。
 でも、そんな不安を感じてしまったわたしは、眼の前のお姉さんから眼を離せない。
 ――お姉さんも、彼のことが、気になっている。
 その、事実に。

視界の広がるあの場所で・11

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