……お前、最近変わったな

そう?

 机に座っていると、珍しく学(まなぶ)から話しかけられた。
 どきっとする心を隠して、冷静に答える。
 いつもの無感情な雰囲気と、少し違っている学(まなぶ)の顔。
 心配そうにも、興味深そうにも見える……言うなら、ためらうような表情だった。

変わったって、どういうところよ

なんていうか……落ち着いたって、言うか

 そう言われて、なるほどと想ったりする。
 意識はしていなかったけれど、以前ほど、教室で立ち回ったり、強引に誘ったり、無理に声を張ることは減ったかもしれない。
 友達やクラスメイトの会話も、ちゃんと聞いて、答えるように意識している。
 ちょっと怒りっぽいのは、やっぱり治りきっていないけれど。

なにか、変わったことでもしてるのか。ヨガとか、座禅とか

変わったことで、そういう単語が出てくるのはすごいよね

 リラクゼーションの方法がそれって、ぜんぜんオジサンくさいのに感心する。
 ……前ならバカにするだけだったのに、学(まなぶ)らしいかも、と想える自分にも驚く。
 心に余裕が出来た理由を、わたしは伝える。

最近、ちょっと色々な本とか読んでたから。
もしかすると、その影響かな

……いや、本当にどうしたんだ

 驚いたような眼でこっちを見る。
 意外なのはわかるけれど、ちょっとショック。

いいじゃない。
いろいろ……考えたく、なったのよ

 口をとがらせて、ちょっとすねたように言う。
 ただ、驚くのも無理はないかも、と想ったりもする。
 毎日話す友達にも、未だに不思議そうに見られるから。

本って、不思議よね。
なかなか体験できないことや、知らないことを、教えてくれる気がするから

 そうした違う世界を、教えてくれる人。
 お姉さんの姿も、どこかそれらの本の世界に、住んでいる人みたいに想えた。
 ……あの本屋に通っていることを、わたしは、今も学(まなぶ)に言っていない。
 とはいえ、別に隠そうと想っているわけでもなかった。
 どちらかといえば、見つかってもいいかな、って考え初めてもいた。
 実際、クラスの子達には「えっ、咲希!? 珍しいね」って感じで、本屋で見つかってもいる。

(でも、自分から話題にしようと想えないのは、どうしてなんだろう)

 魚の骨がのどに引っかかったような、もどかしい感じ。
 お互いに、悪いことをしているわけではないはずなのに。
 話題にしようか、迷っていると。

そっか。
まぁ、いいことなんじゃないか

 戸惑った様子が少し減った学(まなぶ)は、いつもらしい口調でそんなことを言う。

そう想う?

 ささやかに、少し不安そうに、問い返すわたし。
 学(まなぶ)は、窓の方へ眼を移す。
 正確には、次の言葉で、その先のグラウンドを見たんだなってわかったのだけれど。

部活の方も、順調みたいだしな

 ――少しはぐらかした、気遣い。
 幼なじみのわたしには、わかる。
 ちょっとだけ安心したように聞こえる、彼の声。
 その言葉に、わたしも、少しだけ笑みを浮かべる。

よく知ってるね。
うん、記録が伸びて、調子もすっごくいい

そうか。
それも、いろいろ読んでいる影響なのか、な

どうだろうね。
それも、あるかもしれないけれど……

 頭に浮かぶ、部活での光景。
 呼び声や、笑顔。

みんなのおかげも、大きいかな

 答えながら、自分からそんな言葉が出たことに、やっぱり笑みがわいてくる。
 少しずつだけれど、意見がぶつかった先輩達や、困ったような後輩達と、話すようになっていって。
 今はもう、部活のみんなとは普通に話すようになっている。
 一緒にメニューを作ったり、大会までの日程を話しながら、練習に集中する日々を過ごしている。

みんな、って、部活の人達か。
……なにか、話しかけたりしたのか

どうかな。
ささいなことだよ。
うん、いつもと同じような、ちょっとしたこと

 それこそ、ユニフォームやゼッケンの置き場所を話したくらいの、当たり障りのない会話。
 でも、そこから、言いにくそうに名前を呼ばれてから。

咲希の言うことさ、わかってたけれど。
今だから、言えるけれどさ

 先輩の言葉に、わたしも、今の自分の気持ちを言葉にする。

はい。
わたしも、みんなの言うこと、わかっていたんですけれど……

 あの日のぶつかり合いを想いだしながらの、ぎこちない会話。
 でも、途絶えていた、会話の時間。
 その時は、それで終わり。
 続く言葉はないままロッカーを締め、帰り道に向かっていた。
 ただ、お互いにわかっている部分もあったんだと想う。
 その日の後も、少しずつ交わしていくように、会話の時間は増えていった。
 そして、今は――お互いの意見を重ねながら、充実した時間を作るようになっている。

でも、わかったの。
一緒に進めるって、ステキなことなんだって

 謝ったり、仲良くしましょう、なんて言葉を言ってはいない。
 わたしも、先輩達も、他のみんなも。
 だけど、先輩は後輩である私達のことを考えて、後輩は自分達の先を考えて、前よりもっと活動的になってくれているように想える。
 ――甘えているのかもしれない。
 みんなの優しさに。
 そうは想いながらも、一緒に走れる時間の大切さを、今のわたしはとても大切だと感じていた。
 学(まなぶ)は、「一緒に、か」と呟いて、わたしへ向く。

一人で行くより、楽しいよな。
話し合えるって

(いつも学校では、独りで本を読んでいるのに……)

 ちょっと意地悪なことを考えてしまうけれど、事実だった。
 そして、ふっと、違う考えが浮かんでしまう。
 また、意地悪な考えが。
 ――こいつの頭にある、話し合える相手は、誰なのだろう。

(聞くまでも、ないよね)

 だからわたしは、学(まなぶ)の顔を見る。
 できるだけ真剣に、だけどいつもより力を抜いたような表情で。
 その変化に気づいて、不思議そうに見つめてくる学(まなぶ)。
 今だから、言おう。
 前から、お願いしようと想っていたこと。
 それを、頼んでみることにした。

ねえ。
お願いがあるんだけれど

なんだ?

勉強、教えてもらいたいんだけれど……いいかな?

……

 あ、頭を抑えた。

いや、そんなに引かれると、ショックはショックなのよね

引いてはいないぞ。
ただ、ちょっと頭の整理がだな

……わたしに、一緒に、教えてよ

 少しだけ眼をそらしながら、わがままを言うように、わたしはもう一度口にする。
 だけど、せっかく、直接的じゃないけれど。
 ……『横に並びたい』って、少し、言葉にできたのに。
 学(まなぶ)は困ったような顔をして、考えこんでいる。

いや、かな

 不安になって聞くと。

いや、じゃない

 学(まなぶ)は、すぐに答えた。
 でも、はい、とは言ってくれない。

じゃあ……

正直、なところ

うん?

嬉しいよ。
お前と、こうして話が出来るの。
落ち着いて、久しぶりだからさ

そ、そう

……そうなんだ

 ちょっとだけ弾んだ心を落ち着けながら、頷(うなず)く。

あぁ。
なんていうか……新鮮で、やりとりできるのが、嬉しいんだな

 柔らかく微笑む、学(まなぶ)の顔。
 見覚えのある顔に、わたしは、かすかな声で聞いていた。

……あの人と、どっちが嬉しい?

えっ?

 ふっと言ってしまった言葉に、不思議そうな顔を向ける学(まなぶ)。
 言ってから、わたしも焦ってしまう。
 以前なら、そんな言葉を言うことは、なかったのに。
 ――もし、答えられて、しまったら。
 ぐいっと、上半身だけをストレッチ。

身体、なまっちゃうわね。
ねぇ、一緒に走りに行かない?

 恥ずかしさを隠すために言った、その言葉。
 昔は、そればかりを先に言って、本心なんか言えないことばかりだったのに。
 ――漏れてしまうのも、どうしたらいいのか、難しい。
 だから、期待していたわけではなかった。
 こいつは、身体を動かすより、本の中を歩く方が好きだったのだから。

そうだな。考えておくよ

そうだよね、やっぱり……

 想わず、えっ、とわたしが驚いて固まってしまった。

考えておくって、なにを?

両方、かな。
教えるのも、走るのも

 予想外の答えに、わたしは想わず言ってしまう。

え、どうしたの急に。
悪い本でも読んだの

 学(まなぶ)の眉が八の字になる。
 あっ、不機嫌そう。

お前が俺のことをどう想っているのか、よくわかるな

 今までどんなに誘っても、つきあってくれそうな雰囲気が、ぜんぜんなかったのに。
 あっさり、からかうでもなく、そう言われてしまったら。

(逆に、驚いちゃうんだけれど)

 理由を知りたい、と想ったから、聞いてみる。
 すると学(まなぶ)は、少し考えてから、小さな声で言った。

お前が、本を読むのが楽しくなったんなら……と、ちょっと想っただけだ

本を読むのが……?

違うことをするのも、楽しいのかもなって

 学(まなぶ)の答えが、まさに自分が体験したことそのままの答えだったから、わたしはなるほどなって想ったけれど。

でも、それと走るのって、関係あるの

 嬉しいけれど、どうしてか不安なわたし。
 ぎこちなく、学(まなぶ)は答えた。

……ぶつからなく、なってくれたんだから、さ

ぶつからなく……?

 遠回しな言葉に、はっと気づいてわたしは言う。
 けっこう前、まだお姉さんとも出会っていなかった頃、学(まなぶ)に言われた言葉。

気にして、くれてたんだ。
あの時のこと

 ずっと心の中で、わたしを見直すために残ってくれた言葉。
 それを言った学(まなぶ)自身が覚えていてくれたことに、胸の中が変な感じになる。

お前の気持ちも考えなくて、悪かったと想ってるよ

……!

 つい最近も、普通に話していたわたし達。
 でも、そうやってあの時のことをちゃんと謝られたのは、初めてのことだった。

ううん。
こっちも、謝らせて、ごめんね

……

……どうしたの?

 ぼんやりと、わたしに顔を向けていた学(まなぶ)。
 わたしの言葉で、なにかに気づいたようにしてから、顔をふる。
 どうしたんだろう、と尋ねる前に。

な、なんでもない。
それで、どの教科を教えればいいんだ

 慌てるような感じで、教科の名前をあげて尋ねてくる。
 その質問に答えるのは、すごく簡単。

おおよそ考えられる限り、全部よね!

 ――本を読むのと、学力は、一致しないのも勉強になった。

……どういう脳の構造なのか、見てみたいよ

 いやわたしだって不思議だし。
 本読んでも成績が変わらないのは、デザートと主食が別ってことと一緒なのかな?
 一つ息を吐いて、学(まなぶ)は仕方ないって感じの顔になる。

まぁ、いいか。
もしかすると、授業の流れがわからないだけってこともあるだろうしな

 ちょっと待て、と言って、学(まなぶ)はわたしに背を向ける。
 どこへ行くんだろう、と見ていると、自分の席に戻ってなにかを探しているようだ。
 両手に持って戻ってきたのは、ノートや教科書。
 わたしの机でそれを広げる学(まなぶ)へ、慌てて手を振る。

や、別に今からってわけじゃ……

どの辺りが駄目なのか、見当がつかないから。
少し、話した方がいいだろ

 ちらり、と学(まなぶ)は時計を見ながら言う。

それとも、休み時間だけど、用事があるのか?
部活とか、友達とか

それは、今のところ大丈夫だけれど……

 目線をずらして、友達達のグループへ眼をやる。

 あっ、なんだか暖かい眼をされている気がするよ?
 なんだろう、あの親戚の子供を見るような、えっと……うん、後でちゃんと理由を聞こうかな。
 友達以外で、今日は部活の集まりなんかもない。

……じゃあ、少しだけ、お願い

 確かに、わたしと学(まなぶ)が学校で話せる時間は、あまりない。

 なら――プライベートで、会えばいいのかな?

(い、いやいやいや……!)

 頭の中に浮かんだ考えを振り払って、わたしは眼の前の教科書を開いて言う。

あ、国語の教科書って日本語だったんだね

最初からだ

 そうツッコんでくる学(まなぶ)の様子に、顔以上に笑ってしまっている、自分の心。

そっか、そうだね

 不思議なわたし。自分のことなのに。
 教科書とノートへ顔を向けながら、わたしに質問を投げかけてくる学(まなぶ)。
 少し、胸は騒いでいるけれど、余裕を持った心で見れる。
 前みたいに、言いたい気持ちと言える言葉が、それほどズレていないのもわかってしまう。

(それも……お姉さんの、おかげかな)

 落ち着いていて、的確で、心惹かれる、大人の女性。
 その影響が、もし、少しでも現れているなら……。
 ぼんやりとした気持ちでいたら、学(まなぶ)に注意されてしまった。

本当、変わったなぁ

……イヤ、かな

 謝りながら、また、勉強へ意識を戻そうとする。
 嫌われたくはない、って、想って文字へ集中すると。

……いや。
だから、今度は、お前の集中できることを、教えてくれ

集中できることって……一緒に、走ってくれるってことで、いいのかな

……そう、だな

 その言葉にわたしは、嬉しさを隠しながら、静かに言った。

じゃあ、こうして勉強するみたいに、今度行こうね

あぁ……今度、な

……ありがとう

な、なんだ急に

いろいろ、教えてくれて

……教えるのは、これからだろ。
甘くしないぞ

少し辛いくらいが好きかも、ね

 こうして隣にいることもできるように、違う場所でも、一緒にいれるのかなって。
 淡い期待を、抱いてしまう。

視界の広がるあの場所で・10

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