入り口の自動ドアが開ききらない内に、店内へ入る。
 サングラスをしていないと、こんなにも動きやすい。

 よく見渡せる店内へ、眼を配る。
 いるかどうかわからなかったけれど、あの人を探してしまう。

 焦るわたしの耳に、その声が吹いてくる。

いらっしゃいませ

あっ……

 風鈴の音が鳴るように、その声は響きわたる。
 大人しいのに、確かに店内へと伝わる、包まれるような声。
 わたしへ向けられたもの、というわけじゃなくて、店に入ってきた誰かへかけた声。
 それをわかりながらも、声を聞けたことが嬉しい。

 聞こえた方向へ、眼と足を向ける。
 気持ちばかりが焦るけれど、店内で走るわけにも行かず、早歩きみたいに進む。

(いた……!)

 近づくと、その人の姿がよく見えるようになる。
 今は、本の整理をしたり、いろいろな人の対応をしていたみたい。
 それが仕事なのだから、当たり前なんだけれど。
 わたしが近づいたからなのか、その人は手を止めて、眼だけでこちらを見る。

……?

 わたしに気づくと、少し意外そうな顔をしていた。
 ……後になって想えば、あんまりにも必死そうな気持ちが、顔に出ていたのかもしれない。
 眼の前で足を止めたわたしは、一息してから。

あ、あの!

 わたしは、ちょっと声を張りながら言ってしまった。
 それに気づいて、照れ隠しをするように、持ってきたカバンの中へ手を入れる。

は、はい。
なにかご用……

 お姉さんが言い終わる前に、二冊の本を取りだして、わたしは言っていた。

この間の漫画の続き、教えてください

 ――そう。
 わたしは、お姉さんのすすめてくれた漫画に、すっかり惹かれていた。

続きを、知りたいんです。
この後、どうなるのかを

 そこに書かれていたのは、わたしと同じように、コンマ一秒を縮めようとがんばる登場人物達の姿。

 ひどく地味で、練習ばかりで、つらさや苦しさもあって……でも、楽しさも描かれていた。
 そこでがんばる登場人物達は、現実にはいないけれど、描かれている気持ちや笑顔は本物みたいに感じられた。
 誇張された動きや、作られたような場面はもちろんあったけれど……。
 それが嫌な風景かといえば、そうじゃなかった。
 だから、読み進めて、共感もしてしまった。
 何度も何度も、同じページを広げて、読んでしまった場面もある。
 主人公が、なんのための練習なのか分からずに逃げ出して、でもその意味が分かるところなんかは……あぁ、そうだったかもと感じてしまった。
 わたしがかつて味わった、つらさや苦しみ、喜びを彼らも知っていた。
 まるで、一緒に走った友達のように、登場人物達の言葉に惹かれた。

(……わたしにも、あった、んだよね)

 ――あの頃は、ちゃんと先輩と話せて、横も見れていたのかもしれない。
 フィクションを読みながら、今の自分を、ふりかえる。
 日々繰り返す練習や、突然のトラブル、想いがけない人間関係。
 授業や友達との兼ね合いをとりながら、自分の身体が辛くなっても、信じて続けていく日々。
 全部に共感できたわけじゃなかった。
 読み返しても、違うかも……と、想う部分は、やっぱりある。
 特に、主人公が自分の考えを曲げないままなのに、周囲も変わっていってくれて、一緒に成長するなんて……夢みたいな話だと、今のわたしには想えてしまった。

(それでも、気になる。
お互いがぶつかっても、わかりあっていくのが……どうして、なのか)

 読んだなかで、主人公に与えられた課題が、わたしの与えられたものよりずっと重かったものもあった。
 自分だったら、主人公のように、ただ受け入れることが出来るだろうか……。

(言い返して、自分のペースでって……言っちゃう、かも)

 それは、自分勝手な話なのかもしれない。
 でも、主人公は、協力しながら、その課題を乗り越えていく。

(わたし……本当に、ちゃんと伝えようと、していたのかな)

 だから、この子達がどうなるのか知りたかった。
 自分に重なる部分が、どうなってしまうのか、知らずにはいられなかった。
 寝る間も惜しんで、ページをめくっていた。何度も、何度も。
 でも、その答えがでる前に……物語は、途中で終わっていた。
 ――先を、教えてほしい。
 なにか、あるような気がするから。
 だからわたしは、今、ここにいる。

あの、お姉さんの言ったこと……本当でした

私の、言ったことですか?

ある意味で、本当の世界だって言うことです

あぁ、はい。
確かに、私もそう想っています

読んでいるわたし、自分のことみたいに……のめりこんでました。
それに……自分のことにも、ちょっと想ったりしてました

 雑誌での選手インタビューや、特集記事でも、そうした感情になることはあった。
 自分に活かせる部分はないだろうか……そんなことを想いながら、読んでいたりもした。
 ――実在の人は、でも、わたしよりずっと先にいて。
 焦って、想いこみだって、わからされて。
 でも、空想のキャラクター達は、そうした言葉や経験からの言葉とは違う、不思議な気分をわたしに与えてくれた。

だから、もっと知りたいなって。
続き、ありますか

 わたしの願いに、お姉さんは、二冊の本を買った時と同じ笑みを浮かべてくれた。

はい。
もちろんです

 ――この笑みは、やっぱりずるい。
 この人のすすめる本を、話を、読みたくなってしまう。
 そしてお姉さん自身も、読んでもらえる嬉しさがあるのかも。
 そう、感じられてしまうから。
 わたしの心は、ふわりとした微笑みで、同じように軽くなる。
 この間までの不審者行為が、まだちょっと胸の片隅に残っていたりもするから。

こちら側のお勧めを楽しんでもらい、しかもまた来ていただけるなんて。
ありがとうございます

い、いえ。
むしろ、この間はすみませんでした

 この間のことを想い返して、また謝ってしまう。
 だって、よく連絡されなかったなぁと今でも想うから。
 ……反省するしかない。
 今日は、帽子やサングラスみたいな変装はせず、ちゃんと普通の格好をしてきている。
 髪も整えたし、ナチュラル系を意識したシャツとパンツのコーディネイトは、わたしらしいと想っている。

(もちろん、お姉さんのような、大人っぽさはないけれど……)

 そこは、わたしはわたし、お姉さんはお姉さんと割り切る。
 そんなことを考えていると、気づかぬ内に、お姉さんの手には続きの本が握られていた。
 いつの間にか、本棚を移動して、目当ての本を探してきてくれたらしい。

それで……今日お求めなのは、この間の続きの巻ですね

はい!
あの……あの本、本当に面白かったです!

 想わず、わたしはまた感想を話し始めていた。
 一つ話し始めると、次の話したいことが、するすると出てくるから不思議。

主人公達の、まだ始めたばかりの頃の気持ちとか、すっごく共感できて。
でも、その後の辛い時期もわかるし……なのに、そこで次巻へ続くとか、なんでっ!? って想えちゃって!

 聞いてもらいたくて、仕方なくなっていたんだと想う。
 勢い、口からあふれるままに話していると。

あっ……その……

……はい?

 お姉さんの小さな声に、一人で勝手にしゃべってばっかりいるのに気づく。

 ちらり、と周りへ眼を向けると、他のお客さんがこっちを見ているのがわかってしまう。
 ちらり、という感じではあったのだけれど。

(あ、あぁ……)

 また恥ずかしさが、顔に上がってくる。
 声が出ないでいると、頭を下げるお姉さんの姿が見えた。

 その先は、わたしじゃなくて、周りの人達にだ。
 慌てて、同じようにわたしも頭を下げる。
 むしろ、この場合に下げなきゃいけないのは、わたしの方だよね……。
 無言で周囲の人に謝って、お姉さんの顔へ眼を向ける。

ご、ごめんなさい……。
うるさく、しちゃいましたね

 不安に想いながら、お姉さんへも謝る。
 注意されるか、怒られるか……今度こそは、って想ったのだけれど。

とても、楽しい時間を過ごされたんですね

 お姉さんの声は、やっぱり変わらず、穏やかで心地よいものだった。
 そっと胸元へ手を当てながら、小さな声でもわたしの耳に聞こえるよう、優しく語りかけてくれる。

本を受け入れて、幸せな時間を過ごしてくれることが……私にとって、とても嬉しいことなんですよ

 心からそう想っているような、声と表情。

(やっぱり、あの微笑みは……そういうことだったんだ)

 わたしは、自分の感じたことが間違っていなかったことに、不思議な嬉しさを感じていた。

お話、もう少し聞きたいですね。

……ちょっと、声を抑えめにしてもらえれば、助かりますけれど

 ただ、そこはちょっと困るところでもあったようで。

は、はい。
あの、ひどい場合は止めてもらえると助かります

 わたしもぎこちない笑みを浮かべながら、申し訳ない気持ちもあって、そう答えるのが精一杯だった。

わかりました。
……今回の本は、どんなところが良かったですか?

(あっ……)

 その店員さんの――お姉さんの微笑みに、わたしの胸の中で、ストンとなにかが納得するのを感じた。
 わたしの行動や話を、受け入れてくれる優しさ。
 包み込んでくれる、という感覚の方が、近いのかもしれない。

(大人っぽいって……こういう人を、言うのかな)

 頭の中に、学(まなぶ)の姿が浮かぶ。
 嬉しそうに、お姉さんと話す、彼の姿。
 学(まなぶ)は、この優しさに惹かれて、今もここに来ているのかもしれない。

(……かなわない……かも)

 自分のことを考えても、とてもじゃないけれど……こんなふうに、落ち着いて話を聞けるような自分じゃないってわかる。
 むしろ、今のわたしは……。

(……そういう、こと、なのかも)

 ――部活のこと。
 学(まなぶ)のこと。
 わたしが、ぶつかってしまった理由。

……あの、大丈夫ですか?

 お姉さんの心配そうな声に、わたしは手を振って答える。

あ、はい、大丈夫です!

でも、今日はこの辺で、帰ります

そうですか、それは残念です

 今日出会ってから、一番残念そうな顔をするお姉さん。

また、来ますね。
今日、この本を買って、読み終わったら

 それは嘘じゃない、わたしの今の心からの言葉だった。
 すぐにでも、この本の中身を読んで、お姉さんと話したいくらい。
 その気持ちが伝わったのか、お姉さんの顔に笑みが戻る。

はい。
もし、続きがご入り用の際は……また、お呼びください

……ぜひ、お願いします

 ――そうして、わたしはお姉さんと話すために、新しい本を読むために、その本屋へ通うようになっていった。

視界の広がるあの場所で・07

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