お姉さんは、わたしにいくつかの質問をした。
 よく買う雑誌や、友達と話す内容、やっている部活のことや、最近悩んでいること。
 ……あいつのことだけは、ちょっと除外したけれど。
 わたしは、自然にそうしたことを、お姉さんに話していた。
 うまく話せている自信はなかったけれど、お姉さんはゆっくりと止まらないように合わせながら、話を聞いてくれた。
 聞き方が上手なのかも。
 話しながら、だんだん言葉が出てこなくなる。
 最初は事実だけを述べていたのに、少しずつ感情が出ているのがわかったからだ。

(……この人に言うには、だめだよね)

 他人だから聞ける、って話も聞いたことはあるけれど……。
 わたしの感情は、まだ、うまくまとまっていないから。
 そんなわたしを見てなのか、わからないけれど。

少々、お待ちくださいね

 お姉さんは軽く微笑んで、足を動かしてわたしから離れる。
 なにかを言おうとするより早く、お姉さんはある棚の一角に移動して、すぐに戻ってきてくれた。

 手の中には、二冊の本。
 表紙いっぱいに、人物の絵が描かれている。

こちらの本が、おすすめですね

これって、漫画ですか……?

 タイトルの雰囲気や、絵柄から、そうじゃないかなって聞いてみる。

はい。
お客様のよく読まれている雑誌を、題材とした作品ですね

 二冊あるのは、続き物だからだろうか。
 表紙の隅に番号があるから、多分そうなんだと想う。

(漫画、かぁ……)

 わたしは言いにくそうに、お姉さんに言った。

あ、あの、申し訳ないんですけれど

あまり、興味がわきませんか

う~ん、はい。
あんまり、気がのらないかも……

 期待していた分だけ、ちょっと残念な感じがある。
 実在の選手のインタビューや活躍には、とても関心がある。
 生きている人達の言葉だから、感心しながら読んでいる気がする。

 あと、その世界の一流の考えや方法なんかを、自分の練習や動きにも反映させることができるかもしれない……し……。

『 ――テレビや雑誌に影響されて、あなたが本当だって言って考えていること……それが、正しいと想ってるの?』

『お前の頑張りも、聞いてるけれど……やり方は、それぞれあるんだから』

(でも、わたしの現実では……ぜんぜん、できていない)

 ……それを目指したい、って想いは、間違いだと想いたくないけれど。

それは、フィクションだからでしょうか

 沈みそうなわたしに、お姉さんの声がかかる。
 フィクション、という言葉にビクっとしながら、頭のなかをちゃんと分けて考える。
 柔らかなお姉さんの雰囲気に、わたしは自然とうなずいていた。

そう、ですね

 漫画をイヤだって言ったことに、怒っている感じはなかった。
 だから、気をつけて話しながら、理由を説明する。

 男の子達が読んでいる漫画を、横から見ることもあった。
 それで、その荒唐無稽な動きや描写に、違和感を持っていた。
 昔は読んでいた少女漫画も、そう。
 スポーツを題材としているのに、恋のことばかりに悩んでいる少女に、共感できない自分に気づいていた。
 全部がそうじゃないって、頭ではわかっていたけれど。
 小学校の頃から、走ることが楽しくなり。
 中学校で部活に入って、身体を動かしたり、部の人達とふれあう内に……次第に、そういったものからは遠ざかってしまっていた。
 クラスの友達なんかに、すすめられたり、話を聞いたりすることはあったけれど。

あんまり、空想ばっかり見ていられると……辛い、かも

 あまり本屋で言うべきことじゃなかったかも、と想うわたしにも、お姉さんの雰囲気は変わらない。
 内心は、わからないけれど、その様子に安心する。

そうですね。
ただ、ある意味では本当の世界でもあるんですよ

 優しく教えるように、お姉さんはそう答えてくれる。
 でも、わたしには、その言葉の意味がわからなくて。

ある意味で……本当?

逆に、お客様のような方にこそ、読んでいただきたいですね

 すっと、手元の二冊の本を、もう一度差し出してくる。
 どうして二冊なのか聞いてみると、区切りとして良いのがそこまでだから、ということみたい。

け、決して、押し売りしているわけじゃないんですよ

 慌てたようにそう言うお姉さんの様子に、わたしはちょっと微笑む。
 お小遣いは、まだ少し残っていた。

あの……読んでみます、その本。
買わせてください

……ありがとうございます!

 満面の笑みを浮かべるお姉さんの顔は、とても嬉しそうだった。
 それが、わたしが本を読む気になった嬉しさなのか、本を買ってもらった喜びなのか、わからなかったけれど。

(あいつは、こうやって話せる時間が、好きなのかな)

 もし本が自分に合わなくても、この本をすすめられた時間は、確かに楽しかった……かも。

 そんなことを想いながら、レジでお金を支払う。
 カバーをつけてもらい、袋に二冊の本を入れて、お姉さんはわたしへ本を差し出してくれた。

 受け取ろうとしたわたしに、なぜか、お姉さんはちょっと困ったような顔をしていた。
 なんでだろう、と不安になるわたしに、お姉さんは口を開く。

ただ、あの……最後に、いいですか

 今まで、穏やかだけどはっきりしていたお姉さんの口調が、少し弱いものになっていた。

あ、あの、なんでしょうか

 不安になったわたしは、緊張しながら聞いてしまう。
 お姉さんはゆっくりと、苦笑しながら、小声で理由を言ってくれた。

できれば、帽子はともかく、サングラスは外して入店をお願いできますか。
私もあまり、強く言いたくはないのですけれど……

 一瞬、わたしは無言になってから。

す、すみません

 帽子をとりながら、わたしは精一杯頭を下げた。
 最後に、自分の格好を想いだして、反省する。

(次からは、この格好はやめよう……)

いえ。
楽しい時間を過ごされますよう、願っています

……はい

 お姉さんと少し会話をして、わたしは店を後にした。
 その後は普通に、家へ帰る道をまっすぐ。

 練習と想い、自転車には乗ってきていない。
 でも、すぐに走る気にはなれなかったから、ゆっくり歩くことにした。

(……買っちゃった)

 手の中の本を見ながら、今日のことを想い返す。
 学校とは違う表情の学(まなぶ)に、不思議な雰囲気のお姉さん。
 それに、今まで避けていた種類の本を二冊。
 ――昨日までと、なにかが変わったわけではないけれど。
 わたしの心に、新しいなにかを始めたときのような興奮と不安があるのを感じていた。

……!

 だんだん心に合わせて、足のテンポを上げていく。

 弾む足に従ったら、玄関に着くまであっという間だった。

 帰ってきたわたしは、まず家の手伝いと食事。
 それからお風呂に入って、お母さんにお小言を言われつつ、家族と団らん。

 少したってから、自分の部屋へ。
 いつもなら、ネットで大会の動画や、参考になるフォームの動画なんかを見ているのだけれど。

読んで、みないとね

 袋を開けて、二冊の本を取り出す。
 せっかく買ったのだから、読んでみよう。
 わたしはベッドに横たわりながら、購入した本を広げ、パラパラとめくり始めた。

 本当に久しぶり、な気がする。
 最近は休日の空いている時間も、練習したり、イメージトレーニングをしたりしていた。
 友達と遊ぶのも、ウィンドウショッピングや、カラオケなんかが多くなっていたし。
 昔、あいつと一緒に、児童書を読んでいた頃が……懐かしい。

(あの頃は、そういえば学(まなぶ)と一緒に、読んでいたな)

 ぼんやりと記憶を振り返りながら、ページをめくる。あの頃に読んでいたのは、どんな本だったっけか……。
 確か、二人の誰かが……なにかをして……。

(想い出せそうで、覚えてないなぁ……)

 ぜんぜん集中していないわたしの眼に、入ってくる漫画の世界。
 最初は、ぼんやりと眺めていた。
 似たような顔の、違うセリフを話す、何人もの人達。
 なんとなく読んで、寝てしまおう……そんな気でいたはずなのに。

(あれっ……?)

 次第にわたしは、眼を離せなくなっていた。
 今の気持ちはまるで、コンマ一秒を争って走る、本物のスプリンターを見るような気持ち。
 そこに描かれていた世界に、わたしは――。

……っ!

 ――ぱたん、と本を閉じた音は、しばらくたってから。

……

 無言になって、ぱたりとベッドへ横になる。
 ちらりと見た時計は、日付が変わったのを教えてくれた。

……どう、なっちゃうの

 誰に向けて、言ったのか、聞いたのか。わからないけれど。
 わたしの意識は、すっと、闇の中へと落ちていった。
 ――今度の休みにどこへ行くか、頭の中で決めながら。

視界の広がるあの場所で・06

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