す、すみません、驚かせてしまいまして。
大丈夫ですか?

 心配したような声に、慌てて反応する。

は、はい、大丈夫です……

 頭を下げながら、顔が真っ赤になっているのがわかる。
 動けなくなったわたしに、声をかけた人が、優しく話しかけてくる。
 ――少しだけ、聞き覚えのある声。

本当に、大丈夫ですか。
お顔が赤いようですけれども

 それは、遠くから耳に入ってきていた、あの人の声に似ている気がした。
 下げていた顔を上げて、声をかけてきた人を、ちゃんと見る。

……?

……ぁ

 そして想わず、小さな声が口から出てしまう。

(あの、店員さんだ)

 ショートボブのきれいな髪に、優しそうな顔をした、大人の女性。
 間違いない。
 さっきまで、学(まなぶ)が話しかけていた――そして、憧れているはずの、女性の店員さんだった。
 ただその顔には、不安そうな感じが見える。

もし、具合が悪いようでしたら休憩室にお連れしますけれど……

 その原因は、どうも、わたしだった。
 心配してくれる声に、慌てて答える。

あ、はい!
だ、大丈夫です!

 答えた声がまた高くて……顔が熱いのは、もう、どうにもならない。

(大丈夫じゃないのは、さっきまでなにを見てたかだし)

あの、ちょっと考えちゃってて。
本当、大丈夫ですから

 心配させちゃマズいし、なにより、本当に大丈夫なのだ。

 ばたばたと両手をふって、なにもないことを強く言う。
 最初は不安そうな顔をしていた店員さんだったけれど、少ししてから。

……わかりました

 一言だけ呟いて、店員さんはちょっとだけ微笑んでくれた。
 その、どこかあっさりとしているけれど、包んでくれるような安心した顔が、すごく大人っぽい。

(……ちょっと、ドキッとしちゃった)

 同級生にはない雰囲気に、わたしは少し見とれてしまう。
 焦って熱くなっていた顔が、少しだけ落ち着くのがわかった。

考え事……なにか、本をお探しですか?

 店員さんは親しみやすい声で、わたしにそう聞いてくれる。
 事務的な言葉なんだけれど、どうしてか、答えたくなってしまう声だった。

え、えっと……

 なのにわたしは、逆にうまいことが言えなくて、口が回らない。
 ……それは、そうだ。
 探しているのは、本じゃなかったから。
 違う、人の姿だったから。
 言葉の出ないわたしに変わって、店員さんが口を開く。

いつも、スポーツ雑誌を見られているのはわかったのですけれど

そんなことわかるんですか

 驚いて想わず聞き返してしまう。
 最近、来ているとはいえ、学(まなぶ)なんかと比べれば全然だ。
 雑誌も、毎回買っているわけじゃなかったのに。
 そんなわたしにも、店員さんは学(まなぶ)と変わらない笑みを向けてくれる。

何度かご来店いただいている方は、覚えていますよ。
もちろん、だからといって強要はしませんけれど

 当然とばかりに明るく言われ、わたしは、逆に居心地が悪くなる。

(見られてるんだな……)

 つまり、とわたしの暗い部分が考える。
 わたしがここに来ている理由。
 本じゃなくて、あいつと店員さんとの間を見ているのも、気づかれているかもしれない。
 頭に浮かんだ考えのせいで、足と手が落ち着かない。

 眼もまっすぐ見るのが、つらい。

 逃げ出したいような気持ちになったわたしは、想わず近くにあった雑誌をとって眼の前に出してしまう。

あ、あの、大丈夫です。
今日も、これ買うので

 なにか買って、店を出よう……そう、想ったのだけれど。
 すると、店員さんは言葉を止めて、戸惑ったような表情を浮かべていた。

そう、ですか。
でも……本当に、その雑誌でよろしいのですか?

えっ……

 言われて、手元の雑誌をよく見てみた……ら。

!?ぇっ!>@*!?

 どう見てもそれは、私みたいな年の子が買うには、マズすぎるもので。

 真っ赤になってその雑誌を本棚に戻し、キョロキョロと辺りへ視線をさまよわせる。
 は、恥ずかしい……!

ごめんなさい、紛れ込んでしまっていたみたいで……

 店員さんは顔色一つ変えず、その雑誌を手に持つ。
 冷静にそういう雑誌を持っても変わらないなんて、す、すごいな……。

お探しの雑誌や本など、ご希望はございますか

 心配そうな店員さんの声に、驚いていた気持ちが、少しだけ落ち着く。

あ、あの、自分で探せますので。
体調も、大丈夫ですから

 手をぶんぶん振り、店員さんから一歩後ずさる。
 ……冷静に考えなくても、すっごく変なお客さんだ。
 もしかすると、周りのお客さんも、わたしのことを見てるかも。
 うぅ、変装までしてるから、余計に……!

(でも、そんなわたしなのに)

 店員さんの態度は、ずっと変わらずに丁寧。
 明らかに変な客であるわたしに対しても、何十分も話し続ける学(まなぶ)を相手にしても、落ち着いた雰囲気は最初から同じまま。

(優しい、人なのかな)

 わたしがそう想っていると、店員さんは少し頭を下げて言う。

かしこまりました。
差し出がましいことをして、申し訳ありません

 そんなふうに頭を下げられるとは想わなくて、わたしが驚いてしまう。

あの、そんなことないです……こちらこそ、すみません

 申し訳なくて、わたしも頭を下げて、謝ってしまう。
 よく考えなくても、こんな格好で本屋に入って、きょろきょろしている方が悪いのだ。

(そうだ、せめて……)

 かちゃり、と音を立ててサングラスを外す。
 今さらだけど、これを外すだけでもだいぶ違うはず。
 暗かった眼のなかに、いろいろな色が入ってくる。
 鮮やかな本に囲まれた店内が、とっても新鮮。
 それは、眼の前の店員さんもそうだった。
 むしろ、くっきりとその顔や服装が見れるようになったから、想わず見とれてしまう。
 色がつくことで、その大人っぽさがずっと上がっていた。

それでは、なにかあればお呼びください

 そう言い、背を向ける店員さん。

あ、あの

 振りかえって去ろうとする彼女を、想わず呼び止めてしまう。

はい、なんでしょう

 嫌がることなく、またわたしへと向いてくれた店員さんに、わたしは声を落ち着けながら聞いた。

どうして、声をかけてくれたんですか

 ……と、声に出して、内心で呟く。

(不審者だから、よね……)

 よく考えなくてもわかる答えを、自分で見つけてしまう。
 そして、その答えをもし言われてしまったら……と、居心地の悪さが一気に大きくなる。
 店員さんの答えを待っていると……聞こえてきたのは、想っていたものと、まるで違うものだった。

見つけにくいものでしたら、一緒に探したいなと

見つけにくい……探したい、ですか?

 ――一緒に、なにを探してくれるというのだろう?

はい。
私は、探しに来るお客様の、手助けをしたい。
お客様の本との出会いを、少しでも協力したい。
そう、想っているんです

出会い……?
見つけにくいって、本を、ですか

 周りの本棚を見ながら言うわたしに、店員さんは微笑みながら答えてくれる。

もし、探しているものが見つからずにおられるなら……その手助けを、して差し上げたいと。
いつも、そう想っているんです

 右手を胸元へそえて、まるで自分の目標を語るスポーツ選手みたいに、店員さんはそう言った。
 口紅が塗られた、鮮やかな唇。
 そこから出てきた言葉は、本に興味のないわたしでも、惹かれるものがあった。
 一緒に、大切なものを探したい……そう想う気にさせる、不思議な響きを持っていた。
 ぼんやりと店員さんを見つめていたわたしに、彼女はちょっと笑みの形を変えて、また少し頭を下げた。

ちょっと、自意識過剰でしたね。
申し訳ありません

いえ、申し訳なくないですけれど……!

 謝られすぎて、申し訳ないのは、わたしの方。
 だからわたしは、少し、その気持ちを解消したいと想った。
 ふっと、そんな本があるのなら、読んでみたいと想いついた。

あの、わたし、あんまり本とか読まないんですけど

 もし、店員さんが、わたしの求めているものが書かれた本を知っているなら。
 わたしは、店員さん――お姉さんに、探してもらおうと想った。
 あいつのことや、二人のことは関係なく、この人がどんな本を選ぶのか……ちょっと、興味が出てきたから。

もし、店員さんが良いっていう本があれば……教えてもらっても、いいですか

 ――それでなにかが変わるだなんて、想ってはいないけれど。
 探してくれるなら、教えてもらいたいなと、想える人だったから。

視界の広がるあの場所で・05

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