『三角堂書店』
『三角堂書店』
道路沿いの立て看板を視界に入れながら、わたしはその店の前に立っていた。
よ、よし……っ
入り口の自動ドアに向かって足を向ける。
と、ちょっとだけの出っ張りに足が引っかかり、転びそうになる。
う、わっと……!
倒れるほどの引っかかりじゃないけれど、焦る。
そのせいで、顔にかけたものがずるっとズレてしまったから、あわててかけ直す。
原因は、顔にかけたサングラス。
いつもより視界が暗くて、歩きにくい。
外した方がいいのはわかっているけれど、そうもいかない事情もあって。
ぎこちない動きで自動ドアをくぐりながら、深呼吸。
(……わたしは、あくまで本を買いに来ただけ。そうよ、人もちょっと見たいけれど、ここは本を買う場所だし)
自分に言い聞かせながら、わたしはめったに入らない本屋へと入っていく。
くいっと眼にかけたサングラスを調整する。
あまり意味はないけれど、イジっていると気持ちが落ち着く。
本屋の中へ入っても、見える景色は暗い。
見にくくてしょうがない。
大人ってよくこんなものをかけているなぁ……。
そんなことを想いながら、店内に眼を向ける。
(すっごい、本の量。誰が、どれだけ読むんだろう)
眼の前に並ぶ、たくさんの本棚。
びっしりとキレイに本が詰められたそれらを見ながら、感心してしまう。
(何回見ても、すごいよね……)
ここ最近、同じ曜日の同じような時間だけ、何度か来ているこの店内。
何度も見ているのに、全然、置かれている本の違いなんてわからない。
……見る目的が違うから、あまり、本を覚える気がないっていうのもあるんだけれど。
(あいつ、いるかな)
わたしが、ここへ来る時間。
それは、学(まなぶ)がいる時間でもある。
彼がよく来る時間に合わせ、わたしは、こっそりと本屋へ来るようになっていた。
ただし、あいつには見つからないように。
(学(まなぶ)に見つかると、買っている本になにか言われそうだし!)
そう自分に言い聞かせているけれど……内心、ちょっと変質者ってやつっぽいな、って自覚もある。
(……はぁ)
自分が矛盾していることに気づいているけれど、足は、帰る方向じゃなくていつもの場所へ。
雑誌を見るフリをして、こそこそと、学(まなぶ)の背中が見える位置へと移動する。
いつもどおりの時間に、学(まなぶ)は店へとやってくる。
(聞いてたはいたけれど……学校でもないのに、本当に同じなんだね)
学(まなぶ)はよく本屋に行くけれど、時間が決まっている。
そう、本人から聞いていた。
休日の三時から四時くらい、その時間に行くのが一番多いみたい。
他の時間にも行くことはあるみたいだけれど、その時間がほとんどだって聞いていた。
なぜなら……理由は、簡単。
――っ!
本を買うっていう以外に、その時間でないと会えない相手が、いるからだ。
あの人が……そうなんだよね
暗い画面越しに、二人の姿を見てぽつりと呟く。
学(まなぶ)が、嬉しそうに話しかけている相手。
木組みの棚の隙間から、気づかれないよう、そっと遠目に見つめる。
それは、白いブラウスをきっちりと着こなした、清潔そうな店員さん。
遠目から見ても、落ち着いていて大人っぽい、静かな雰囲気を感じちゃう。
言うなれば、知的な大人の女性って感じ、そのままの人だ。
(……わたしと全然、逆なんだよね)
何度見ても、それを想い知らされる。
活発に動いて、想いこみで話して、気分で怒ったりする――そんなことは、なさそうな人。
学(まなぶ)の話しかけている様子も、自分の時と全然違う。
その姿も、気分を重くさせる。
それは、暗い景色のせいじゃ、ないと想う。
ため息をついて、手元の雑誌を手にとる。
ただ立ち尽くして見続けていると、怪しまれそうだからっていうのがその理由。
読むフリをして、二人のやりとりを盗み見る。
学(まなぶ)がいつも、学校で読む本を買っているのは、この本屋。
違う学校の生徒や、うちの生徒もよく活用している、大きめの本屋さん。
できたのはもう十年近く前だけれど、安定した品ぞろえと、安心する接客で、地元の人からの評判は良いみたい。
みたい、っていうのは、聞いた話。
だってわたし、本屋にはほとんど来ないから、実感がないのだ。
あまり、雑誌コーナー以外に行くことも少ないし。
ただ、昔からこの本屋の存在はよく知っていた。
それに、会ったことはないのに、あの店員さんの話もよく聞いていた。
誰に?
もちろん本が好きで、空想も大好きな、ある男の子にだ。
……♪
……♪
(……あぁ。あの時と、そっくりな顔)
子供の頃、よく一緒に遊んでいて、誘われたこともある。
本を買えるようなお金はなかっただろうに、学(まなぶ)はその本屋がとてもお気に入りだった。
結局、学(まなぶ)と一緒にこの本屋へ来たことは、なかったと想う。
別に本が嫌いだとか、そういうわけじゃないんだけれど。
(ちょっと、遠かったのもあるかな)
家の親は、どちらかと言えば違う本屋へ行くことが多くて、あまりこっちの本屋へは来ることがなかった。
だから、わたしもあえてこの本屋へ来ることはなかったんだと想う。
それにわたしの、好みもあったんだと想う。
子供の頃は、もう少し絵本や漫画は読んでいた。
けれど、成長すると身体を動かすのが好きになっちゃったから、あまり読まなくなってしまった。
部活用に、フォームや練習の参考になる教本なんかは、持っているけれどね。
(小さい四角の……ブンコの、小説っていうんだっけ?)
学(まなぶ)が好きな、小説とか字がびっしりな本は特に苦手で、すすめられても避けていた。
だって、雑誌を立ち読みしたり、友達の貸し借りなんかで十分だったのだ。
周囲でそんなに本を読んでいるのは、学(まなぶ)だけだったから。
(不思議だね……)
――本当、共通点は、もうあんまりない。
幼なじみ、っていうくらいか。
改めて、どうして学(まなぶ)が気になるのか、自分に問いかけたくなってきた。
それはとりあえず、置いておくとして。
だからわたしは、自然とこの本屋へ来るということは、あまりなかった。
(……あ。来なかった理由、想いだしたかも)
来なかった理由を、もう一つ想い出した。
本は嫌いじゃなかったけれど……
……!
……♪
嬉しそうに話す、学(まなぶ)の顔が気に入らなかったから。
いつも遠くを見るように、冷めた眼で周囲を見ていた学(まなぶ)の姿。
あいつは子供の頃からも、そういうところがあった。
保育園などでも、ちょっと周囲から浮いているくらい。
なのに、本のことを話す時や、この本屋での話をする時だけ、少し違う。
ちょっと顔をゆるめて、嬉しそうに、本のことやあの人のことを話すのだ。
会ってもいない、知ってもいない、そんな相手のことを……わたしへと。
ふぅ、とため息を一つして、また二人の様子を見る。
そして、学(まなぶ)の顔は、今も昔も一緒だ。
暗がりのなかで、眼に映るその顔は……わたしの前では決して見せない、明るい笑顔ばっかり。
(……っ)
自分の口元が、変なふうにヨっているのが、見なくてもわかる。
シワができやすくなるって聞いたから、やりたくはないんだけれど。
考えれば考えるほど、胸のなかの想いと一緒に、シワも出ちゃう。
(なによ、あんな顔……そんなに、本や、あの人の方がいいわけ?)
棚に詰め込まれた、文字の羅列。
これを読んだからって、人生に何の役に立つって言うの?
この本棚の本を読んで、いろいろ考えたからって、わたしの悩みが解消するって言うの?
でも、本の話をしながら、あいつが見ているのって、本当に本なの?
(……あの、お姉さんの方が、いいってわけ?)
ぎゅっと視線を強めて、隣の店員さんを見てしまう。
あの女の人に、悪いことはない。
お店の人として、あの夢見がちの相手をきちっとやっているだけなんだから。
むしろ、問題があるのは学(まなぶ)の方だと想う。
もう二十分以上、あの店員さんと話し合っている。仕事の邪魔じゃないのだろうか。
そうして、わたしがギュッと見つめていると。
……?
店員のお姉さんが、こっちの方を見た気がした。
(!)
眼を合わされた気がして、手元の雑誌に眼を移す。
スポーツ雑誌へ眼をやりながら、写真を見て、ふつうのお客さんっぽいふりをする。
……そんなふり、する必要はないのかもしれないのだけれど。
(なんか、悪いことしてる気分……)
……問題があるって、わたしもそう。
直接言えないで、こうして、変質者っぽい行為で独り悩んでいるだけ。
そういえば覗き見って、こういうことを言うんだっけ。
……一番悪いのは、やっぱり、わたしだよね。
そう想いながら、少しだけ雑誌をパラパラとめくる。
偶然、興味のある記事が載っていたから、気持ちをごまかすようにちょっと読んでみる。
暗くて読みづらかったけれど、ちょっとだけ学(まなぶ)のことを忘れてしまう。
少しして雑誌を棚に戻し、さっきの二人の位置を見る。
(あ、あれ?)
さっきまで楽しげに話していた二人の姿は、もうそこにはなかった。
カウンターの方から、
ありがとうございました
という声が聞こえたので、そっちへ身体を向けようとすると。
あの
ひゃ、ひゃい!?
背中から急に呼びかけられ、わたしは想わず変な声を上げてしまった。