賛成、反対どっちとかいう質問とかあるけど、その質問自体が間違っている。

 現代の問題というのは、非常に複雑化していて、そんなことにただどっち派なのかという選択肢が与えられてもそれは非常に非情というもので道理でない。理屈では反対だけど気持ちの上では賛成という場合もあれば、これのこういうところは賛成、でも、ああいうところは反対だから、どちらとも言えない、という場合もあるだろう。

 言ってしまえば、二極化した思想とは、あまり深く考えていないことや、考えていても他の意見を受け入れない排他的思想により意見が偏り、見方を変えれば、主観というフィルターによって屈折した思想のみを受け入れることで、都合の悪いことは考えない→つまりあまり考えていないということだよね。

 Yes,Noがはっきりと言える。確かにこれは大切なことだ。しかし、それは、互いのメリット・デメリットを分析し、理解し、比較し、総合した結果という前提が過程が必要なのではないのか?その結果、ある意見、思想に対してYes,Noをいうのではなく、熟考した上でそれを改善していけばいいんじゃないのかな?ってことは当たり前なはずなのに、決めつけでYes,Noを言うことの多い現代の姿を見ると、改善して改良していける可能性を、プライドや短絡的思考で失っている。つまり、自ら発展の可能性を失っていると感じる。

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