シーナ

「鬼」……

彼女は振り返ったまま恐怖で固まってしまっていた。目の前にいる男性の頭にあるのはずっと見つめても変わらず「鬼」の角で。

この男性がレイとイチの主人だなんて、信じたくなかった。なぜなら、世話役から子どもの頃聞いていた物語の中では「鬼」はいつも悪役で、怖い生物で。そんな鬼が目の前にいることですら驚きなのに、レイとイチの主人だなんて。

そんなシーナを見つめていた男性はゆっくりと彼女から距離をとると、声をかけてきた。

???

やっぱり怖いよね、……こんな姿

恐怖で足をすくませていたシーナは、目の前の「鬼」の声でふと我に返った。想像もしていなかった辛そうな声。そしてシーナが怖がっていることに気づいてくれたのか、自ら距離を取ってくれた。

そんな男性の言動を見た彼女は、魔術の「禁忌」を犯したせいがこれじゃないかと考えついて。そう思うと怖がっている自分が情けなく感じてしまって、シーナは申し訳なさそうに男性に話しかけることしかできなかった。

シーナ

……確かに怖いけれど、…でも、……貴方がレイとイチさんを助けた、…禁忌を犯した魔術師なんでしょう……?

???

そうだよ、…でも禁忌なんてどうだっていいんだ、……ここから出られなくても、イチとレイが色々助けてくれるし、こんな姿でも、……世界を救う救世主を守るためだから、…それなら構わないんだ

距離を保ったまま自分の問いかけに返してくれる男性。「救世主」を守るため、とはどういうことなのか。イチから話を聞いた時もやはり「救世主」というワードが気になっていた。

でも、それよりも先に彼に対する自分の誤解を解きたかった。だから彼についての質問を彼女は始めた。誤解を解いてから、彼と距離を縮めてから、内輪の話を始めたかったのだ。

シーナ

……代償って、…この世界に閉じ込められて、…そしてその姿……?

???

そうだね、……「大事なものを失う」とは聞いていたけれど、…まさか「鬼」なんて、ね

やはり魔術の「禁忌」を犯した「代償」が原因、それを男性の口からしっかり聞き取った彼女は、自分の誤解で怖がっていたことで彼を悲しめたと申し訳なく感じた。ここまで来ておいて、それが嘘じゃないかと詮索する気はもう彼女にはなかった。

シーナ

ごめんなさい、……会いたかったのは私もなのに、……怖がったりしちゃって…

???

謝る必要なんてないさ、……さすがに僕も初めて「鬼」を見たら同じようになると思うし、ね?

「気にしなくていい」と言う目の前にいる男性は、くすくす笑いながらシーナを見つめていた。それは先ほどまで悲しそうにしていた彼と違って、とても可愛らしく、でもどこからか威厳も感じる、不思議な男性だと、シーナは感じていた。

シーナ

……ねぇ、…どうして私なの?…ここまで手助けしてもらう必要なんて…?

男性の誤解が彼女の中で解けた後。これまでずっと抱いていた疑問を問いかけることにした。どうしてレイやイチに頼んでまで、シーナをここまで連れて来させたのか。「救世主」に関係があるのか。

彼らのおかげで決意も固まり、逃げ出すことなくここまで来ることが出来た。ただ、そこまでしてもらう理由がシーナにとっては見つからないのだ。

???

そうだなあ、……ねぇ、お嬢さんはこれからどうしたい?

目の前の男性は彼女の問いかけにどう答えようか少し悩んで見せると、答えを言わずに問いかけを返してきた。彼女にとっては答えがもらえず、踏み込んではいけない内容だったかと考えながらも、彼の問いかけに返す答えは決まっていた。

これからどうしたいか。答えは一つに決まっている、彼女は目の前の男性を見据えると、決意を語り始めた。

シーナ

私は、……笑顔で世界を救いたいの、…レイやイチさんのような、…この国だけじゃなくて、…世界を、平和にして、……皆で笑い合える、そんな世界にしたい、……綺麗事かもしれないけれど、……もう逃げたくないから

笑顔を見せながら決意を語るシーナを見て、男性は楽しそうに笑いながら「やっぱり、……あの二人で正解だったな」と呟いた。

その言葉を聞き取ったシーナは、どういうことだと彼を見つめて。
そんな彼女の姿を見た男性は、先ほどの答えをどう説明するかと考える素振りを見せつつ、想いを話し始めた。

???

……イチに案内役を頼んだんだけど、…でもレイが、そして救世主になるであろうお嬢さんがここまで変わったのはいい契機かもね

シーナ

私が、……救世主になる…?

彼の言葉に耳を疑ったシーナは、直ぐ様声をあげていた。「救世主」になるのが自分というのは、どこから信じていいのか分からなかったのだ。

レイに出会う前、お城に一人で「つまらない」と毎日を過ごしてきた自分がどうして。「次代の王様」だとしても、「救世主」なんかに一番遠い存在だと思っていたのだ。

しかし目の前の男性の口から紡がれるシーナの問いかけに対する答えは、やはり嘘には聞こえなかった。
だからこそ、自分が「救世主なんて」ということしか彼女の頭にはなかった。

???

世界を救いたいんだろう?……僕の力はこの姿になって薄れたけれど、遠くからはうっすらだった君のオーラも、近くになるとすごく感じるんだ、……お嬢さんはきっと救世主になれるさ

きっと本当のことなんだろう。嘘なんかじゃない。

彼女にとってはこれまで自分が何をすればいいのか、何をしていいのかさえ分からないで悩んできた。そんな自分に「救世主」になれる、と優しく話してくれる彼の言葉は、驚きもあったが嬉しい気持ちの方が強かった。

シーナ

……ありがとう、…でも……

「どうしたらいい」のか。そう問いかけようとした彼女の言葉を遮った彼の言葉は優しい声色で、シーナの心の中の不安を全て見透かしたような言葉だった。
でもその言葉は、彼女にとってとても暖かいものだった。

???

大丈夫だ、僕と、そしてイチとレイが、助けるさ、……だから安心して、…自分の思ったまま、行動すればいい

???

さて、もっと話したい所だけど、君を無事に帰さなければ、きっとイチとレイに怒られるから、……振り返らずにさっき通った道を戻るんだ、…大丈夫さ、…また会える、その時に話そう

男性は残念そうにシーナを見つめながら、この世界からの帰り方を説明し始めた。その言葉に彼女はここにいることが危険なことだったことを思い出した。そう、ここが「異世界」だということも彼女は忘れかけていたのだ。

元の世界に帰ったら、次に彼と会うのは遠い未来になってしまうかもしれない。何度も危険を顧みてここまで来るのはさすがに気がひける。もっと話したい、というのはシーナも変わらないのだが。

シーナ

えぇ、……ありがとう、…私は貴方の、…えっと…

だからこそ、しっかりお礼を言って、自分の決意を伝えて。今度会うときには少しでも成長した姿を見せる、と決意して。

そう考えながら言葉を始めようとしたら、彼の名前を聞いていなかったことを思い出した。

環弦

僕は「環弦」という、……何かあったら「鬼さんこちら」と心の中で呼んでくれ、…必ず助けに行こう

シーナ

カンゲンさんのおかげで私は変わったわ、……もう何からも逃げ出さない、…この国だけじゃなくて、世界を笑顔にしたい、……レイとイチさんのためにも…、戦争を終わらせたい、それだけじゃなくて全員を笑顔にしたい

必ず助けに行く。その言葉だけでも彼女の心の支えとなるのには変わりない。そして、きっとカンゲンや、レイやイチなら本当に助けに来る、そんな気がした。

環弦

イントネーション違うけどいっか、……ほらもう時間が近づいている、…また、会う時には、…君はもうきっと女王様だから、……いつでも見守ってるよ、……救世主になるお嬢さん

島国の「環弦」という名前と、彼女の発するイントネーションが違っていたが、それは彼にとって恥ずかしくも嬉しいことだった。
魔術を極めて、周りから人がどんどん離れていって。いつか立場が確立していて、誰も同じ立場で話せる人がいなくて。そうなった時には名前を呼んでくれる人もほとんどいなくなっていた。だからこそ、名前で呼んでくれたシーナの言葉は嬉しくて。

シーナ

ありがとうございます、……それと、……

シーナ

世界を笑顔で変えていきたい、救いたいの、……だからこそ
カンゲンさんの
言う救世主になりますわ

しっかりと想いを伝えて。カンゲンにお辞儀をすると、「また来ます、……必ず」と最後に言葉を残して。

そのままカンゲンの言った通りに振り返らないように道を戻り始めた。

シーナ

……さっきはなかった、階段が、…あ、でも消え始めてる、…早く戻らなくっちゃ…!

ただひたすら道を戻って。そして必ず、もっとカンゲンと話したいと思っても振り返らないように。




そうすると、先ほどは消えていた階段がまた目の前に生まれていた。でももうその階段は消えかけていて。彼女は消えてしまったら戻れないのでは、と咄嗟に考えると慌てて階段に足を踏み入れて。でも「ここで何かあると帰れなくなる」というレイの言葉を思い出して、一歩一歩踏みしめて、階段を上り始めた。

環弦

……お嬢さんは、きっと世界を救うさ

シーナは帰り際にカンゲンの優しい声が聞こえた気がした。「気のせいじゃないよね」と内心嬉しく思いながら、元の世界に、レイとイチが待っている世界へ戻っていった。

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