イチはまずどこまでシーナが知識として持っているのか確認しながら話を進めた。「遠い島国はどこにあるか」「その島国の近くにどのような国があるか」、そして「戦争はどこで勃発しているか」と。
そこまで確認を終えると、イチは「ここからは大事な話だから」と念を押してから話を続けた。
イチはまずどこまでシーナが知識として持っているのか確認しながら話を進めた。「遠い島国はどこにあるか」「その島国の近くにどのような国があるか」、そして「戦争はどこで勃発しているか」と。
そこまで確認を終えると、イチは「ここからは大事な話だから」と念を押してから話を続けた。
さて、数年前からその島国は戦火の中なんだ
戦争、……多くの人が苦しんでいるのね…
「戦争」という言葉を聞くと、ここに来る途中でレイと見た笑顔のない場所の風景が蘇ってくる。この国に住む人以外にも苦しんでいる人がきっといる。そう考えていたのが現実に存在するんだということをイチの話で突きつけられていた。
この国だけじゃない。苦しんでいる人全員に、世界に「笑顔」を届けたい。ただそれだけを願って、「次代の王」として生きていこうと決心しながらイチの話に真剣に耳を傾けていると、イチの口から想像もしていなかった言葉が出てきた。
そう、……僕と零は、その島国で産まれた、…そして、……僕も零も、戦争に巻き込まれて……死んだ
死んだ……って…?
戦争に巻き込まれて「死」んだ。目の前で先ほどまで言い合っていた二人が、もう「死」んでいるなんて信じられるわけ、ないけれど。でも、イチの声のトーン、表情、そしてこれまでのレイとイチの言動を含めると「嘘」に聞こえなかった。
お嬢さんが信じ難いことを言っているのも分かっている、……でも、真実なんだ
イチは信じなくてもいいんだ、と優しく声をかけてくれたが、「真実なんだ」という声の重みは大きく感じた。シーナはそのままイチの「大事な話」を聞き逃さずしっかり聞き取ろうと、真剣に耳を傾けた。
戦争が勃発して一年、二人の住む島国は中立の立場を続けていたもののそれも長くは続かず。ある日、援助を求められたその島国は、「中立」ということで拒否。そこで島国は戦争に巻き込まれることとなった、らしい。
イチとレイは、魔術師の見習いとして島国に唯一あるという魔術師の学校に通っていたが、「魔術師は何でも分かる、戦争の敵としては厄介だ」と奇襲され、学校は崩壊。二人も「死」んだ。
そこで助けてくれたのが今の主人で、魔術の禁忌を犯して、イチとレイを「蘇生」したという。大きな代償もあるのに、主人は二人を「将来の救世主を助ける魔術師だ」と「蘇生」してくれて、何でも仕事はこなすと、そして立派な魔術師になるんだと、戦争を終わらせるために努力する、とイチはレイと決意したそう。
そんな話をイチから聞いたシーナは、自分に嘘をつく必要性を感じず、そしてイチとレイの深刻な話を聞いて、信じる以外の選択肢を考える余地は彼女にはなかった。
……信じるわ、…二人を助けた人が、…主人なのね…?
信じてくれるのか、……ありがとう、…これ以上のことは主人に聞いて、…ただ一つだけ、……僕の話したように、戦争に巻き込まれて命を落としたり、毎日が地獄だったり、……きっと戦争が終わっても、ずっと過酷な環境で生活する人もいるということだけ、……僕はそれを変えたい、だから主人を信じて行動してるんだ
シーナが信じてくれることに驚いた表情を見せたイチは少し間を空けて、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
シーナはこれ以上深く踏み込んで彼に問いかけるのは彼を苦しめることになるかもしれない、そう感じて、彼の言葉通り、イチとレイの主人に会って「救世主」についてもっと詳しく聞こうと考えた。詳しく知ることができたら、きっとイチの願いも叶えられる、と。
……日常生活の一つ一つが失われていっているのね、…私は、この国だけじゃない、……世界を笑顔で包みたい、…救いたいの
イチが語ってくれた想いはきっと自分のものと大きく変わらない、でもその言葉の重みは違う、そう彼女は感じていた。
シーナはまだ「戦争」の戦火の外で。イチやレイは一度、戦火に巻き込まれている。自分が強く願っても、それはただの綺麗事なのかもしれない。
簡単なことじゃない、……でも、主人がお嬢さんを見つけた、…それはきっと、お嬢さんが救世主になる、ということ、……なのかもしれない
それでも。「次代の王」として、イチとレイ、そして自分を見つけてくれたこれから会う主人のために、自分が何かをしなければいけないんだ、と。逃げてばかりではいけない、そう強く彼女は決心した。
そのためには自分が暗い顔をしてはいけない。レイの言葉をふと思い出すと、シーナは大きく深呼吸をして笑顔を見せて。
……分かっているわ、…私が笑顔でいたら幸せが舞い込んで来るはず、……たくさんの人を救いたい、…だからこそ、レイとイチさんの主人に会いたい
シーナの笑顔を見たイチは、彼女の笑顔につられて微笑んで。彼女を安心させるように、先ほどまで話していた声とは違って優しくシーナに声をかけた。
零はお嬢さんにたくさんの物を与えたようだね、……大丈夫、もうすぐ会えるさ
イチから聞いた話はシーナの決意を強くするものだった。
自分の綺麗事だけじゃない、彼らのためにも、綺麗事を現実にしたい。いや、してみせる。
そして彼女は笑顔を取り戻した。
ほら、準備出来たぞ、……何で俺が一人で…
イチの話を聞き終えて、シーナが笑顔を自分で取り戻した後。レイが大きく溜息をついて文句を言いながら部屋に戻ってきた。外はそんなに暑くないはずなのに、レイは汗をかいていて、何か重労働をした後のように見えた。
文句言わない、……お嬢さんをしっかり主人の元に導いてきてくれ、…本当は僕の仕事だったけれど、…お嬢さんにとっては零の方がいいだろう
レイの姿を一瞥したイチはすぐに言葉を始めた。自分よりレイの方が適役だから、と。
「導く」とは何なのか。彼らの主人はどこにいるのか。そんな疑問が湧き出てきたシーナはイチに対して心配そうに声をかけた。
……どういうこと…?
零についていけば分かるさ、……無事に帰って来ること、…祈ってるよ
シーナが心配していることを感じたイチは、彼女に向き直って安心させるように微笑んで、行っておいでと優しく声をかけて。
そして、「無事に帰ってきてね」と間を空けてぽつりと一言呟いてみせた。
……無事って、…危険、……なの…?
イチが安心させようとしてくれているのはシーナにとって、嬉しいことだった。いつも誰かに支えられて、自分は強くいられる。そう考えながらも、「無事に」という言葉が引っかかっていた。
僕がしっかり案内役になれればよかったんだけど、……お嬢さんは零に心を許している、…なら僕は零に任せるさ、…だから零に聞いてごらん
心配そうな表情で見つめる彼女をただ見送ることしか出来ない。イチはそんな自分の情けなさを痛感しながらも、後はレイに任せると決めたのも自分だと言い聞かせながら、ゆっくり言葉を紡いでいた。
レイがきっと彼女を守ってくれる。いつも言い合っていても、イチはレイのことを信用していた。だからこそ、レイはシーナをしっかり導いてくれると、そう信じることが出来たのだ。
レイ……?
そんな顔すんなって、……大丈夫、…大丈夫だ
イチの言葉を聞くと心配そうにレイを見つめるシーナ。レイはそんなシーナに近づくと、彼女を見つめて笑いかけながらただ「大丈夫だから」と声をかけて、そして彼女の頭を優しく撫でて。
イチはレイのそんな姿を見つめながら何かを考えているようなそんな素振りを見せていた。
えぇ、……世界を笑顔で救いたい、…もっと世界を知りたい、…大丈夫、イチさんも、……それにレイもついている、…もう迷わない
レイの優しさに触れたシーナは、目を閉じて彼の「大丈夫」という柔らかな声色の言葉に耳を傾けつつ大きく深呼吸をして。「世界を変えたい」と願って、レイとイチのためにも願いを叶えたいと、そう強く決意したのを思い出して、ゆっくり目を開けると、レイを見つめて微笑んで「大丈夫、……行きましょう」と言って見せた。
……おう、…行くぞ、主人の元へ
会った頃とは段違いに変わった彼女を見たレイは嬉しそうに笑いながら彼女の手をとって。
シーナはイチに対して軽く一礼して、そしてレイはただ一言「行ってくるぞ」と声をかけて二人で部屋から出て行った。イチはただその二人の姿を優しく微笑んで見送っていた。
さーて、……今回は零に全て取られたなあ、…零のあんな優しい姿、生前でも見たことないよ、…これが恋ってやつかな
レイがシーナを連れて部屋から出て行ったのを見届けたイチは大きく息を吐くと、そのまま静かに誰にも聞こえないような声で一言呟いて。
そして自分が出来ることはこれぐらいしかないと、ただひたすらシーナの無事を祈っていた。
大丈夫か、薄暗いから気をつけろよ
イチがいる家から出ると、そのまま路地裏のもっと奥へと歩いて、そして今シーナはレイに連れられて、路地裏の一番奥にあった階段を降りている。
そこは薄暗い空間で、二人の足音と心配そうに声をかけてくれるレイの声が反響するだけ。シーナはレイの手を強く握りながら、そして一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりと。
え、えぇ、……ここを通ればレイとイチさんの主人に会えるのよね……
あぁ、……ほら、俺につかまっていいから、足を滑らせないようにな、……もしここで何かあったら帰れなくなるかもだから
「帰れなくなる」とはどういうことか。レイやイチが魔術師見習いということ、主人は魔術師でもエリートだということもイチから聞いた。だからこそ、彼女の想像以上の経験でも信じてきている。そこでもし本当に「帰れなくなる」のなら彼女にとって恐怖にしかないのは確かだ。
帰れなく、……なる…?
主人がいるのは異世界、……世界と世界を繋ぐ場所はいつも危険が伴うものだから
心配そうに問いかけるシーナの声にレイがゆっくりと説明をしてくれた。
レイの言葉を疑うなんてもう考える必要もない。でも「異世界」だなんて、……信じ難いのも確かだ。
……異世界…、信じられないけれど、…でも、……ここまで来れたのも、…レイの力だから、…信じる…
……ありがとな、…シーナ
今、……名前、…?
レイの言葉にシーナは耳を疑った。初めてのことだったのだ。「シーナ」と呼んでくれるのは。
お父様でさえ、公務の時しか会わないからこそ「姫」と呼ばれていたし、それに最近はお父様に会っていなかった。名前で呼ばれるのは彼女の記憶の中で初めてで。
それがレイの優しい声色だったから、彼女は驚きながらも嬉しく思った。
ほら、もう着くぞ、……無事に帰って来いよ、…俺はあっちの世界で待ってるから、……絶対に、…帰って来い
……えぇ、…行ってきます
レイは恥ずかしかったのか、それとも本当にもう着くから声をあげたのか、それは彼女には分からなかったが、シーナの言葉を遮ってレイは優しく声をかけてきた。
ゆっくりシーナの手を掴んでいた手を離すと、そのまま「必ず、…無事でな」とレイは優しく笑いかけて。
シーナは彼から手を離されると少しの不安が生じたが、それでももう逃げ出したくない、そう決心していた彼女はレイに笑顔でお別れをして、ゆっくり歩み始めた。
ここが、……異世界…?レイとイチさんの主人が、…ここにいるって聞いたけれど……
階段を降りきった先にあったのは、彼女がこれまで見たこともない建物だった。ふと後ろを振り返ると、いつの間にか彼女が降りてきたはずの階段は消え去っていた。
どうすればいいのか分からず、建物の中に入ってみようかと中の様子を確認しようとした時。
「お嬢さん」と声を背後からかけられ慌てて振り返ると、そこには想像もしていなかった姿をした男性がいた。
待ってたよ、お嬢さん
シーナが踏み入れた異世界で待っていた「主人」は、この世には存在しないはずの、物語の中にしかいないはずの、恐怖の生物、「鬼」だったのだ。