シーナは気づいていないが、……お父様も毎日心配をしている。特に「祭祀」の日はシーナが「自分のせいで」と抱え込まないかいつも不安でいっぱいなのだ。昔からの伝統で「祭祀」を止める決意も出来ず、ただただ公務を行う中で心配をするしかないのである。
今日は「祭祀」の日だが、……シーナが自分をまた追い込んでなければいいのだが…
シーナは気づいていないが、……お父様も毎日心配をしている。特に「祭祀」の日はシーナが「自分のせいで」と抱え込まないかいつも不安でいっぱいなのだ。昔からの伝統で「祭祀」を止める決意も出来ず、ただただ公務を行う中で心配をするしかないのである。
戦争含め心配ですけれど、……やはり姫様の心の傷が今以上に深くならなければいいのですが…
世話役の言う通り、戦争が起きている中の「祭祀」も不安要素としては小さいものではない。王様として、国を治める者としては「不謹慎だ」と言われないか、そして他の国から交流を断たれてしまったら…、考えるだけで不安しかない。
しかし、王様以前に一人の娘をもつ父親として、娘のことは見てきていた。いつか戦争が終わった時には外に連れ出してやろうとも考えているほどである。
10年前、つまり最初の「祭祀」がとり行われた際に、シーナは自らの命を絶とうとしていた。事が起きる前に世話役に止められて傷を負うことはなかったが、「自分のせいでお母様が、……どうして自分は産まれてきたの」という言葉は世話役も、そして父親である王様もずっと心に残っている。
……私が父親として守れればいいのだが、…今日も関係者に挨拶したりと仕事が多くてな、……お主に任せてもいいか?
父親でありながら、国民に愛される王様でなければならない。娘一人を守る前に、国を守らなければならない王様として、公務を放り出すことは出来ない。
世話役に任せることは、自分の「父親」としての責任を押し付けていることになることは重々承知している。でも、彼に任せるしかないのだ。
……もちろんです、…王様のため、そして子どもの時から見守ってきた姫様のため、…尽力します
すまぬな、…お主に責任を押し付けてしまって……、任せたぞ
世話役は、世話役としてずっと見守ってきた、そして育ててきたシーナを守りたい気持ちは王様より強いものであった。彼女が守れるならば、自分の命を差し出してもいいぐらいに。
でも、最近のシーナを見てきた彼にとっては「尽力」という言葉しか出てこなかった。「必ず守る」なんて、今の自分ではどうしても言えなかったのだ。
自分自身がシーナを「つまらない」日々に押さえつけてしまっていること、そして、「お母様の命日」について思い出させてしまったこと、世話役として最低だと思っていたのである。
お父様と世話役が自分の心配をしているとも知らず、シーナは知らない男性から言われた「逃げ出す」という言葉を繰り返し唱えては考え込んでいた。
結局、あの日から彼女は何度も考えていたが、どうしても答えが出せていなかった。
出る……外に出てみたい、…けれど……
……まだ決意できてねぇのか
突然聞こえてきた声に彼女は勢いよく振り向いた。
「迎えに来る」とは言ったものの、もう一度危険を冒してまで来るのか少し心配でもあったのだ。「逃げ出す」覚悟すら出来ていなかったものの、名前も何も知らないこの男性が迎えに来てくれるかもしれないということにシーナは期待していた、のかもしれない。
……あ、…ごめんなさい……、だって…
「だって」 そう言う彼女を見てすぐに機嫌を悪くした男性は部屋の外に声が漏れないように大声は出さなかったものの、シーナを真っ直ぐ見て、誰も彼女に言ったことがない言葉を、彼女に説教するように吐き出した。
だって…?そうやって理由を上手く付けれればまた「つまらない」日々を繰り返してもいいってのか?これまで、自分なんてって我が侭押さえつけてて、これからもそれで生きて行けるのかよ?
シーナは自分の感情を押さえ込むのが得意ではなかった。でも、次代の王様として、またお父様に迷惑をかけないように、必死に気持ちを押さえ込んでいた。それはいつ爆発してもおかしくないほどには。10年前、死にたいと考えたのも押さえ込んでいた気持ちが問題だった。
そんな気持ちを、まだ出会って間もない男性に全て見抜かれていたのだ。一番長く一緒にいたであろう世話役にここまで言われたことはない。世話役は優しく言い聞かせるだけだった。だからこそ彼女の心は大きく揺れ動いた。
これからもそれでいいのか、……いいわけがない。いいわけがないのだけれど。
……確かに、…もう、……お母様の命日や、…次代の王様の責任、…とかには…囚われたくないわ…
でも、どうしても、今ここで城からこっそり出ていくことで世話役に、そして、お父様に迷惑がかかるのではないかという不安が拭いきれなかった。
シーナがどうしていいか口籠もっていると、男性は大きくため息をついて窓に近づいて彼女に声をかけた。
それでも、……行かないってなら、俺は帰るぞ
初めて男性がこの部屋に来た時と同じようにここから飛び降りて帰るのだろうか。男性はゆっくり窓に手をかけて、最終確認のようにもう一度シーナを見て。
そこでシーナは大きな決意をした。
待って!!
何だよ、……行く気になったか?
窓から飛び降りようとしていた男性は、シーナに呼び止められて面倒くさそうに、でも少し嬉しそうに彼女を見つめた。次の言葉を待つように。
えぇ、…もう、逃げたくないから、……だからちょっと待っててもらえるかしら?…さすがにこの格好だと……
シーナの決断は産まれてから一番大きな物だったかもしれない。我が侭を言うのは甘えであり、母親を殺した、そして次代の王として、絶対してはいけないと押さえつけていたのである。その我が侭を初めて実行に移す、彼女を変える一歩となる、そんな決断だった。
シーナはお姫様ということもあり、外に行けばすぐ目立ってしまうであろうドレスを着ていた。だから、一番気づかれないような、それは無理だとしても少しは誤魔化せる服を探して、着替えたいと願い出たのだが。
おう、そうこなくっちゃな、……だが時間がないな、…もうすぐ世話役のやつが来る
……何で分かるの…?
シーナは驚きはしたもののこれまでの男性の言動から嘘ではないことを悟った。世話役がここに来る。そうすればこの男性の不法侵入も、私がその男性を受け入れていることも、ここから出て外に行こうとしているのも、全てバレてしまう。
いずれバレることとしても、こんな始めから躓くわけにはいかない。それは分かっている。
説明面倒だっつぅの…、……取り敢えず…
シーナの問いには気怠げに返事をしては、ゆっくりシーナに近づいて、彼女の腹の辺りに手を翳した。そして、男性がゆっくり目を閉じてシーナは聞き取れなかったが何かを唱えると彼女は光に包まれていた。
おらよ、……それで少しは誤魔化せるだろ
……服が…、……どういうこと…
光が眩しくて目を瞑っていた彼女はゆっくり目を開けると自分の服が変わっていることに驚きを示した。やはりこの男性は「魔術師」か。でもそんなことを今更問いただすことを彼女はしなかった。
もうここまで受け入れてしまったのだ。男性を信じるしかない。
さーて、行くぞ、……ここから飛び降りるだけだけど
でも彼の次の言葉は、予想できていたもののすぐに受け入れることは彼女には出来なかった。
この飛び降りたら必ず命を落とすであろう所から飛び降りるなんて。以前、この男性は容易くしてみせたがそれも幻覚か何かかと思い込ませてきていたから、……いざ、自分がするとなると恐怖で足がすくんでいた。
……前、貴方が初めて来た時に飛び降りて帰った……と思う…から、……もしかしたらと思ってたんだけど…
男性が仕方ないな…とシーナに手を差し出したその時。
廊下から聞き覚えのある声が、……世話役の声が聞こえた。
姫様、……入ってもよろしいでしょうか…?
いつもはノックとともに彼女が「えぇ」と一言言うだけで部屋に入ってきた世話役だったが、今日は「祭祀」ということ、そして彼女にそれを思い出させてしまったことで彼女が自分に会いたくないのではないか、ととても心配そうに声を掛けてきた。
彼女は取り敢えず部屋に入れてはいけない、と彼に返事をした。
入って来ないで、…一人にさせて……
申し訳ありません、…で、でも……
予想できていた「一人にさせて」という言葉に、世話役はとても申し訳なさそうに謝った。辛い思いをさせているのは自分のせいだ、……だから彼女の願いは聞き入れたかった。
でも、彼女を支えて守るのは自分に与えられた仕事であり、それが自分の願いでもあった。だから引き下がることも世話役は出来なかった。
ちっ……、もう来てしまったのかよ、……責任を感じて帰る気配はなし、……おい、早く行くぞ
男性は気怠げに状況を整理すると、早く行くぞと差し出した手を掴むように促した。
それでも彼女は恐怖で足がすくんでいるせいか、男性の手を上手く掴むことが出来なかった。
分かってる、…分かってるわよ、……でもここからって…
姫様、……どうにかなさいましたか?何か聞こえたような気が…
男性の声をわずかに聞き取ったのか。世話役は心配そうに、でも彼女の身に何かあったのではないかと、先ほどまでと打って変わってノックの力を強くして、部屋に入れることを許可してくれと願い出てきた。
いいから、……怖いなら捕まってろ、…すぐ着くから
そんな世話役の声とノックの音を聞いて、もう時間がないなと悟った男性は足がすくんで動けないシーナの腰に手をかけると、いわゆるお姫様抱っこをしてきた。
……え、…な、……っ
彼女が気づいた時にはもう飛び降りる時で、……恐怖で目を瞑るしか出来なかった。
……姫様、…どうかなさいましたか…!
大きな物音を聞き取った世話役は、心配そうにゆっくりドアに手をかけた。彼女の身に何かあったのではないか、そんな中 ここで時間を使うわけにはいかない、と。彼女の許可を得ることなく部屋に入ることを決意したのだ。
そこに、シーナの姿がないことを知る由もなく。
姫様、……い、ない…、そんな……!
シーナがいないことに気づいた世話役は勢い良く部屋に入り込み、窓が開いていることに目を留めた。普段、彼女が一人でこもっている時にこの窓が開くことは滅多にない。自分が体の心配をして開けるも、次に来た時には閉まっているものだった。
もしかしてここから……、と慌てて窓に手をかけて外を見渡したものの彼女の姿は見当たらなかった。
「彼女が自殺したのでは」という一番の心配から解放されたものの、部屋の様子から彼女に何かあったのは間違いなかった。
世話役は勢い良く部屋から出ると、自分の整えられている身だしなみが汚くなるのも、周りの視線が自分に向けられるのも、見向きもせずただ走り出していた。
姫様、……無事で、……無事でいて下さい…!