お姫様抱っこをしていた男性がゆっくりシーナを下ろしてくれると、シーナは目をゆっくり開けた。そこには彼女の見た事のない風景、そして久しぶりに感じる体に吹き当たる風、ちょっと強い日光、そして爽やかな美味しい空気。何もかもが彼女にとって新鮮なものだった。
お姫様抱っこをしていた男性がゆっくりシーナを下ろしてくれると、シーナは目をゆっくり開けた。そこには彼女の見た事のない風景、そして久しぶりに感じる体に吹き当たる風、ちょっと強い日光、そして爽やかな美味しい空気。何もかもが彼女にとって新鮮なものだった。
本当に、……外に…出れたの…?
まぁな、風も日光も、気持ちいいだろ
驚きながら周りを見渡したり、大きく息を吸い込んだりしているシーナを見て、男性は楽しそうに笑ってみせた。
外の世界。「つまらない」と言って部屋にこもっていた時には感じた事のない物が、たくさんここには存在していた。
えぇ、……部屋にいた頃とは大違いね
何もかも「知らない」ことばかり。それを自分の目で、肌で、体で、感じられる今が幸せだった。
いつも我が侭を抑え込んでいた彼女は、作り笑顔ばかり得意になっていた。でも、今は久しぶりに無意識に笑っていた。それだけ幸せなのだ。
その笑顔がお前には一番似合うと思うぜ
なっ、……あ、ありがとう…
お父様からも、世話役からももちろん言われたことのない言葉。そんな言葉を男性は当たり前かのように何も戸惑いなく言ったので、シーナは目を丸くして男性を見つめた。そして、ふと我に帰るとただお礼を言うことしか出来なかった。
本当のこと言ったまでだろ、お礼なんていらねぇよ
シーナにとって初めてのことは外の世界だけではなかった。いつも自分の立場が先にきてしまって、嘘を言われることも、それに気づくことも、子どもの頃から慣れてしまっていた。でも今、目の前にいる男性が言った言葉は「嘘」に感じなかった。嘘だと、お世辞だと気付きながら謙遜するのには慣れていたはずなのに、今、立場を置いて本音の言葉で褒められると謙遜もできず、ただ嬉しくて、でも恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
さーて、……少しぐらい祭祀楽しんでもいいだろ、…後で主人に会いに来てもらってもいいか?
もちろん、ここまでしてもらって嫌なんて言えないわ
主人とは誰のことなのか。シーナにとってもうそんなことを気にすることは必要なくなっていた。それは誰であってもいいということを意味していた。自分を変えてくれて、無理だと思い込んできた外の世界に出してくれた、そんな男性が仕えている人なら誰でも会わないわけがない。今は「お姫様」でも、「次代の王様」でもない。一人の人間としてそう思うのだ。
ほらよ、行くぞ、……離れんなよ
シーナは優しく手を差し伸べてくれた男性の手を取ると、ゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように、祭祀が大々的に行われている中央の広場へと歩き始めた。
とても綺麗、……皆、楽しそうね、……初めて見たわ、皆の笑顔
中央広場に着くと、多くの楽しそうな声、そして笑顔が溢れていた。お城から見たことのない景色に溢れているこの場所は、彼女にとってとても鮮やかに色付いた世界で、そこにいるだけで幸せで、自分もつられて笑顔になっていた。
あぁ、……おらよ、お前、こんなの食べた事ないだろ
彼はあるお店にシーナを連れていくと、何かを買ってきては彼女に手渡してきた。それを口に含むと、すぐ口の中で消えることはなくでも舌で転がすと甘い、幸せな味が広がってきた。
とても甘いわ、…あら、口の中で残るのね、…飴って言うの……?
あぁ、口の中で転がし続けたらちょっとずつ溶けていくんだ、……俺の好物だから気に入ってもらったなら良かったぜ
シーナが商品の名前をゆっくり読み取って、自分の口に含まれている甘くて綺麗な食べ物が「飴」ということを知る。
それはこの男性の好物であり、男性はシーナに手渡した物と同じ種類の飴を口に含んだ。そして、飴がシーナに気に入ってもらえたことでとても嬉しそうに笑ってみせた。
好物なのね、……こんな美味しい物、教えてくれてありがとう
あぁ、……ほら、もうちょっとだけ買って行こうぜ
シーナは男性の好物という事を知ると、味わうように口の中にある飴を舌で転がした。知らない味だったけれど、とても甘くて、でもその甘さが絶妙にバランスが取れている味。そんな味を堪能しながら、男性と笑い合って飴をもう少し買って外に出た。
外に出て、中央広場にある店を少し回った二人は休憩ということで国のはずれに出た。そこは彼女がさっきまで見ていた景色とは比べ物にならない物だった。
ここは、……先ほどの華やかさと大違い…?
先ほど中央広場にいた国民と対照的で、国のはずれにあるこの場所には笑顔はどこにも見当たらなかった。そればかりか、「祭祀なんて」「王様なんて」「この国なんて」と暗い言葉ばかり。
シーナはこれまで、お父様が治めるこの国にこのような場所があることなんて知ることもなかった。これが「貧困」なのか、それとも「戦争」の問題か。たくさん考えを巡らせても、答えは出てこなかった。
お前の父親が必死に変えようと頑張ってるけれど、……戦争で、…祭祀どころじゃねぇやつもいる
私が部屋の外から見てきた景色と、……先ほどまで見てきた鮮やかな景色と違う、……でも……
でも笑顔じゃない。
先ほどの中央広場で楽しく笑っていた国民と同じ国に住んでいるはずなのに、こうも違うものなのか。
お父様が治めているこの国は、何かが狂っているのか。
疑問しか湧き出て来なくて、彼女の頭では理解できる物ではなかった。
そう、……格差が、どうしても消えない、…華やかな世界には必ずと言っていい程影がある、……戦争が終わったからと言って変わるとも思えない
「影」、それがこの格差なのか。「つまらない」日々を過ごしていた時にシーナが感じていたものと同じ空気が、ここには漂っている気がする。
それは戦争が無くなっても、元通りになんてなるわけがない。そんなことはシーナも分かっていた。それは、もし戦争が終わって自分が外に出れていたとしても、何もかも元通りなんて、そんな都合の良いこと、出来るはずないと思ってきていたからだ。
……私、初めて知ったわ、…華やかな場所しか知らなかった、…でも、…私は、皆を笑顔にしたい…、お父様も、…同じ気持ちのはず…
同じ気持ちだろうな、……たくさん手を差し伸べようとしてきた、…戦争と、祭祀と、そして華やかな世界に住むやつが、それを拒んできた
お父様が変えたくても変えれない格差。
それは戦争で足りない物資、祭祀で起こる感情の食い違い、そして華やかな世界に住む国民の身勝手な行動、全てが入り組んで迷宮のように、ゴールが見えてこない物。
そのゴールを突き止めてみたい、そう彼女は心に誓った。それが「天才」への、「世界平和」への一歩だと知らずに。
……格差、…私、……この世界を変えたい、……でも、外に出て気づいたのは、私が知らない事ばかり…
初めての「次代の王様」としての目標。そして王様であるお父様に対するお願い。
これは我が侭を抑え込んできていたシーナにとって、初めて抱く想いの一つだった。
……俺は馬鹿だからお前に教えられる事も少ねぇ、…でも俺の仲間とか主人とかに会えばきっと、……何か大事なことが知れるはずだ
……本当に…?私、世界を、全員を笑顔にしたい、…だから、……もっと知りたいの
もっと知りたい。そう願うシーナに対して、男性はこれから彼女が会うであろう人に教わるように勧めてきた。
自分が知っているよりも多くのことをシーナに教えることが出来る人がいる。それならその人のいる所に彼女を連れていくのが自分の役目だと。そう強く思いながら。
お前が暗い顔してどうすんだ、……笑ってみせろよ、…こいつらも笑顔にしたいのに、お前が笑顔じゃなきゃ意味ないだろ?
彼女はこの国のはずれに訪れてから笑顔を見せることがなくなっていた。もちろん、初めて見たこの景色に驚き、悲しみ、途方にくれるのは当たり前。
でも、それでも、「笑顔」はシーナにとって重要な、これからの世界を変えるために必要不可欠だと、男性は気付いていた、のかもしれない。
……そうね、…もう、「つまらない」なんて言ってられないわ、……もっと知りたい、…そして笑顔を広めたいの
少し間をあけてゆっくり息を吐くと、落ち着いた笑みを彼女は自然に浮かべていた。これまで考えこともなかった「次代の王様」としての自分の未来像。それをゆっくり浮かべながら、彼女は願いをゆっくり口に出した。
その調子だ、……笑顔は大事だから、…これからも、…笑っておけ、そうしたらいつか幸せが舞い込んでくるだろうよ
意外とロマンティックなのね、貴方は
ばーか、俺に似合わねぇだろ
あら、……似合う似合わないの問題じゃないわ、…貴方の考え方、私は好きよ
「幸せ」が「笑顔」で舞い込んでくる。目の前の男性がこれまでの言動とかけ離れた言葉を言ったので驚きもしたが、シーナはくすくす笑いながら、男性に思ったことをそのまま伝えた。
それが男性の心に残るとも知らずに。
……ばーか
……何か言ったかしら?
男性が小さい声で言った言葉を聞き取れなかったシーナは、不安げに男性に問いかける。男性は彼女に対して少し抱いた感情をゆっくり心に収めると、不安げに聞いてきた彼女を安心させようと、もう一度優しく笑って見せた。
何も言ってねぇよ、ほら、そろそろ行くぞ、……主人の所に
えぇ、……もっとたくさんの事を教えてもらいたい、…行きましょう
これから会うこの男性の仲間、主人。彼女が初めて知る景色、包み隠されていない国の現状、そして、自分の決意。
全てが「天才」に繋がっている。