これは大みそかの夜に私が体験した実話です。

毎年自分たちはいとこたちと祖父母の家で集まって食べるのですが、やっぱり内輪だからこその踏み入った話をするので、あくまで冗談だけど喧嘩っぽい感じで愚痴を言い合ったりするのですが、そこで僕が、「あなたが〜」と母親に言った時がありました。
それを聞いた、いとこのお母さん、つまり叔母さんにあたる方が「それは許せない」と怒ってくださいました。

親というのは、常に子供の上にいる。

何故なら、子供はなにも生み出して無いから。

親に面倒を見てもらってきたから。

だから、尊重しなければいけない。

親が子供に対して理不尽を強いるのも、甘やかすのも、それは親の勝手だが、子供からそれに対して文句は言っても、必要以上の我が儘は、ましてや貶すことはしてはいけない。

勿論、親の事を親の聞こえるところで「あなた」や「おまえ」呼ばわりはしてはいけない。(子供を捨てた親や、暴力を必要以上に振るう親などの例外は除きますよ)

いくら、子供が反抗していても、必死に育ててきた親はそのように呼ばれると、傷つく。悲しくなる。

そもそもそんな呼び方をする権利はない。

だから、最低限の敬意は"呼び方"一つをとってもちゃんとしなければいけない。

そして、我が儘は言ってはいけない。

それは、ちゃんと自分で生み出している大人が言える事。
対等の立場にいる友達や仲間に対して言える事。
家族では、兄弟などに言える事。

確かに、家族だからこそ、迷惑をかけていい、自分の理想も押し付けていい。そんな考え方もある。
でも、それは自己中心的になんでもしていい事ではない。
本当に大切な時にしていい事で、どうでもいい事では我が儘をいってもそれをしてもらう権利はない。

例えば、出てきた朝ごはんに文句を言う人がいるが、それで散々文句を言って食べないという事はしてはいけない。
出されたものは食べる。
それだけの事。

親に対して、あなたなどと呼んで、今はいいかもしれないけど、それで関係が悪くなって、将来結婚して子供とかができても、親と仲が悪ければ、その子供は祖父母というものがいなくなる。
皆さんも、祖父母にお世話になった、お世話になっている人も多いはずです。


他にも色々あるけど、そういう事を含めて、『親は大切にする』という事だ。

これを聞いた後、怒られた事ではなく、この内容が強く心に響いて、泣いてしまった。
いままでの自分が恥ずかしくなった。

今回、こんな風に強く言ってもらえる機会があって、本当によかったと思う。
貴重な機会だったと思う。

なんでも理屈で、理論で説き伏せてきた自分の浅はかさを感じた。
いくらそれが正論であっても、親に対して敬意を無しに、そういう事を言ってはいけない。

勿論、文句を言ってはいけないという事ではない。

本音は必要だ。

でも、冗談でも越えてはいけない線がある。

そう、自分が母親のことを「あなたが」と呼んだように……。

それを、年を超える前に痛感できて本当によかった。

除夜の鐘は煩悩を払うというが、そんなまじないよりも、そんな鐘の音よりも強く心に響き、自分の業を振り払ってくれた。


今でも親に対して色々言いたい事や、文句はたくさんある。

然しながら、冷静に考えれば、さっきから書いているように、それはあくまで親に強要する事はできず、まして、それをいかにも親が悪いように暴言で言ってはならない。

今は我慢して受け入れなければならない。

そして、自分の力で生み出せる、稼ぐ事のできるようになってから、その我慢を解き放てばいい。

解き放っていい権利を始めてそこで得る事ができる。

実はこれを書いたのは11:20-11:55のこと、つまり年越し直前。そんな時なのにこんな事を書いていたのは、それだけこの事を忘れないで居たかったから。
それだけ心に強く響いたから。

皆さんの心には果たして僕の文章力て響いたかどうかはわからないし、間違った事を言っているのかもしれない。でも、この事を一つの論として、意見として、説話として少しでも受け止めてもらえると、なんて言えばいいのかはわからないが、とにかく良いのかと思います。

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