エノクが帰ってから七日。
 その日の鍛冶の仕事を終えたハル。日課にしている刀の素振りをする為、裏山に行こうとしていた。

ゴッツ爺

最近どこに行っとる?
悪さしとらんじゃろうな。

ハル

素振りっすよ。
いい汗かけるんす。

ゴッツ爺

鍛冶屋に素振りなぞ必要ない!
目も当てられん刀身彫りでも
練習せぇ!

 刀身彫り(トウシンボリ)とは、刀に文字や模様を彫る作業の事。ハルは苦手で、特に文字が下手すぎて目も当てられないのだ。

ハル

刀振るのすげぇ楽しいっす。
爺ちゃんもやると良いっすよ。

ゴッツ爺

待たんかぁ!

ハル

じゃ、行ってくるっす。
刀身彫りは遠慮しとくっすよ。

ゴッツ爺

…………

ハル

エノク無事に着いたっすかねぇ。

 ハルは一汗流した後、エノクの事を思い出していた。ディープスには早ければ14日程度、そうエノクから聞いていたからだ。

ハル

……将来かぁ。

 エノクに問われた将来の話は、ハルに考えるきっかけを与えていた。自分の将来はこの村で鍛冶屋を継ぐ。ぼやっとしたイメージしかなく、それが当たり前だと思っていたのだ。

ハル

まぁ、爺ちゃん
ほっとけねぇっすからね。

 もう日が落ちそうな空を一人見上げ、空腹のハルは、酒場に向かう事にした。

ハル

おっちゃーん。
今日もお疲れぇ。

酒場のオヤジ

あの金持ってるあんちゃんは
一緒じゃないのか?

ハル

ん?
エノクの事っすか?
エノクはもうこの村に
いないっすよ。
何でっすか?

酒場のオヤジ

そりゃあ、たった7日で元に戻った
ツケの心配してんだよ。

ハル

そんなに溜まってたっすか?

 ハルのツケは、エノクに清算してもらったにもかかわらず元に戻っていた。酒場のオヤジがエノクの行方を気にするのも無理はなかった。

ハル

あは、はは……。
こ、こりゃあ、早く稼がないと
いけないっすねぇ。

酒場のオヤジ

そうそう稼いでくれりゃあ
俺も万々歳だ。

ハル

こうなりゃ、自分もディープスに
稼ぎに行くっすかね。

酒場のオヤジ

おおっ、爺さんに聞いたか。
まぁ、血は争えないな。

 酒場のオヤジの言葉は、ハルの空腹を消し飛ばした。

ハル

爺ちゃんから何を? え? 
血って、どういう事っすか?

 思いがけない話に、ハルは動揺する。酒場のオヤジも、何かしまったと言った表情を見せた。

 取り乱しているハルの耳に、激しい衝撃音が入ってきた。

酒場のオヤジ

ってぇー。

ゴッツ爺

バカモンがっ!
ベラベラと喋りおって!

 衝撃音の正体は、ゴッツ爺のげんこつだった。調度、今、酒場に入ってきたみたいだ。聞き間違いや勘違いかとハルは考えてもみたが、ゴッツ爺の怒気はそれを否定した。

ハル

爺ちゃん。どういう事っすか?
血は争えないって。

ゴッツ爺

何の事じゃ。そんな事言ったか?

ハル

爺ちゃん……

ゴッツ爺

……

 しばらくの沈黙の後、不本意ながらなのだろう、ゴッツ爺が口を開いた。

ゴッツ爺

ワシの息子、つまりハル、
お前の父のジエンは、
ディープスに向かった。

ハル

ええっ!?

 父のジエンと母のサクラは、ハルが赤ん坊の頃に、病気で亡くなったと聞いていた。

ゴッツ爺

ワシの弟子でもあったジエンは、
迷宮にしかないと言われる
鉱石を採掘しに村を出た。

ゴッツ爺

そして冒険者であった
サクラと出会った。

ハル

う……

 ハルは覚悟をしていた。自分の知らない何かを知る覚悟を。だが、その覚悟の量は足らなかった。

ゴッツ爺

定期的に手紙をよこしておった
ジエンから、結婚する事を
ワシは知らされたよ。

 昔を思い出すゴッツ爺は、ハルの顔を直視出来ないようだ。

ゴッツ爺

そして間もない頃に
ハル、お前が生まれたんじゃ。

ハル

え?
じゃあ、自分はディープス
生まれなんすか?

ゴッツ爺

そうじゃ。
そしてその一年後……
手紙は途絶えた。

 言葉の意味するところは直ぐに理解できる。迷宮は危険な場所と、エノクから聞かされていたからだ。

ゴッツ爺

そしてわしがお前を引き取ったんじゃ。
詳細はわしにも分からん。

ハル

う、うぅ……

 事実を隠していたゴッツ爺だが、それを責める気持ちにハルはなれなかった。もちろんショックは大きい。頭の中で色んな事を考え巡らせたが、誰かを責めたり、わめき散らかしたりする気分にはなれなかったのだ。

 帰路につくゴッツ爺とハルに言葉はなかった。ただ靴が鳴らす足音だけが、夜道に響いた。星はやけに明るく光を放ち、空にまたたいている。

 自身の出生を初めて知った。この村で生まれたわけでない事。顔も知らない両親の行方。息子を失い赤ん坊だったハルを引き取ったゴッツ爺。自分の知らない過去が露になり、ハルの心は大いに乱れていた。

 ハルはこの晩、眠る事が出来ず、気が付けば刀を振り続けていた。

 少しずつだが振りが鋭くなっている気がする。まだまだ剣術を覚えたい。どこかで試してみたい。村以外の世界を見てみたい。地下迷宮とはどんな所なのか。魔物とは。そこにある唯一の鉱石。それで刀を作ったらどんな刀が。エノクとの再会も。そして顔も知らぬ両親。その人柄や、目的は何だったのか?

 ハルの興味は完全に村の外に向いていた。

ハル

爺ちゃーん、朝っすぅ♪
今日は鞘塗り(サヤヌリ)っすね。
ばっちり準備出来てるっすよ。

 元気すぎると言うか、いつも通りのハル。日常である鍛冶仕事を始めようとしている。その笑顔を受けたゴッツ爺は、神妙な面持ちで語りかけてきた。

ゴッツ爺

ハルよ。無理せんでいい。
村を出て行きたいんじゃろう。

ハル

自分は爺ちゃんの跡継ぎっすよ。
立派な鍛冶屋になるっす。

ゴッツ爺

人生で全てを得る事は出来ぬ。
だから選ぶんじゃ。

ハル

爺ちゃん何言ってるんすか。
よくわかんないっすよ。

ゴッツ爺

村を出ろハル。
ここに居てもお前の為にならん。
自分でわかっているはずじゃ。

ハル

何でそんな事言うんすか?
自分は爺ちゃんと一緒に……

ゴッツ爺

……

ハル

……爺ちゃん。

 ハルは胸の内で、外の世界への渇望を抑えていた。ゴッツ爺を置いて村を出る事など、頭から振り払っていたのだ。

ハル

爺ちゃん置いて出るなんて
出来ないっす。

ゴッツ爺

逆じゃ。ワシは好きでここにおる。
お前がここに入って来て、
元の場所に戻るだけじゃ。

ハル

鍛冶だってまだまだだし……

ゴッツ爺

無論、極意などとは程遠いが、
お前の鍛冶の腕は何処へ出しても
恥ずかしくない。
刀身彫りは目も当てられんがな。

ハル

酒場のツケも気になるし……

ゴッツ爺

それぐらいワシが払えんとでも?
まぁ、出世払いには期待しとらんよ。

ハル

ううぅ……。
ペクンタ(飼っているジョージ―牛)の
世話はどうするんすか?

ゴッツ爺

しつこいわっ!
グダグダと言っとらんで
決断せんかぁ!
それにペクンタはワシが元から
世話しとったろうが!

ハル

やっぱり、爺ちゃん捨てていくなんて
出来ないっす。

ゴッツ爺

何でワシが捨てられる
感じなんじゃ!
むしろ逆!
ワシが捨てるんじゃ。

ハル

ははは、そりゃそうっすね。

 真剣な会話にいつもの調子の会話が差し込まれる。赤ん坊の頃から二人で過ごしてきた。二人共、名残惜しくないわけがない。ハルが出生を知れば、こうなる事は予想出来た。それをゴッツ爺が止めれぬ事も。
 そしてハルにはゴッツ爺の言いたい事がわかっていた。

ゴッツ爺

誠に欲するものは何か。

ハル

誠の満足はその先にある!

 昔から口酸っぱく言われていた言葉だった。それはハルの決断を固めた。そしてエノクと再会を約束したように、ゴッツ爺の元に帰ってくる事を約束するのだった。。

~新章~に続く――

 ~序章~     3、出生と決断

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