エノクが帰ってから七日。
その日の鍛冶の仕事を終えたハル。日課にしている刀の素振りをする為、裏山に行こうとしていた。
エノクが帰ってから七日。
その日の鍛冶の仕事を終えたハル。日課にしている刀の素振りをする為、裏山に行こうとしていた。
最近どこに行っとる?
悪さしとらんじゃろうな。
素振りっすよ。
いい汗かけるんす。
鍛冶屋に素振りなぞ必要ない!
目も当てられん刀身彫りでも
練習せぇ!
刀身彫り(トウシンボリ)とは、刀に文字や模様を彫る作業の事。ハルは苦手で、特に文字が下手すぎて目も当てられないのだ。
刀振るのすげぇ楽しいっす。
爺ちゃんもやると良いっすよ。
待たんかぁ!
じゃ、行ってくるっす。
刀身彫りは遠慮しとくっすよ。
…………
エノク無事に着いたっすかねぇ。
ハルは一汗流した後、エノクの事を思い出していた。ディープスには早ければ14日程度、そうエノクから聞いていたからだ。
……将来かぁ。
エノクに問われた将来の話は、ハルに考えるきっかけを与えていた。自分の将来はこの村で鍛冶屋を継ぐ。ぼやっとしたイメージしかなく、それが当たり前だと思っていたのだ。
まぁ、爺ちゃん
ほっとけねぇっすからね。
もう日が落ちそうな空を一人見上げ、空腹のハルは、酒場に向かう事にした。
おっちゃーん。
今日もお疲れぇ。
あの金持ってるあんちゃんは
一緒じゃないのか?
ん?
エノクの事っすか?
エノクはもうこの村に
いないっすよ。
何でっすか?
そりゃあ、たった7日で元に戻った
ツケの心配してんだよ。
そんなに溜まってたっすか?
ハルのツケは、エノクに清算してもらったにもかかわらず元に戻っていた。酒場のオヤジがエノクの行方を気にするのも無理はなかった。
あは、はは……。
こ、こりゃあ、早く稼がないと
いけないっすねぇ。
そうそう稼いでくれりゃあ
俺も万々歳だ。
こうなりゃ、自分もディープスに
稼ぎに行くっすかね。
おおっ、爺さんに聞いたか。
まぁ、血は争えないな。
酒場のオヤジの言葉は、ハルの空腹を消し飛ばした。
爺ちゃんから何を? え?
血って、どういう事っすか?
思いがけない話に、ハルは動揺する。酒場のオヤジも、何かしまったと言った表情を見せた。
取り乱しているハルの耳に、激しい衝撃音が入ってきた。
ってぇー。
バカモンがっ!
ベラベラと喋りおって!
衝撃音の正体は、ゴッツ爺のげんこつだった。調度、今、酒場に入ってきたみたいだ。聞き間違いや勘違いかとハルは考えてもみたが、ゴッツ爺の怒気はそれを否定した。
爺ちゃん。どういう事っすか?
血は争えないって。
何の事じゃ。そんな事言ったか?
爺ちゃん……
……
しばらくの沈黙の後、不本意ながらなのだろう、ゴッツ爺が口を開いた。
ワシの息子、つまりハル、
お前の父のジエンは、
ディープスに向かった。
ええっ!?
父のジエンと母のサクラは、ハルが赤ん坊の頃に、病気で亡くなったと聞いていた。
ワシの弟子でもあったジエンは、
迷宮にしかないと言われる
鉱石を採掘しに村を出た。
そして冒険者であった
サクラと出会った。
う……
ハルは覚悟をしていた。自分の知らない何かを知る覚悟を。だが、その覚悟の量は足らなかった。
定期的に手紙をよこしておった
ジエンから、結婚する事を
ワシは知らされたよ。
昔を思い出すゴッツ爺は、ハルの顔を直視出来ないようだ。
そして間もない頃に
ハル、お前が生まれたんじゃ。
え?
じゃあ、自分はディープス
生まれなんすか?
そうじゃ。
そしてその一年後……
手紙は途絶えた。
言葉の意味するところは直ぐに理解できる。迷宮は危険な場所と、エノクから聞かされていたからだ。
そしてわしがお前を引き取ったんじゃ。
詳細はわしにも分からん。
う、うぅ……
事実を隠していたゴッツ爺だが、それを責める気持ちにハルはなれなかった。もちろんショックは大きい。頭の中で色んな事を考え巡らせたが、誰かを責めたり、わめき散らかしたりする気分にはなれなかったのだ。
帰路につくゴッツ爺とハルに言葉はなかった。ただ靴が鳴らす足音だけが、夜道に響いた。星はやけに明るく光を放ち、空にまたたいている。
自身の出生を初めて知った。この村で生まれたわけでない事。顔も知らない両親の行方。息子を失い赤ん坊だったハルを引き取ったゴッツ爺。自分の知らない過去が露になり、ハルの心は大いに乱れていた。
ハルはこの晩、眠る事が出来ず、気が付けば刀を振り続けていた。
少しずつだが振りが鋭くなっている気がする。まだまだ剣術を覚えたい。どこかで試してみたい。村以外の世界を見てみたい。地下迷宮とはどんな所なのか。魔物とは。そこにある唯一の鉱石。それで刀を作ったらどんな刀が。エノクとの再会も。そして顔も知らぬ両親。その人柄や、目的は何だったのか?
ハルの興味は完全に村の外に向いていた。
爺ちゃーん、朝っすぅ♪
今日は鞘塗り(サヤヌリ)っすね。
ばっちり準備出来てるっすよ。
元気すぎると言うか、いつも通りのハル。日常である鍛冶仕事を始めようとしている。その笑顔を受けたゴッツ爺は、神妙な面持ちで語りかけてきた。
ハルよ。無理せんでいい。
村を出て行きたいんじゃろう。
自分は爺ちゃんの跡継ぎっすよ。
立派な鍛冶屋になるっす。
人生で全てを得る事は出来ぬ。
だから選ぶんじゃ。
爺ちゃん何言ってるんすか。
よくわかんないっすよ。
村を出ろハル。
ここに居てもお前の為にならん。
自分でわかっているはずじゃ。
何でそんな事言うんすか?
自分は爺ちゃんと一緒に……
……
……爺ちゃん。
ハルは胸の内で、外の世界への渇望を抑えていた。ゴッツ爺を置いて村を出る事など、頭から振り払っていたのだ。
爺ちゃん置いて出るなんて
出来ないっす。
逆じゃ。ワシは好きでここにおる。
お前がここに入って来て、
元の場所に戻るだけじゃ。
鍛冶だってまだまだだし……
無論、極意などとは程遠いが、
お前の鍛冶の腕は何処へ出しても
恥ずかしくない。
刀身彫りは目も当てられんがな。
酒場のツケも気になるし……
それぐらいワシが払えんとでも?
まぁ、出世払いには期待しとらんよ。
ううぅ……。
ペクンタ(飼っているジョージ―牛)の
世話はどうするんすか?
しつこいわっ!
グダグダと言っとらんで
決断せんかぁ!
それにペクンタはワシが元から
世話しとったろうが!
やっぱり、爺ちゃん捨てていくなんて
出来ないっす。
何でワシが捨てられる
感じなんじゃ!
むしろ逆!
ワシが捨てるんじゃ。
ははは、そりゃそうっすね。
真剣な会話にいつもの調子の会話が差し込まれる。赤ん坊の頃から二人で過ごしてきた。二人共、名残惜しくないわけがない。ハルが出生を知れば、こうなる事は予想出来た。それをゴッツ爺が止めれぬ事も。
そしてハルにはゴッツ爺の言いたい事がわかっていた。
誠に欲するものは何か。
誠の満足はその先にある!
昔から口酸っぱく言われていた言葉だった。それはハルの決断を固めた。そしてエノクと再会を約束したように、ゴッツ爺の元に帰ってくる事を約束するのだった。。
~新章~に続く――