7月13日。
スマホで曲を聞きながら校門をくぐり、自転車を置く。
その背に、ぽん、と手が添えられた。
振り返ると、ティンカーベルが、微妙な笑顔で立っていた。
7月13日。
スマホで曲を聞きながら校門をくぐり、自転車を置く。
その背に、ぽん、と手が添えられた。
振り返ると、ティンカーベルが、微妙な笑顔で立っていた。
おはよ、センパイ
おはよ。どうだった?
うん、お父さんは学校来て話し合ってくれるって。いくつか問題はあるけど、学校は辞めなくて済みそう
よかった。手伝えることがあったら言って
うん
そこで彼女は少し口ごもる。
周囲を見渡して、小声になった。
変な噂、聞いちゃったんだけど
なに?
しのぶセンパイとお義兄さん、別れたって
え?
俺は思わず声をあげて、それから口を押さえた。
しーっとティンカーベルが口の指を立てる。
次の彼女を狙って、バスケ部が大変なことになってるとか
相馬先輩は放っといても大丈夫だろ。工藤先輩のほうが心配で
うん……やっぱりそうだよね。あたし、ちょっとしのぶセンパイに会ってくる
そうしてみてくれるかな。男の俺が出て行ってもちょっとアレだし
うん。昼休み、屋上で落ち合おう。大丈夫?
飯も屋上で食ってるよ
この暑さじゃ、ご飯、溶けちゃうよ
ティンカーベルは笑うと俺に手を振って、駆け出して行った。
工藤先輩が……
工藤先輩は三周目の3日で現れた、新しいファクターだ。
最初の3日でも別れたりしていたのか。
それとも、俺が動いたせいで、道筋が変わってしまったのか。
どちらにしても、不穏な空気を感じ取り、俺はティンカーベルの後ろ姿を眺め、小さく息をついたのだった。
昼休み。
どうせ、今日は昼休みから屋上にいて、午後の授業はフケるつもりでいたから、何の問題もない。
日陰で弁当を食べ終えると、不意にスマホが鳴った。
連絡だけ回しておく。まず、お前への態度が元に戻りそうだ
チャットアプリが送ってきたのは友人からの情報だった。
相馬先輩のお達しだよ。標的がお前じゃなくて、工藤先輩になった
……え
俺はまじまじとチャットアプリを見る。
工藤先輩が、いじめに合う?
それも相馬先輩が手を回して?
どういうことだ?
相馬先輩が工藤先輩を振ったんだとよ。それを不服とした工藤先輩が食い下がったらこうなったらしい
わかった
簡潔に送信したところで、屋上の扉が開いた。
……あら、菊池くん
工藤先輩だ。どこか虚ろな目で俺を見る。
俺はスマホを隠し、先輩を見た。
工藤先輩、体調悪そうですが、大丈夫ですか?
ふふ。大丈夫じゃないから、ここに来たの
ふらりふらりと歩み出す足は、屋上の柵のほうへ。
もう、何がなんだかわからなくなっちゃったわ
工藤先輩
しのぶセンパイ!
ティンカーベルも屋上に飛び込んでくる。
そして、工藤先輩の様子にあわてて、彼女にしがみついた。
死ぬとか言わないで、センパイ! センパイが死んだらあたし嫌です!
なっ……!?
俺は背中に冷水を浴びせられたような気分になる。
この3日、最後に誰かが自殺しなければいけないのか?
工藤先輩
智彦は私の全部だったの。それがなくなっちゃって……私
しのぶセンパイ、ダメです
ティンカーベルが強い口調で言う。
死にたいって思ったことがないって、あたしは言いません
じゃあ……
でも、死んじゃったら、全部終わっちゃうんですよ
ゆきねちゃん
工藤先輩は虚ろに笑った。
あなたに何がわかるの?
ティンカーベルは言葉に詰まる。
代わりに俺が前に進み出た。
何もわかりません
菊池くん、じゃあ
でもこれだけはわかります。悲しむ人は大勢います
それこそ、気が狂いそうな3日を繰り返すほどに。
誰かが死を選べば、きっと誰かが俺と同じことを繰り返すだろう。
死にたいほど苦しいなら、死ぬ勇気を生きる勇気に使ってください
随分と菊池くんは説教好きなのね
工藤先輩は笑うと手すりに手をかけた。
流れるような動作で手すりを乗り越える。
ダメ、センパイ……!
ゆきねちゃんのせいよ
工藤先輩は悪意を詰め込んで言った。
ティンカーベルは、息を止める。
ゆきねちゃんを庇ったのが、智彦は許せないんですって。私と付き合ったのは生徒会長っていうポジション目当てだったって言ってね
……
ねえ、これでも私を止めるの、ゆきねちゃん?
ティンカーベルはぐっと唇を噛むと、手すりを乗り越えた。
それなら、あたしも一緒に死にます
ちょっ……!
俺は手すりまで駆けた。
工藤先輩とティンカーベルは手をつなぐ。
そして俺を振り返った。
さよなら、菊池くん
ごめんなさい、センパイ、でも……
謝るなら、やめろ!!
柵に突っ込むように手を伸ばす。
俺の腕がティンカーベルの二の腕をつかむ。
同時に工藤先輩が、飛び降りた。
ティンカーベルが驚いたように、俺を見、片手で手すりをつかむ。
俺とティンカーベル、二人で工藤先輩を掴んでいるような状態になった。
やだ、やだやだやだ!
ゆきねちゃん、手を離して
やだ、死にたくない。死んでほしくない
落ち着け、葛城! 二人なら引き上げられる!
手を
工藤先輩はゆらゆらと揺れる。
校舎の下のほうに人が集まり始めた。
悲鳴が上がる。
死なせるか……!
俺は渾身の力を込めて、ティンカーベルの腕を引いた。
ティンカーベルも必死に工藤先輩の手を握っている。
世界は。
世界は、綺麗なことばかりじゃない。
醜いこと、汚いこと、辛いこと、悲しいことのほうが多いかもしれない。
それでも、俺は、あの初めの日に。
ティンカーベルに死んでほしくないと願った。
だから。
死ぬんじゃない!!
ティンカーベルを後ろから抱きしめるように、両手を伸ばし、二人で工藤先輩を引き上げる。
やめて、このまま死なせて
泣きじゃくる工藤先輩の顔が見えてきたところで、屋上の扉が開いた。
教師が大勢と――相馬先輩が飛び込んできた。
しのぶ
智彦、こっちを見ないで。あっちへ行って
馬鹿。少しは俺の話も聞け
相馬先輩や教師たちが手伝えば、あっという間に工藤先輩は引き上げられる。
俺とティンカーベルが屋上に膝をついてがたがた震えている間に、相馬先輩は工藤先輩の肩に手を置いた。
距離を置こうって言ったのは、別れようって話じゃない。その……俺がもう少しで最後の試合だから、で……
しどろもどろなその言葉が嘘だと言うことは俺にもティンカーベルにもわかった。
それでも騙されたほうが幸せなこともある。
本当……?
震える工藤先輩の声。
頷く相馬先輩。
その間に教師が入り込み、工藤先輩を階下へと連れて行く。
遠く、救急車の来る音が聞こえた。
屋上に残った俺たちを相馬先輩は一瞥した。
……内申に響くからな
相馬先輩はそれだけ言うと、面倒そうに屋上を降りていく。
救急車のサイレンと午後の授業が始まるチャイムが混ざり合う。
俺は屋上に寝転んだ。
夏の青い空が広がっていた。
葛城
なあに、センパイ
放課後まで、一緒にいてくれないか
放課後まででいいの?
……え?
7月13日15時37分。
ようやく、俺の時間は動き出す――