イソメ

まさか人間相手にあそこまで醜態を晒すだなんて……
妖怪失格ね……

昼間に出会った少年――ナギサ相手に晒した醜態を思い出し、あたしは自分の棲家――海中の洞窟の中で顔を赤くしながらごろごろと転がる。

イソメ

でもまぁ……
あの子とも二度と会うことも無いでしょうし……

ウミネ

あの子って誰のこと?

イソメ

わきゃっ!?

突然、あたしの同居人で同じ海の妖怪(といってもこの子は人魚だけど)の友人、ウミネが声をかけてきて、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げる。

イソメ

びっくりさせないでよ、ウミネ……

ウミネ

あははは
ごめんね、イソメちゃん

ウミネ

それで?
あの子ってどの子のこと?
ついにイソメちゃんにも春が来た?

イソメ

余計なお世話よ!!

一言余計なウミネにツッコミをしてから、あたしは昼間に会った少年のことを話してあげた。

ウミネ

ふ~ん……
イソメちゃんが人間に骨抜きにされちゃったんだ……

イソメ

どこをどう話を聞いたらそうなるのよ!!

ウミネ

え?
だって結局その人間逃がしちゃったんでしょ?
イソメちゃんがそんなことするだなんて珍しいじゃない

イソメ

あんた……
あたしをどう思ってるのよ……
あたしは舟幽霊や海坊主どもと違って温厚な妖怪なの
あたしの目の前で魚を取ったからってむやみやたらに人間を襲ったりはしないわよ……

ウミネ

ふ~ん……

何よ、その「大丈夫、私は全部分かってるから」的な顔は……。

とりあえず、何となくそのウミネの顔が腹立ったので、その巨大な胸を揉んでお仕置きすることにした。

翌日、ここ最近の日課で海中を漂っていたはずのあたしは、なぜかまたあの少年――ナギサの船に、網に絡まった状態で引き上げられていた。

イソメ

………………

ナギサ

ああ、イソメさん……
また会いましたね!

イソメ

また会ったね、じゃないわよ!!
何なの、あなた!!
あたしを網で捕獲する趣味でもあるの!?

ナギサ

やだなぁ……
網に勝手に掛かってきたのはイソメさんじゃないですか……

それはそうだ。
何せ、いつものように海を漂っていたら、昨日と同じように海中に網を投げ込まれたのだ。
しかも、昨日と同じように何度も。
まさかと思いながらも網を伝おうとしたあたしは、やっぱり昨日と同じように網に絡まって引き上げられたのだ。

イソメ

……ってそうじゃなくて!
あたし、あなたを昨日脅したわよね!?
何でまた同じ場所で漁をしてるのよ……?

ナギサ

えと……
それは……

応えにくそうに口ごもったナギサが、やがて意を決したように口を開いた瞬間だった。

くるるる、と小さくあたしのお腹がなってあたしたちの空気が凍る。
……くっ、しまった!
今日に限って寝坊して、ウミネの朝ごはんを食べ忘れてたんだった!!

またしても人間の前で醜態を晒してしまったことに後悔していると、ナギサは小さくくすり、と笑ってからいつの間にか捌いた魚をあたしに手渡してくれた。

イソメ

あ……
ありがと……

蚊が鳴くような声でお礼を言ってから、もそもそと魚を口に放り込む。
新鮮な魚のこりこりとした食感が口に広がるのを楽しみながら、あたしはふと、ナギサが何も食べようとしていないことに気付く。

イソメ

あなたは食べないの?

ナギサ

僕はいいんです……
この魚を売りに出してお金を稼がなきゃだし、家では小さい弟たちがお腹をすかせて待ってますから……

かなり献身的な性格なのだろう、さっきから自分もお腹がなっているのにもかかわらず、自分は魚に手を付けようとはしなかった。

イソメ

……………
少し待ってなさい……

それだけを言い残し、あたしはどぼんと海へともぐる。

それから少しして、海面から顔を出す。

イソメ

獲ったど~~~~~っ!!

そう叫びながら、あたしは手にした獲物を船の中に放り込んだ。

それはこのあたりに最近棲み付いたサメ。

ナギサ

わわっ!?

驚くナギサを無視して船に上ったあたしは、ナギサから包丁を奪うと手早く解体していく。

あたしだって妖怪とはいえ、女の端くれだ。
腕こそウミネに劣るけど、料理くらいはできるのだ。

ふふん、と自慢げに胸を張りながら、捌いたサメをナギサに突き出す。

ナギサ

えと……?

イソメ

あたしは義理堅い妖怪なの……
たとえ相手が人間だろうと、受けた恩は必ず返すわ……

ナギサ

あ……
ありがとうございます……

こわごわといった様子で箸を伸ばすナギサを眺めながら、ふとあたしは疑問に思ったことをそのまま訊ねた。

イソメ

それにしても……
どうしてそれだけのお金が必要なのよ?

ナギサ

それは……
僕の母は病気なんです……
父は戦ですでに他界してますし……
薬代を稼げるのは僕しかいません……
それに、弟や妹たちを食べさせるためにも……
やっぱりお金は必要なんです……

イソメ

そう……
大変なのね……

それ以上、ナギサは何も語ることなく、ただひたすらに箸を進め続けた。

その日の夜。

イソメ

ごめん、ウミネ……
ちょっとあなたの肉と血を分けてくれる?

ウミネ

何で!?

イソメ

ほら、あなたの血と肉って薬になるでしょ?
大丈夫、痛いのは一瞬だから……

ウミネ

嫌だよ!?
そもそも私の血も肉も不老不死の妙薬だよ!?
何に使うの!?

イソメ

いいじゃない
親友の好で少し分けてよ……

あたしは包丁を持って逃げるウミネを追いかけ続けていた。
……まぁ、流石に冗談なんだけどね!

何はともあれ、それからあたしは、海の上でナギサに会うことを日課にするようになった。
普段、あまり食事をすることが無いというナギサのために、わざわざ手土産となる魚や貝なんかをもって。

何故毎日会いに行くのか、何故手土産を持っていくのかと問われたら、きっとあたしは答えに窮していただろう。

自分の義理堅い性格もあるだろうし、もしかしたら彼の身の上に同情したのかもしれないし、あるいはもしかしたらウミネが言うように、あたしは彼に惹かれていたのかもしれない。

ともかく、理由は定かではないけれど、あたしはナギサと船の上で過ごしたり、時には海岸を散歩したりする時間が楽しかったし、心地よかった。
……そう、あたしは彼と一緒にいる時間に幸せを感じていたのだ。

けど、その時間は唐突に終わりを告げた。

その日は、珍しく海が時化に見舞われ、漁をすることができなかったナギサと一緒に、あたしは海岸の洞窟でのんびりと過ごしていた。

こういう、外は嵐だけど二人でゆっくりできる時間もいい。
あたしがそう感じていたときだった。

突然、あたしたちがいる洞窟に何人もの人間たちが無遠慮にどかどかと踏み込んできたのだ。

見つけたぞ!!

こんなところいやがったか!!

人間たちはかなり殺気立っていて、ナギサは思わず体を硬くする。
そんなナギサへ、この集団のリーダーらしき人間が手にした刀を突きつけた。

やはり噂は本当だったようだな……
ナギサ……きさま、妖怪とつるんでやがったな!?

イソメ

あら……あたしが妖怪だと何かまずいのかしら?

あたしたちの幸せな時間に無粋にも踏み込まれたことで気が立っていたがゆえに、あたしはおびえた様子を見せるナギサを背に庇い、挑発的に笑って見せる。

当然だ!!
妖怪は人に害を齎す悪の存在!!
貴様らに存在する価値など無い!!

イソメ

それはこちらのセリフだ、人間……
貴様らは無粋にもあたしの領域に踏み込んだ……
相応の報いを受けてもらうぞ?

あたしの体からあふれ出す力に煽られて、長い髪が舞い踊り、人間たちとあたしの間で一触即発の空気が膨れ上がっていく。
そして……

くたばれ妖怪!!

人間が持っていた刀が勢いよく振り下ろされた瞬間。

ナギサ

駄目だ!!

いきなりナギサがあたしと刀の間に体を滑り込ませた。

閃く刃がナギサを袈裟斬りにし、鮮血があたしの顔に降りかかる。

イソメ

ナギサ!!

バカな!!
妖怪を庇っただと!?

動揺する人間たちを突き飛ばし、倒れるナギサを抱き起こす。

ナギサ

イソ……メさん……
あな……た……と一緒に……いた時間は……
僕には……もったいない……くらいとても……幸せで……した……

イソメ

喋るな!!
今ウミネから……!!

友人に血を分けてもらえば助かる!
そう判断して海に飛び込もうとしたあたしの腕を、ナギサが捕まえた。

ナギサ

いい……んです……
僕は…………人の理を……外れた……くあり…………ません……
それ……より……
僕が………生ま……れ変わっ……て……
また…………あな……たと出会……えたら……
ま………た一緒……に過ごして…………くれますか……?

イソメ

…………ええ……
約束するわ…………
あなたとまた出会えたら……
そのときは一緒に……

ナギサ

よかっ…………

本当に嬉しそうに微笑み、そのまま動かなくなるナギサ。
そのナギサを、殺した人間たちは侮蔑の顔で見下ろす。

妖怪を庇ってくたばるとは……
なんと愚かな……

貴様は人間の面汚しよ……

その瞬間、あたしの中にどす黒い感情が沸き起こる。
ナギサが何をした?
あたしが何をした?
ナギサはただ、あたしと一緒に幸せな時間を過ごしていただけだ!
それを貴様らは……無碍に奪ったんだ!!

イソメ

貴様ら…………!!

そしてあたしは、沸き起こる激情に身を任せて、その場の人間を皆殺しにした。

ナギサが死んでからしばらくの間は、酷い有様だったあたしも、親友に慰められたりしているうちに落ち着きを取り戻し、少しずつナギサと出会う前の生活に慣れていった。

そしてそれから十数年が経過したある日。
また日課になっていた海の散歩を楽しんでいたあたしは、ふと何かを感じた気がして、ゆっくりと海面に顔を出す。

そこには、見た目は違うけれど、確かにナギサと同じ雰囲気を持つ一人の少年が、あたしを見つけてきょとんとしていた。

ああ……また巡り会えた……。

自然と頬を涙が伝うのを感じながら、あたしは微笑みながら少年に声をかけた。

磯女と人と海 後編

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