人と妖は相容れぬ……
生きる時間も食うものも……
そのあり方さえもが違うものだから……
人と妖は相容れぬ……
生きる時間も食うものも……
そのあり方さえもが違うものだから……
人と妖は相容れぬ……
人は妖を畏れ、妖は人を恐れる……
されど両者は、時に惹かれ合う……
こぽこぽぱちぱち。
ゆらゆらふらふら。
海の中に溢れる様々な音に耳を傾け、水の中へと届く光を遮るように泳ぐ海の生き物たちを眺める。
たゆたうあたしの髪に時々魚が悪戯するのがくすぐったくて、身を捩るたびに礒女特有の長い髪が水中を踊りながら広がっていく。
心安らぐあたしの幸せの時間。
人に畏れられる妖怪が幸せを感じるというのもどうかと思うけど、あたしにはこの時間が幸せと感じるのだから仕方ない。
そう……あたしは礒女と呼ばれる、海に暮らす妖怪。
人を怖がらせ、時には人を襲って喰らう妖怪だけど、妖怪が幸せを求めてはいけないという掟や決まりがあるわけでもなし、別に問題はないよね?
そんなことを考えながらぼんやりと海の中を漂っていた時だった。
海の上から何かを投げ入れる不愉快な音が聞こえ、ついであたしの頭上を泳いでいた魚の群が何かに捕まってそのまま引き上げられていく。
どうやら人間がこのあたりで漁を始めたらしい。
けれど、それをあたしは怒らない。
確かに人の幸せな時間を不愉快な音で邪魔をしたのは腹が立つけど、人間だって何かを食べなきゃ生きていけないくらいのことは分かる。
弱肉強食の世界に生きるものとして、ごくごく自然なことなのだから、別に怒る必要も無い。
そう思いながら魚たちが掛かった網が引き上げられ、やがて海の上へと消えていくのを眺めていると、少ししてまた網が投げ入れられた。
まぁ、もしかしたら家族たちの分も獲らなきゃいけないのかもしれないし……
一度や二度くらいの漁で特別目くじらを立てる必要も無い。
感謝するのね、人間……
もしこれを舟幽霊とか海坊主が見ていたら、きっとあなたは最初に網を投げ入れたときに海に引きずりこまれていたはずよ……
聞こえるはずの無い海上の人間へ向かって投げかけながら、あたしはゆっくりと幸せの時間を味わうために目を閉じた。
それから少しして三度網が投げ込まれる。
流石にあたしも顔を曇らせるけれど大丈夫。
あたしは海に生きる妖怪の中でも温厚なのだから……。
きっと魚がたくさん必要な理由でもあるのだろう。
それに、三回の漁でたくさんの魚たちを獲ったのだから、流石にこれ以上は……。
そんなあたしの考えは、すぐに投げ込まれた四回目の網で否定された。
いくらなんでも獲りすぎではないだろうか?
これ以上獲ってしまえば、あの魚たちを食べて生きる魚たちや、あたしたちの分までもがなくなってしまうではないか。
流石に「むっ」としたあたしは、海の上で網を投げ入れ続ける人間に文句を言うために浮上を始める。
そうだわ……
どうせなら伝承どおりに網を伝って脅かしてやりましょう……
そうすればきっとあの人間も二度とこの場所には近づかないはず……
人間が驚く様を想像して、にたりと笑いながら投げ込まれた網に手を伸ばした、その直後だった。
網に掛かった魚が暴れたせいだろう、あたしの長い髪が網に巻き込まれてしまった。
嘘……!?
慌てて髪を解こうと手を伸ばしたと同時に、今度は体全体が網に巻き込まれ、そのままぐい、と力強く引っ張られた。
ちょっと待っ……!?
抵抗しようにも、体全体が絡まっていて抜け出すこともできず、悲しいことにあたしも他の魚たち同様に船に引き上げられてしまった。
ぴちぴちと勢いよく跳ね回る魚たちに混じって、あたしは絡まった網を解こうとじたばた暴れる。
ぐぬ……!
この……!
いい加減離れなさいよ!!
あたしは縛られて喜ぶような趣味は無いのよ!!
暴れながらどうにかこうにか網を抜け出したあたしが見たもの。
それはまだあどけなさが残る顔を呆然とさせながらあたしを見下ろす、一人の人間だった。
…………………?
………………
まだ少年と言っていいその人間と視線が合い、あたしと人間の間の時間が止まる。
途端、じわじわとあたしの中に羞恥心が沸き起こってくる。
何だろう……、あたしは今、妖怪としても磯女としても凄く恥ずかしいものを見られた気がする!!
それを自覚すると同時に、あたしは顔が赤くなっていくのを感じた。
……ってそうじゃなくて!!
沸き起こる羞恥心を慌てて振り払って、目の前の少年へ妖怪としての威厳を出しながら凄んでみせる。
人間……
貴様……どれだけ魚を獲れば気が済む!!
貴様のその強欲をもはや見過ごせぬ!!
ここで食ってやるから覚悟しなさい!
そうさ、あたしは泣く子も黙る恐ろしい妖怪なんだ。
ふふふ……、怖いだろう人間?
さあ今すぐ逃げ出すがいい!
けれど、その少年はあたしの期待とは裏腹に、まるで「何いってんだ、こいつ?」みたいな顔できょとんとあたしを見つめてきた。
あれ……、おかしいな……?
普通ならここで驚いて逃げ出すはずなのに……
ああ、そういうことね……
きっとこの子はあたしが妖怪だって理解してないんだわ……
そう結論付けたあたしは、妖怪としての威厳を精一杯出しながら、もう一度少年へ凄む。
くすくす……
あたしはこの海に棲む妖怪、磯女のイソメ……
住処を荒らした愚かな人間……
貴様を食ってやる……
これならどうだ!
期待をこめながら少年を見つめていると、少年は何を勘違いしたのか、ぺこりと頭を下げた。
僕はナギサって言います
この近くの村に住んでいるんです
よろしくお願いしますね、イソメさん!
あどけなさを残したその微笑みは、思いのほか可愛かった!
……ってそうじゃなくて!!
あなた……あたしが怖くないの?
あたしは妖怪なのよ?
あなたを食べてしまうのよ?
いや……その……
なんだかさっき絡まった網から抜け出そうとしていたのがちょっと面白くて……
ぶっちゃけ、妖怪だって言われてもあまり……
あたしの妖怪としての威厳はとっくになくなっていた!?
ナギサと名乗った少年の思わぬセリフに自分が思った以上に醜態を晒していたことが分かり、あたしは恥ずかしさを誤魔化すために海に飛び込んだ。
それから顔だけを海上に出して、ナギサ少年を精一杯睨みつける。
きょ……今日のところは見逃してあげるわ!
でも次は無いから!
次は絶対にあなたを食べてあげる!!
早口でまくし立てて、あたしは急いで海の中の自分の住処へと帰っていった。