7月12日。

 前回の3日では、遅刻しそうになった日だ。
 おかげで、ティンカーベルと相馬先輩の会話を聞くことができた。

 今回はどうだろう。

 俺は同じくらいの時間に家を出、自転車を置き、正門のあたりを見渡した。

 ティンカーベルと相馬先輩がいる。
 そして、今回は工藤先輩も。

ティンカーベル

だから、助けてよ。あたしだってホントはこんなこと頼みたくないんだよ

智彦

……じゃあ、頼みにくるなよ。顔も見せるな

しのぶ

智彦


 工藤先輩が冷静に話に加わってくる。

しのぶ

お母様に相談して、葛城さん……ゆきねちゃんだけ助けることってできないかしら

智彦

嫌だね

しのぶ

智彦……

智彦

なんだよ、しのぶ。お前、いつからそんな正義感振りかざすようになってんの?


 相馬先輩は工藤先輩をにらみつけた。

智彦

俺の家の事情には口挟むなって言ってるだろ

しのぶ

でも……

智彦

あんな男の血を引いてる奴の顔も見たくないね

ティンカーベル

あたしだって、あんなの親じゃない!


 激昂したティンカーベルの声。そして、しん、と静まり返る。
 ティンカーベルが走り去る。
 小さくため息をついて工藤先輩がそれを見送る。

智彦

しのぶ


 相馬先輩が工藤先輩に詰め寄った。

智彦

俺じゃなくて、葛城に肩入れするってどういうことだよ

しのぶ

……

智彦

お前、俺の彼女だよな?


 工藤先輩は答えない。

 俺はそっとその場を離れた。
 工藤先輩は心配だが、出歯亀をするのは失礼だろう。

雄哉

工藤先輩が傷つかなければいいんだけど


 俺は小走りで教室に向かいながら、そっと祈った。

 昼休みはひとりで飯をかきこんだ。
 体育館へ行けば相馬先輩を見られるが、今回、相馬先輩のことは置いておいていいだろう。

 こんなとき、葛城は音楽を聞いているんだろうか。
 イヤフォンを耳に入れ、夏休み前の青い空を眺めていると、ふとチャットアプリが起動した。

友人

こっちは見るなよ

友人

さっき、葛城と工藤先輩が屋上に行くのを見た

友人

どうするかは任せる


 俺はそいつを見ずに、スマホに入力した。

雄哉

サンキュ


 イヤフォンをつけたまま立ち上がる。
 親指を立てたスタンプが送られてきて、俺は心の中で笑った。

 屋上にいる二人はすぐに見つかった。
 俺が屋上の扉を開けたところで、二人も俺に気づいたようだ。

ティンカーベル

菊池センパイ

しのぶ

菊池くん

雄哉

……ども。お邪魔していいっすか


 二人は少し顔を見合わせる。先に苦笑いを浮かべたのは工藤先輩のほうだ。

しのぶ

女同士の話なんて面白くもないんじゃない?

雄哉

ガールズトークは経験ないんで、興味深いです


 ぷっ、とティンカーベルが吹き出す。

ティンカーベル

菊池センパイってやっぱり面白いよね

雄哉

そりゃどうも

ティンカーベル

たいしたこと、話してないよ。しのぶセンパイに先生に相談してみたらって言われたの

しのぶ

すくなくとも智彦に何か言うより、得るものはあると思うの


 工藤先輩は冷静に言う。

しのぶ

ごめんね、智彦も辛いと思うのよ。だから……

ティンカーベル

わかってます。先生ってのは盲点だったな。あたし、義兄さんしか考えたことなかった


 ティンカーベルはさっぱりと笑った。

ティンカーベル

放課後にでも、ちょっと相談に乗ってもらってきます

しのぶ

ええ、そうしてみて

ティンカーベル

菊池センパイ


 ティンカーベルは少し不安そうな表情で、俺を見た。

ティンカーベル

少しだけ、放課後、待っててもらえる?

雄哉

構わないよ


 ほっとしたように笑うティンカーベル。
 その笑顔はやっぱり可愛い。

しのぶ

じゃあ、私はこれで


 工藤先輩は微笑むと、屋上から立ち去った。
 ティンカーベルはその後ろ姿を見て、ぽつりと言う。

ティンカーベル

……心配だな

雄哉

何が

ティンカーベル

しのぶセンパイ。偶然ならいいけど、今日、嫌な噂してる人がいて

雄哉

……

ティンカーベル

しのぶセンパイ、そういうのに弱そうだから……すごく心配

雄哉

……葛城は、優しいよな


 思わず思ったことを言うと、ティンカーベルは驚いたように俺を見た。

雄哉

いつだって、自分のことより他人の心配してる気がする

ティンカーベル

だって


 彼女はどこか遠くを見た。

ティンカーベル

あたしのせいで、誰かが不幸になるのは見たくないもん

雄哉

……

ティンカーベル

でもね


 ティンカーベルは俺の顔を覗き込んだ。

ティンカーベル

菊池センパイは、例外だと思ったの

雄哉

え?

ティンカーベル

へへ


 ティンカーベルは照れたように笑うと俺の脇を通りぬけ、屋上の扉で手を大きく振った。

ティンカーベル

放課後、待っててね!

雄哉

うん


 眩しいくらいのティンカーベルの笑顔を、初めて見た気がした。
 あの笑顔のためなら、きっと、俺は何でもできる。

 キミの味方で、あり続けよう。
 たとえ、色々な変化が起こっても。

 放課後、アルバムを丸々ひとつ聴き終わったころ、ティンカーベルはやってきた。

 どこか落胆した表情に、心配になる。

雄哉

葛城、どうした?

ティンカーベル

……とりあえず、親、連れてこいって


 彼女はため息をついた。

ティンカーベル

学費も足りてないらしくって。でも、学校、来てくれるような親じゃないし


 俺の隣に座り込むとティンカーベルはうなだれた。

ティンカーベル

学費足りないってことは、やっぱり学校やめなきゃいけないのかなあ

雄哉

奨学金とかあるだろ。色々調べてみよう


 俺はそう言いながら、前回の3日を思い出す。
 学校を辞めるかもしれない、と言ったのはちょうど、今のタイミングだ。

 そして、死ぬことを視野に入れていたのも。

 ……そんなこと、させるか。

雄哉

葛城。今日、バイトは?

ティンカーベル

ないけど、どうして?

雄哉

家、案内してもらえないか?

ティンカーベル

……は?


 目を瞬かせる彼女を、俺はまっすぐに見た。

雄哉

お父さんに、俺から話をしてみる。他人が話せば、わかってくれるかもしれない

ティンカーベル

無理! あの人が話に応じるとは思えないよ


 一蹴するティンカーベルに、俺は首を振った。

雄哉

俺は葛城が学校を辞めるのは嫌だ

ティンカーベル

菊池センパイ……

雄哉

それなら、できること、何でもしたい


 ティンカーベルはうなだれた。首を振る。

ティンカーベル

あたし、やだよ……

雄哉

……

ティンカーベル

あの人に菊池センパイが会って、あたしが嫌われるのが、嫌だ

雄哉

葛城

ティンカーベル

いつだって、あの人はあたしの人生の邪魔をする。母さんも、相馬のお義母さんも出て行った

雄哉

葛城


 俺はおずおずとティンカーベルの肩に手を載せる。

雄哉

俺は味方だから

ティンカーベル

……

雄哉

俺は、葛城の味方だから、必ず

ティンカーベル

菊池センパイ……


 ティンカーベルは少しうつむいた後、俺に向かって頭を下げた。

ティンカーベル

お願いします。あたしをこんな世界から、救ってください

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