7月10日、15時37分。

 俺は自分のベッドから飛び起きた。スマホで時計を確認し、大きく息を吐く。

 今日は日曜日だが、時間がない。
 おぼろげに覚えている、ティンカーベルの家まで行ってみることにした。

雄哉

……俺のほうがよっぽどストーカーだな


 そのあたりは考えないようにしよう。

 住所は前回の3日間でメモしたものだから、手元にない。
 とは言え、だいたいの場所は覚えている。
 自転車でスマホの地図を頼りに1時間半ほど走っただろうか。

雄哉

このあたりだと思ったんだけど


 普通の住宅街だ。
 ぼんやり自転車を走らせていても、そうそう偶然ってものは起こらない。

 とは言え、このまま帰るのも悔しく、ぶらぶらと自転車を走らせていると、繁華街に出た。

 見覚えのある景色だと思っていると、見覚えのある人間が歩いていた。
 相馬先輩と何人かの女子だ。

智彦

本当にこのあたりで葛城を見たの?

女子生徒

ホント、ホント。男連れだったから、写真撮っておけば、停学間違いなしだって

智彦

あいつ停学にできれば俺も助かるんだけどなあ

女子生徒

うざいもんね。付き合いも悪いし、それでいて成績だけはいいんだもん


 ちょっと待てよ。
 こいつら、何を言ってるんだ?

 ゴシップだらけの校内新聞を思い出す。
 あの新聞の写真を提供したのが相馬先輩だとしたら……。

 思わずごくりと息を飲む。
 そんな事実、あっていいのか?

女子生徒

ほら、相馬先輩、葛城!


 女子生徒の声で我に返る。
 写真を撮らせたらいけない。退学にさせるわけにはいかない。

 俺は咄嗟に乗っていた自転車を停めて、スマホを構えた相馬先輩の前に飛び込んだ。

 邪魔そうな顔を俺に向ける相馬先輩に、俺は早口で言い訳を考える。

雄哉

あの、相馬先輩ですよね? 俺、こっち来るの久しぶりで、道に迷っちゃって。ちょっとスマホの地図、見せてもらえませんか?


 相馬先輩はあからさまに嫌そうな顔をした。

智彦

ちょっと後ででいいかな。というより、キミのスマホは?

雄哉

充電切れで

女子生徒

相馬先輩、葛城、行っちゃうよ


 女子生徒が急かす。
 それを狙っている俺は引き伸ばしにかかる。

智彦

急いでるんだけど。そこどいてもらえないかな?

雄哉

俺も急いでるんです。少しでいいんで教えてもらえませんか?

女子生徒

邪魔なんだよ


 女子生徒が不意にイライラした声で俺を一喝した。

女子生徒

そこ、どけって言ってるのがわかんないの? 空気読めないなあ

雄哉

下世話な趣味の女に言われたくないな


 思わず本音をもらすと、女子生徒がかっとしたのがわかった。

女子生徒

な、なによ!? 私のなにが下世話だって……

雄哉

人をいじめて楽しんでるなんて、最低だと思うんだけど

智彦

……!


 瞬間、理解したのだろう。相馬先輩は俺を突き飛ばして、スマホを構えた。
 振り返る。
 もう、彼女の姿はそこにはなかった。

 突き飛ばされ、ふらついた俺は相馬先輩に鬼のような形相で睨まれる。

智彦

正義の味方気取りか?

雄哉

そういう相馬先輩こそ、爽やか好青年の顔とは全然違うんですね


 俺たちは睨み合う。
 相馬先輩は、すぐにくだらなさそうに視線を逸らした。

智彦

葛城を探すぞ


 言うと、女子生徒と一緒に足早に繁華街を進んでいく。

 俺はその後姿をスマホに収めると、自転車に乗って、相馬先輩たちを追い抜いた。

 夏は日が長いとは言え、もうじき暗くなる。
 相馬先輩たちに写真を撮られないためには、ティンカーベル本人に注意を促さないと。

 周囲を見渡していると、聞き慣れた彼女の声が聞こえた。

ティンカーベル

新装開店の居酒屋でーす。おじさん、よければどうですかー?


 声のほうへ視線を向け、周囲を見渡す。
 相馬先輩もこちらに気づいたようだ。

 俺はバイト中らしいティンカーベルのところへ自転車を停めた。

雄哉

ごめん、ちょっと用事

ティンカーベル

……は?


 訳がわからないという顔のティンカーベルをよそに、俺は自転車を乗り捨て、彼女の腕を引っ張った。

雄哉

停学になりたくなきゃ、走れ

ティンカーベル

は?

雄哉

いいから!


 強引に彼女の手を引き、走りだす。
 背後でスマホのシャッター音は聞こえない。
 俺は裏道へ飛び込み、彼女の手を引いたままいくつかの角を曲がった。

 振り返る。
 もう相馬先輩たちはいなかった。

ティンカーベル

ちょっと、手、離してもらえない?

雄哉

ああ……ごめん


 俺が手を離すと、ティンカーベルもちらりと後ろを振り返った。

ティンカーベル

誰かに情報が漏れたって自覚はあったんだけど……義兄さんが狙ってくるとはね

雄哉

写真撮られるところだった。それで……

ティンカーベル

誰だか知らないけど、ありがと


 彼女は髪をかきあげて、小さくため息をついた。
 俺は少し迷ってから口を開く。

雄哉

居酒屋のバイトしてるの?

ティンカーベル

うん。違法なのは自覚あるし、見つかれば停学だけど……割がいいし、お酒をね、親に買って帰れる


 そう言って彼女は周囲を見渡した。

ティンカーベル

じゃ、バイト中だから戻るね。ありがと、おにーさん

雄哉

あ、これ


 俺はスマホをティンカーベルに見せた。
 繁華街に消えていく相馬先輩たちの後ろ姿が写っている。いかにもこれから遊びに行く雰囲気だ。

雄哉

お守り代わりにあげる

ティンカーベル

……あたしの味方をするなんて、変なおにーさん。あたしの噂、知ってるんでしょ?

雄哉

あんまり興味ないし


 俺がもう一度スマホをかざすと、ティンカーベルは少し考えたようだった。

ティンカーベル

チャットアプリ、入れてない

雄哉

メルアドは?

ティンカーベル

迷惑に、ならない?

雄哉

そっちこそ、知らない俺にメルアド教えても大丈夫?


 彼女はこくりと頷くと、長い文字の羅列を口にした。
 そのまま打ち込み、送信する。

ティンカーベル

……名前

雄哉

え?

ティンカーベル

おにーさんの名前、菊池雄哉って言うんだ

雄哉

うん

ティンカーベル

ありがと、菊池センパイ


 ティンカーベルはかすかに笑うと、ひらりと身を翻して駈け出して行った。
 すぐに人混みに隠れ、見えなくなる。

雄哉

……酒を親に買って帰れる、か


 ティンカーベルの家庭の事情を思い出す。
 相馬先輩も敵だとわかった今、彼女の父親とやらをどうするか。
 さすがに人の親に口出しをするのは難しい。

 とは言え、今日できることはこれだけだろうか。
 俺も相馬先輩に難癖つけられる前に、ここから逃げないと。

 自転車を乗り捨てた場所に戻る。
 自転車を立ててみると、思い切り蹴りつけた跡があった。
 パンクしていないだけましだろう。

 明日からの動きを考えながら、俺はペダルを漕ぐ。

 けれど、彼女はどうして、こんな目に遭っているんだろう。
 それは俺にとって、疑問のひとつだった。

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