マギアフィラフト
~序章~
ガッッツィーーーン!
ッガッッツィーン!
金属の衝突音がその部屋に反響していた。
鉄(クロガネ)の中にある意志。その意志とは美しく気高い。それを引き出すのが刀鍛冶。
皺(シワ)が走る老いた目元、瞳には一切の妥協を許さぬ揺るぎない意志が宿っていた。刀匠である老人は生涯数多の鉄を鍛えてきた。刀とは、この老人の人生そのものと言っても差し支えないだろう。
その老人の弟子であろう若い男が、相槌を打ち続けている(鍛冶の仕事で、刀匠の相方が槌を振り下ろし鉄を叩く事。相槌を打つの語源)。
爺ちゃんそろそろ
メシにするっすよ~。
…………
もぉ腹減りすぎてて、
腕に力入んねぇっす。
…………
爺ちゃんと呼ばれたその老人は返事を返さなかった。
作業は皮鉄造り(カワガネヅクリ)の上鍛え(アゲギタエ)を終えた時だ。
爺ちゃーん、
聞いてるっすかぁ。
昨日、酒場の前通った時の
香りが忘れられねぇっす。
『燻製サーモンとろチーズ』
食いてぇ~っすぅ~。
燻製サーモンの歯ごたえと、
ジョージィ牛から作られた
名産とろチーズのハーモニー。
この平和を愛する村シーベルトの
黄金レシピっすよ。
楽しそうに話す青年はハル=ビエント。少年のような顔立ちだが、今年で17になる。幼い頃から祖父に育てられ、鍛冶の仕事を叩き込まれてきた。
その横でしかめっ面をしたままの老人は、黙々と作業を続けている。
さぁ、爺ちゃん早く行くっす。
べらべら話し仕事をしようとしないハルに対して、老人は眉を寄せて口を開く。
黙れ、ガキャー!
働かねぇなら、
火炉にぶち込んで
炭代うかしてやるわ!!
じ、爺ちゃん怖ぇーっす!
ほんと危ないって、
取り敢えずそれ
振り上げんの止め……
言い終わるのを待たずに、老人は脇にあった小槌を振り上げた。老人と言えどもまだまだ現役で鍛冶屋をしているその体躯は、パワーを充分に備えている。
フンぬあぁ!
ハルの髪をかすめ、一直線に飛んだ小槌は、
壁の一部を砕いた。老人の目は吊り上がったままだ。
ひよぉえっ! 殺す気っすか。
直撃した時の自分の姿を、崩れ落ちる壁に重ねて想像するハル。額から冷や汗を流して、苦い顔をしてみせた。
ここはゴッツ様の
鍛冶屋で間違い
ないでしょうか?
ん? 誰っすか?
ハルの視線の先は入口側に向き、そこに立つ一人の青年を見据えていた。突然の来客であるその青年は、元気な爺さんを目の当たりにして、驚いているのだろう。
長身で20代中頃を過ぎた頃だろうか。旅をしてきたと思われるその身なりから、この町の人間でない事が分かる。
驚いた顔をそのままに、青年はゴッツと言う名を質問にあげた。そのゴッツとは老人の事。ハルがにこやかに返事。すると青年はピシッと背筋を立て、一礼をしてから挨拶をし始めた。
私はエノク=ウィーグラフと
申します。遥か西方の
ディープス城塞都市から
やって来ました。
この度はゴッツ様に
お頼みしたい事がございま……
痛てっ!
痛ててててててててててて、
痛えぇっ!
エノクの言葉を掻き消すように、ゴッツ爺の声が部屋に広がった。腰を押さえながらの悲痛の声は、いかにも白々しい感じがする。と、言うよりその白々しさを、相手に露骨に伝えようとしているのだろう。
如何されましたか!?
腰痛でもお持ち……
ひ、うひぃあ~~~~~ぁあぁあぁあ。
更にエノクの言葉を遮り、輪を掛けたように白々しく痛がり始めた。初対面のエノクでも、自分に対する拒否反応だと確信したらしい。少し顔を歪めてみせた。しかし、エノクは大人の対応を示した。
体調が不完全なら
日を改めましょう。
御身体ご自愛下さい。
エノクはもう一度礼をし、鍛冶屋を出た。
ゴッツ爺は白々しく痛がってれば可愛いものの、エノクが鍛冶屋を出る前から、演技を止め平気な面構えに戻っていた。
ハルはそんなエノクを不憫に思うのと、珍しい客人が気になり、すぐにエノクを追い掛けた。
エノクさーーーん。
前を歩くエノクの背に、ハルは明るい声をぶつける。それを聞き、エノクが体をこちらに向けた。
ゴッツ様に付添ってあげなくて
よろしいのですか?
どう見ても仮病っす。
エノクさんも
分かってたっすよね?
そうでしたか?
気付きませんでした。
エノクは目を細めニコリと笑顔を見せた。自然で清々しい笑顔に、思わずハルの表情も明るくなった。
自分ハルっす。
ハル=ビエント。
爺ちゃんの孫で、
鍛冶の弟子やってるっす。
エノク=ウィークラフです。
改めてよろしくお願いします、
ハルさん。
ハルでいいっすよ。
ハルの言葉を追うように、ハルの腹の虫が恥じらう事なく挨拶する。タイミングのいい流れに、二人は更に笑顔を交えた。
は、腹減ってたの
忘れてたっすよぉ~。
それは調度いい。
私も腹ごしらえをしようと、
村の中を探す予定でした。
一緒にお食事しましょう。
ご案内して頂ければ幸いです。
おおー♪
いいっすよぉ♪
一緒に行くっす。
村人以外の珍しい客・エノクと食事をする事になったハルは、村にある唯一の酒場に案内した。
辺境の村シーベルトの唯一の酒場。
田舎なので土地だけは広く、店内はゆったりと出来る広さだ。使い古されたテーブルに椅子。その上には皿等の食器。全ての素材は近隣の山で伐採された木だ。この村で造られた大麦麦芽使用の麦酒は、コクが深く赤褐色をしている。その麦酒の香ばしい香りが鼻を通り抜ける。薄汚れたランプにはパイプの煙が絡まっては流れていく。
昼間なので、まだ飲んでいる者は殆ど居ない。
おっちゃーん、久しぶりっす~。
おう、ツケ持ってきやがったか?
いやー、違うんす。
今日はメシ食いにきたんすよ。
だ~か~ら~。
もうツケが悲鳴あげてんだよ。
それ清算してからだ。
帰った帰った。
しゅ、出世払いで何とか……
こんな田舎の村の鍛冶屋でどう
出世すんだ。ハル、おめぇの事ぁ
嫌いじゃないが
こっちも商売だかんな。
もう300ガロン近いんだぜぇ。
酒場のオヤジの最もな意見に、閉口するハル。
今日は私がハルさんを
誘ったんです。
私が責任をもって
お支払い致します。
それにその程度なら
私が払いましょう。
エノクがオヤジに渡したのは100ガロン銀貨4枚だった。決して今日出会ったばかりの者の為に、払う金額ではない。
今までの分と、本日頂く分も
前払いさせて頂きました。
美味しい料理を期待しています。
あっけにとられるハルとオヤジ。
――そしてハルとエノクはVIP待遇に切り替わった。
次々と運ばれる食事と酒。エノクも随分と腹ペコだったみたいで、テーブルに並べられた料理を少し早めに口に運んだ。ハルも勿論ご満悦だ。
ぷっはー、うめぇっす。
おっちゃんの料理の腕は
最高っすよ。
礼ならその兄ちゃんにいいな。
ハルが喜んでくれたなら
私も嬉しいです。
ご馳走様~、エノク。
ほんと美味かったっすよ。
デザートの果実が皿の影に隠れて残っていた。それに気付いたハルはヒョイと摘み上げ、食いカスがついている口元に放り込む。一々満足げな表情を見せた後、思い出したかのようにエノクに質問した。
ところでエノクは何でここまで
してくれるんすか?
少しの間を開け、ハルの問いを飲み込むように、エノクは木製ジョッキを傾けた。カラになったジョッキをテーブルにゆっくり置き、エノクはゆっくり語りだした。