いつも観に来てくれてありがとうな。
オイラと一緒になってくれないか。
ずっとアンタを見ながら芸をやっていたんだよ。
私も揺れてたのよ、本当に。
昔浅草は赤線通り、今でいう所の風俗街があってね。
私は親の借金を返すためにそこで娼婦をしていてね、
しかも屋敷の旦那の子供を身ごもっていたの。
それはそれは中々ハードな…
お腹を隠しながら立ちんぼして客引きする生活に疲れて、死のうと思っていた時期にね。
ふとロック通りをフラフラしていると、明るい風がフッと私の前に吹いたの。
明るい風、ですか。
ええ。それは殆どお客さんのいない会場から元気にタップシューズを鳴らす彼の熱気だった。
全然、面白くない漫談をした後、苦し紛れに鳴らす赤いタップシューズと気弱なタンゴの音楽がとってもかわいくっておかしくって
…妙に後を引いてしまったのよね。
何だか目に浮かびます
仕事明けで彼の出番があるときは殆ど観に行っていたわ。
あのタップシューズを聞いている時は現実の嫌な事全部忘れられたの。
そしてある日、
舞台の外で彼の方から声を掛けられた。
いつも観に来てくれてありがとうな。
オイラと一緒になってくれないか。
ずっとアンタを見ながら芸をやっていたんだよ。
すごく嬉しかった。
娼婦じゃなく、一人の女として気にかけてもらえた事。
同時にもう彼には会えない、逃げなくちゃと思った。
どうしてですか?
せっかく良い仲になれそうだったのに。
本当の私を見せる勇気が無かったから。
だからこの町から出て、真っ当な仕事について一生懸命子供を育てて生まれ変わる事ができたの。
それから
半世紀の時が流れて
娘の嫁ぎ先が浅草だったのもあって、
結局この町で余生を過ごす事になった。
そして一か月前。
末期がんで余命数か月を告げられ、
途方に暮れていた私は
病院の待合室で彼と偶然再会した。
やあ、あんときはいろいろありがとうね。
って、もう忘れちまったかい?
だいぶ若い時分の事なんだけどさ。
いえ、とんでもない。
いっときもあなたを、
あなたの芸を忘れる日はありませんでした。
応えられずにごめんなさい。
あれ?
オイラがアンタの事を振ったんじゃなかったっけ?
女は芸の邪魔だから俺に関わるんじゃねえってな具合にさ?
いま振り返ればあれは彼の最後の″優しい嘘”だったのね。
実は俺もアンタと同じ末期ガンなんだよ。
だから怖いとか、孤独って事はねえよ。
この町でいい人も悪い人も体張って見て来たつもりだけど、
彼が浅草で一番の江戸っ子だったと思うわ。
夫婦にはなれなかったけどさ、せめて幕引きは一緒にさせてくれよな
この一言でどれだけ私の死への恐怖が和らいだことか。
良い話だ。これ聞けただけでも靴作った甲斐があったよ。
大赤字だけどね。
あなたには年寄の茶番に付き合わせて悪かったわ。
最後にお願いなのだけれど、そのタップシューズを鳴らして下さる?
えー、オレそんなのやった事ないんですけど?
彼の芸をしろだなんて言わないわ。
適当に踵をコンコンって鳴らすだけでいいの。
音色が聞きたいだけだから。
わかりました。
そのタップシューズの音はまさに昭和にタイムスリップさせる風だった
ああ、この音よ。
懐かしいわ~。
お迎えが近い今だからわかるの。
あの頃は私の人生で一番辛くて幸せな日々でした。
まだ遺言を残すには早いですよ?
若い頃を思い出して元気になって下さいよ。
ううん、本当にそうなの。
もう私にはこの病室から出る体力も残っていないから。
お兄さん、最後に素敵な思い出をありがとうね。
参ったなあ。
そんな事言われたら俺は一体誰に靴代を請求すれば…
そして二人の涙と夕立と稲光が混ざり合った
タップダンスとか慣れない事するからまた雨が降って来ちまったよ。
あははは
彼は赤いタップシューズを脱いでからばあさんにこんな約束をした。
じゃあさ、ばあさん。
靴の片っぽはオレが責任持ってじいさんの棺に入れてきてやる。
もう片っぽはばあさんが天国でじいさんに直接持っていってやりなよ。
喜ぶだろうからさ。
約束だよ。
わかったわ。
ありがとう。
さようなら。
そのあと彼は病室を出てから、
傘もささずに赤い靴片方を抱え、
泣き叫びながら走り出した。
そんな真夏のシューメイカーの背中を私はずっと忘れはしないだろう。
真夏のシューメイカー
おわり