飛行魔法という稀有な魔法を使う少年が思いっきり目の前の光る壁を蹴りつける。
しかし壁は硬質な音を響かせるだけで亀裂どころか撓む気配すらない。
ちくしょう!
こっから出しやがれ!!
飛行魔法という稀有な魔法を使う少年が思いっきり目の前の光る壁を蹴りつける。
しかし壁は硬質な音を響かせるだけで亀裂どころか撓む気配すらない。
魔法を使うことができれば、あるいは違った結果を残すこともできたかもしれないが、あいにく彼は現在魔法を封じられている。
それでも往生際悪く、何度も壁を蹴り続けていた少年の耳に、誰かの地面を踏みしめる音が聞こえた。
……ったく……、やっと来たか……
さっさとこの封印を解いて……っ!?
仲間が来たものと思って振り返りながらしゃべった少年は、そこにいた人物に思わず言葉を飲み込んだ。
残念だけど、あなたをそこから出すわけにはいかないの……
淡々とつぶやくその人物は、少年にとって救いの手を伸ばす仲間ではなく、逆に死を告げる死神。
てめぇ……
あいつはどうした……?
あいつ?
睨みつけながら問う少年に、一瞬首をかしげた死神――カレン・マルヴェンスは「ああ……」と小さく呟いてから、瓶をポケットから取り出した。
その中に入っているのは小さな光の塊。
見るものが見れば、すぐにそれとわかる魔力の塊だった。
魔法使いにとって、魔力の塊を抜き取られるということは死を意味する。
そしてそれを少年はすぐに理解し、再び――今度はその視線だけで相手を殺さんばかりにカレンを睨みつけた。
てめぇっ!!
低く、鋭く少年は叫ぶ。
少年と少女は、特別な仲というわけではなかった。
ただ幼いころよりともに魔道を学び納めてきた少女を、口ではなんだかんだと言いながらも一方的に好きだった。
その少女を目の前の女に殺された。
少年の中に憎しみの炎が燃え上がり、怒りにまかせて彼は目の前の光の壁を殴りつける。
てめぇっ!
なんであいつを殺した!?
あいつはこんな任務で死んでいいような奴じゃ……
てめぇが……!お前が……!!
……うわぁあぁぁああああぁっ!!
涙を流し、睨み、慟哭しながら少年は壁を殴り続ける。
そんな様子を壁の外から眺めていたカレンは、けれど何の感情も湧かない目で少年を一瞥し、魔法で筋力を強化しながらゆっくりと腕を引き絞った。
好きなだけ恨んでもらって構わないわ……
どうせ死んでしまえば意味のないものだもの……
さようなら、とは言わず、カレンは無表情に腕を突き出した。
輪郭が霞むほどの速度で放たれたその細い手は、頑丈なはずの結界を破り、少年の皮膚を貫き、絡み合う筋線維を引き裂いて骨を砕き、少年の中にある魔力の塊に触れる。
手首から先を包みこむ生暖かさと、噎せ返るような血の匂いに僅かに顔をしかめたカレンは、手に触れる魔力の塊を握り、ゆっくりと腕を引き抜いた。
赤く染まる細い指に握られた魔力の塊は、先ほどの少女のものと別の色の……しかし、同じように光り輝いていて、見るものをどこかうっとりさせる。
同時に少年が張っていた人払いの結界の効力も切れ、世界に色が戻る中、その魔力の塊を、丁寧に瓶にしまいこみ、魔法少女は物言わぬ肉槐と化した少年をちらりと一瞥すると、興味をなくしたとばかりに淡々と後片付けを始めた。
それからしばらくして、すべての片づけを終えたカレンと合流した洸汰が、そのまま自宅へ戻ろうとする少女へ疑問を投げかける。
どうしてなんだ?
……?
どうしてキミはいつも狙われてるんだ?
キミたちは同じ魔法使いの仲間なんだろ?
だったらどうして……?
………………
少しの間瞑目して沈黙を貫いたカレンは、ゆっくりと目を開くと、彼の質問に答えることなく告げた。
明日の昼……
学校の屋上で待ってるわ……
それだけを言い残し、黒猫と去っていく少女を、洸汰は今度こそ呼び止めることができずに、ただその小さな背中を見送った。
翌日の昼。
緊張した面持ちで学校の屋上に現れた洸汰の隣に少し間を空けて座ったカレンは、恐らく自作なのだろう、可愛らしい小さな弁当箱を開け、淡々と中身をついばみ始めた。
もしかしたら、何か重大な話かも、と警戒していた洸汰が思わずぽかんと間の抜けた顔を晒す。
ね……ねぇマルヴェンスさん……
カレン……
私のことはカレンでいいと言った……
あ……ああ……ごめん、カレンさん……
「さん」もいらない
…………分かった……
カレン……
それでその……訊きたいんだけど……
僕に何か話があったんじゃ……
そうよ……
でもまずは先にご飯を食べてから……
あなたもお腹すいてるでしょ?
確かに現在成長期真っ只中の洸汰の腹の虫がさっきからご飯を食べさせろと騒ぎまくっているのも事実だし、空腹に話の腰を折られたくないのだろうと当たりをつけた洸汰は、僅かに苦笑を漏らしながら、買ってきたパンにかじりついた。
その後、特に会話をすることもなく黙々と食事を終えたカレンがかたりと箸を置き、真っ直ぐに洸汰を見つめる。
外国人の美少女に見つめられ、一瞬どきりとした洸汰は、慌ててパンを牛乳で流し込むと、姿勢を正してカレンに向き直った。
そしてゆっくりと語られたのは、目の前の少女の過去だった。
私の家は魔法使いの一族だった……。
祖父も祖母も、叔父も叔母、いとこ……。
全員が魔法使いの一族……。
それも、レネゲイドなんかじゃない……、魔法管理協会に所属した立派な魔法使い……。
当然、私の両親もそうだった……。
魔法の腕を高めながら、協会から依頼される仕事を立派にこなしていたわ……。
私も将来はお父さんやお母さんみたいな立派な魔法使いになる。
それが当時の私の夢だったし、実際魔法学校で凄くがんばってた……。
とても幸せだった……。
協会からあの仕事がくるまでは……。
その日、お父さんとお母さんに依頼されたのは、レネゲイド――協会の掟から外れた行動をする魔法使いの討伐だった。
今までも何度もこなしてきた仕事だし、両親のほかにも強い魔法使いがたくさんいたから、私は安心して両親を送り出した。
……けど、その討伐対象のレネゲイドはあろうことか、魔法を使えない一般人を人質に取ったの……。
協会の魔法使いには、一般人の前で魔法を使ってはいけないという掟があったから、みんな手出しができなかった……。
けど、放っておいたらどんどん犠牲者が増えていく……。
だから私の両親は、その掟を破ることを決意した……。
一般人を助けるため……、仲間を助けるため……。
そうして私の両親の力でレネゲイドは討伐された……。
けど、協会は両親をレネゲイドとした。
皆を守った英雄の両親を……。
きっと、二人の活躍が疎ましかったんでしょうね……。
そして捕らえられた私の両親は、広場で……みんなの目の前で火あぶりにされたわ……。
魔法を封じられ、裸にされて辱められたうえに、炎の中で苦しんで死んでいったわ……。
当時の少女がどれだけの苦しみを受けたのか、そして今もどれだけの苦しみに悩まされているのか、洸汰には想像もつかない。
私はそんな両親の子供だから……
裏切り者の血を引いているからって理由で、いろんな人に狙われているの……
迷惑な話よね……
私だって今じゃ、協会に所属した立派な魔法使いだって言うのに……
ま、私は強いから全部返り討ちだけどね!
最後におどけるようにカレンが笑ったところで、ちょうど昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。
行きましょ!
そのまま屋上の扉へ向かうカレンに、しかし洸汰は着いていけず、しばしの間呆然と彼女を見送った。
だから少年は気付かなかった。
少女の瞳に、暗い情念が渦巻いていたことを。