女性

もしかして、えーくん?

 女性は、喜びに溢れた笑顔で
 親しい人が呼ぶ名前で俺を呼んだ。

瑛斗

……千広(ちひろ)さん?

千広

あー、やっぱり。
久しぶりね。元気してた?

瑛斗

はい。おかげさまで


 穂高千広――見た目こそ若いものの、
 この人は玲菜のお母さんだった。

 小さい時からよくお世話になり、
 玲菜と一緒に、いろいろな所に
 遊びに連れて行ったりもしてくれた。

千広

あ、立ち話もなんだから、
中にどうぞ


 千広にそう促された俺は
 勢いに流されるように、
 決心も出来ないままその門をくぐった。

千広

はいどうぞ。
麦茶

瑛斗

あ、ありがとうございます

 中に入ると、以前と変わらない
 ここらでは珍しい洋風な雰囲気の
 内装をした居間に通される。

 変わらない……
 そう、何も変わらない。

 玲菜はどうなんだろう。

 俺の事、忘れてしまったんだろうか。

 だとしたら、少し悲しい。

 ……なんて、言えた義理じゃない。
 俺も忘れてる。玲菜のこと。

千広

それにしても久しぶり。
えーくんが引っ越してから
だから……
何年ぶりかしら?

瑛斗

えっと、小6の時だから……
4年ぶりですね

千広

もうそんなになるのね……
えーくんも大人っぽくなっちゃって。
惚れ惚れしちゃうわ

瑛斗

あはは……ありがとうございます

瑛斗

あの、それで、
玲菜って今いますか?

 今日の本題を切り出した。
 俺は、ただ千広さんと昔話をしたかった
 わけじゃない。

千広

あぁ、玲菜ね……
あの子は今――

 ――ガチャ。

 扉が開く音がした。
 方向からして、玄関の扉。

千広

あ……

 千広は立ち上がり、玄関に向かう。

    

ただいま帰りました、お母さん

おかえり、玲菜。
今日は――

 玄関からは、
 千広さんと少女の話し声が響いた。

 千尋さんの後を追いかけるようにして、
 俺は居間から顔を出し、玄関を覗いた。

玲菜

やっぱり、
あんまり思い出せなくて……
すみません……

千広

いいのよそんな無理しないで。
どんなでも、玲菜は玲菜。
私のたった一人の娘だもの

玲菜

……はい。
ありがとうございま……

玲菜

――!?

 少女――玲菜の視線が俺を見つけた。

 その瞬間、彼女の瞳は恐怖の色を浮かべる。

 なんで……。

 音を出さずに、玲菜の口元が動いた。

瑛斗

玲菜……

玲菜

――――っ!


 俺が呼びかけると、玲菜は身体を震わせ、
 俺の横を抜けて二階へと上がった。

瑛斗

あっ……


 玲菜を追いかけようとして、
 ちらっと千広さんを見る。

千広

……

千広

えーくん、行ってきてもらえる?

 不安とも期待ともとれるような表情で、
 千広さんは俺にそう促した。

 こくり……とうなずき、
 俺は二階へと続く階段を上がった。

瑛斗

玲菜

 小さい頃、
 よく遊びに来ては開けていたこの扉。

 今でも変わらず、
 「れなの部屋」という掛け札が
 取り付けられていた。

 俺の呼びかけに、玲菜は……

玲菜

……なんで、
私の名前知ってるんですか。
そもそもどうしてこの家に!

 ……やっぱり、
 玲菜は俺のことを覚えてはいなかった。

そんなにも、
 俺との時間は薄かったのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

瑛斗

なぁ、覚えてないか?
俺だよ、佐倉瑛斗

玲菜

佐倉……瑛人……

玲菜

――えー……くん?

瑛斗

――!?
そうだ。思い出したか、玲――

玲菜

――い……た……頭が……

瑛斗

……玲菜?

……えって

瑛斗

え……?

玲菜

帰って!
私、あなたのこと知らない!
何も覚えてないの!

瑛斗

……!

 知らない……覚えてない……?
 確かに、玲菜はそう言った。

 それは俺のように
 ただ忘れていたのではなく、否定。

 玲菜のことを思い出したからこそわかる。

 これは、明らかな拒否だった。

瑛斗

なんだよ玲菜……
俺のこと、本当に……

千広

えーくん


 部屋の前で消沈している俺に、
 千広さんが声をかける。

女性

ちょっと、
またこっちで話しないかな。
……玲菜のこと

 重い足を引きずるように、
 俺は千広さんに促され
 階段を降り居間へと向かった。

その家は変わらず、記憶のままに

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