第20話 駆けるより外撃つ手なし
第20話 駆けるより外撃つ手なし
そんな……
燃える亡骸とココアの怒号に、クララは表情を凍らせた。
クララとマチルダがいる場所の、向かいの集合住宅の屋上。
ココアはそこで、助けを求めた親子が撃たれる一部始終を、見てしまったのだ。
なんでだよ、新入り!
ちょっと……ちょっと手を伸ばして引っ張り込めば、助けられただろ!
なんでそうしなかったッ!
インカム越しにまくしたてるココアの声は、怒りに震え、時折裏返ってさえいる。
ココちゃん、声おっきいよ、もう
迷惑そうなメルの言葉にも、ココアはまだ言葉を収めようとしない。
ご、ごめんなさ……
勢いに押されたクララが、つい、どう答えていいかもわからないまま、口を開く。
だが。
しょうがないよ、あの子じゃ
メルのそっけないただ一言が、クララの胸を貫いた。
ココアのどんな怒りの言葉よりも、鋭く。
途端、クララの涙腺が熱くなる。
御し切れない涙がとうとうこぼれそうになった、その時。
黙りなさいよッ、二人とも!
今度はマチルダの声が、オープンチャンネルに走り抜けた。
予測できなかった、距離もあった、タイミングも最悪だった!
ついでに今のは私がクララちゃんを引っ張った!
だから助けられなかったのは私の責任! でもね、
そんなの責めてる余裕があるんなら、次の被害が出ないように動きなさいッ!
マチルダの一喝が、わずか数秒、その場の誰もを押し黙らせた後。
了解……くそっ!
はいな、了解
ココアは吐き捨てるように、メルは諦めるように応えた。
うつむいたままのクララの右肩に、マチルダがそっとグローブの手を当てる。
クララちゃん、ごめんね。悔しいよね
私も一緒
だから、戦うわよ
マチルダの小さく震えた声を聞いても、クララはまだ、うなずきもできない。
包囲陣形を作り始めた兵士たちの靴音で、戦場がざわめく。
哨戒班! 敵モル型は、指向性エネルギー兵器に酷似した熱線を放つ特殊個体!
以降、対象を『モル=グーヌ型』と呼称!
射程は最低でも300メルテを確認!
各自、盾になる遮蔽物付近を常にキープ! 射線に入らないように……
兵士たちに指示を飛ばしながら、マチルダは複装支援銃火器(マルチーズ)の銃床部から小さな筒状のユニットを外し、クララに手渡す。
建造物潜入などを想定した、無線型のスネークカメラだ。
クララはマチルダの意図を察し、カメラをつまんだ手を陰からそっと伸ばす。
マチルダの手元で、銃のオプションモニタが点灯する。
銃砲(グーヌ)と命名されたモル型アーデルの巨大な頭部には、巨大な水晶体のような単眼が開いていた。
五感の存在しない通常のモル型アーデルに、眼球に値する器官は存在しない。
あれが熱線を放つ砲口だろうと、クララにも推測できた。
異様に膨れ上がった後頭部は、表皮から薄い湯気を吐きながら少しずつ縮んでいる。
冷却、してるのかな?
第二射はしばらく無さそうだぜ。距離詰めるんなら今だ
映像を共有していたメルとココアがそう呟いた、次の瞬間には。
……行きます!
クララは地を蹴り、陰から飛び出し、モル=グーヌに向かって真っすぐ駆け出したのだ。
ば、バカっ!
マチルダの制止は、今度は間に合わなかった。
あーもう!
メルとココア、敵右手方向へ迂回しながら前衛のクララを援護!
ちょっとの間、なんとか的を絞らせないで!
早口で言うや否やマチルダもまた、クララたちとは逆方向へ走り出した。
遮蔽物のない芝生の庭を、クララはまっすぐに駆けた。
奇怪な単眼を見開いたままのモル=グーヌを、クララもまた瞬き一つも惜しみ睨みつけたまま、走った。
だが。
……ッ!?
突然目の前に現れた臼歯と牙を、クララは間一髪背を反らして避ける。
つい一瞬前までクララの頭部があった空間で、頑丈な顎ががつんと鳴る。
身を潜めていた最後のミモル型アーデルが、接近するクララを狙い飛びかかったのだ。
くっ、まだ……ッ!
クララははっと気づく。
バイタルセンサーを見ていなかったこと。
走る脚を止めてしまったこと。
アーデル二体に、前後を挟まれたこと。
そして。
あ……っ!
自身の爪と銃が届くはるか先で、モル=グーヌが再び、かっと目を見開いたことを。
巨大な単眼に睨まれ、脚がすくんだのを自覚したクララの背後で。
鳴り響いた銃声が、クララの脚を、恐怖の束縛から解放した。
方向も見ず、ただ反射にのみ身を任せて跳躍したクララは、傍らの建物の窓に飛び込む。
ガラスを砕いて無人の部屋の床を転がり、受け身を取って素早く窓際へ切り返す。
小さいのラス1、撃破~
通信を聞き、芝に伏して体液をどくどくと流す肉塊を見て、メルの狙撃がミモル型の頭を貫いたことを、クララはようやく知る。
助けてくれた……?
んじゃ、ないんだろうな
沈みかけた気持ちが、逆にクララに冷静さを取り戻させた。
ふうと一つ息を吐き、クララは様子を伺う。
あの熱線が放たれた様子はない。
モル=グーヌは単眼を閉じ、這いずるようにしてじりじりと後退している。
巨大な頭部が重いのか、標準的なモル型と比べて動きは鈍い。
これ以上、離れられたら……!
銃を握るクララの手に焦りがにじむ。
だが、そこへ。
両Mi-MI(ミミ)ユニットの機銃から火を吹きながら、ガンキャリアーがモル=グーヌに向かって突進していく。
マチルダさん!?
激しく回る四輪で芝を踏みしめ、ガンキャリアーは土煙を巻き上げながら大きく旋回する。
旋回に合わせて砲塔の角度を変え、正確に射撃を続けるガンキャリアーの運転席には。
……了解、そういうことね!
誰も乗っていないことを確かめたココアが、グレネード弾に切り替えた銃を手に飛び出す。
マチルダは遠隔操縦が可能なガンキャリアーそのものを、囮に使ったのだ。
移動体からのけん制射撃に気取られたのか、モル=グーヌの頭部がくいとそちらに傾く。
好機。
身を低くして踏み込み、銃を手に距離を詰めたココアがモル=グーヌの背を狙う。
同時にその側頭部を、別角度からメルの狙撃スコープが狙う。
もらった!
一撃で砕いてやる。
第二射を撃たせる、その前に。
誰かが犠牲になる前に、確実にあいつらを撃つのが仕事だってことを、あの新入りに教えてやる。
ココアは銃口を上げ、狙い、トリガーを引く。
言葉ひとつ交わさずに三人で合わせ切った、完璧な連携。
そのはずだった。
モル=グーヌの巨躯が、高く真上に跳ねた。
なっ……!
予想外の機動に虚を突かれたココアが、無防備に見上げてしまった。
そして立ち止まったココアを、空から見下ろすモル=グーヌの単眼が、捉えた。
ココちゃん、危ない――っ!
水晶体の奥で収束する、眩く強い光を、ココアは見た。
っりゃあああっ!
広がった赤い炎が、空を焼いた。
すかさず腕で身をかばったココアの顔を、髪を、毛耳を、散った火の粉がちりと焼いて消える。
熱――っ!
その確かな熱さで、ココアは自分がまだ撃たれていないことを知った。
火炎を単眼の至近距離で浴び、モル=グーヌは呻きながら落下する。
今の……あいつか!
ココアを狙った熱線を阻み炎上したのは、クララが左腕で思い切り投げつけた、ミモル型アーデルの死体だったのだ。
それも、その軌道は弧ではなく、ほぼ直線。
おいおい、150メルテはあったぜ……
炎の熱気と空恐ろしさに、ココアの頬を汗が伝う。
墜落したアーデルを撃つこともせず、こちらへ突進してくるクララを棒立ちで見つめている。
狙撃スコープの照準にモル=グーヌを捉えながらも、
化け物ね、やっぱり
走るクララを横目でちらりと見て、メルは冷笑する。
肉厚のまぶたが焼きつき、単眼を閉じられずにいるモル=グーヌに向かって疾走しながら、クララは自分の左肩に手を添える。
肉を奪う盃を収めた真円形のシャッターが、かしゃりと乾いた音を立てて口を開ける。
イスカラピーナ!