4.邪念

あの怪しい女の子から逃げ出すように
ビルへ入った私は、
電気の消えたオフィスに身を潜めていた。

うぅ・・・なんであの子が居るのよ

確かに巻いたと思ったのに、
なんで・・・

それに近くへ来るまで
足音に気付かないなんて・・・

自分の無用心さに呆れると共に、
本当に気が抜けていただけなのかが気になった。

でもミスったなぁ・・・

焦っていたとはいえ、
ビルの中に逃げ込むのは得策ではなかった。

これでは袋の鼠である。

だけど今の所
足音は聞こえないんだよね

焦って階段を駆け上がったので、
今自分が何階に居るのかすら分からない。

だから上手い具合に入れ違いになれれば、
あの子と入れ違いになることができる。

と、思うんだけど・・・
はぁ・・・上手くいくかなぁ

正直に言うとあんまり自信はなかった。

けれどいつまでも
ここに隠れている気にはなれなかった。

焦っちゃダメだって
分かっているんだけど

時間が過ぎるのを
ただ待っているだけというのは、
精神的に辛いものがあった。

焦燥感が次第に募っていき、
今すぐにでもここを飛び出してしまいたくなる。

案外そっちの方が上手くいくかも・・・

私が気にしすぎているだけで、
もうあの子は私を追って来ていない、
そういう可能性もゼロじゃない。

いやいや、
流石にそれは楽観的過ぎだよね

なんてことを考えていると――

あー、やっぱり来てるっぽい

聞こえてくる足音に辟易しながら、
私はそれが過ぎ去るのを待つことにした。

デスクの下を
覗かれなければ大丈夫

息を潜め始めると、
自分の呼吸音が妙に大きく感じられた。

・・・・・・

徐々に近くなる足音に、
危機感を抱いた。

そして嫌な汗がまた全身から溢れ出した頃、

足音が・・・・・・止まった。

それも、とても近い距離で・・・。

ああ・・・そんな・・・

思わず天を仰ぎたい気持ちになったけれど、
そんなことはできなかった。

なぜなら、
私の視界には、
あの子の脚が映っていたからである。

き、気付かれた・・・?

一縷の望みに掛けながら、
私は静かに息を殺した。

女の子

ねぇ・・・

すると突然、女の子が喋り出した。

ん・・・?

女の子

わたしを・・・殺して・・・

な、何を言っているのよぉ・・・

早く歩き去ってくれることを祈っていたが、
その祈りは聞き届けられなかった。

女の子

あなたは・・・だれ・・・?

そんな問いと共に、新たな言葉が紡がれた。

そしてそれと同時に、
あの子が私の潜んでいたデスクを
覗き込んできた。

あっ・・・

思わず小さな悲鳴が漏れ、
咄嗟に逃げ出そうとするが――

ひゃっ!

肩を掴まれ、

綺麗にその場に押倒されてしまった。

女の子

・・・・・・

ああっ・・・くっ・・・

そして馬乗りになった女の子が、
顔を近づけてきた。

うわっ、うわわわ!

ち、近い! 近い近い近い!

互いの吐息を強く感じられる、
そんな至近距離にまで顔を近づけてきた。

あ、でも、この子やっぱり可愛い・・・

一瞬、邪念が脳裏を過ぎった。

女の子

あなたは、だれ・・・?

女の子の口から、
先程と同じ問いがこぼれた。

私は・・・

咄嗟に何か答えようとして、
言葉に詰まった。

答えたくとも、
私は私が何者であるかを知らなかった。

女の子

あなたは、だれ・・・?

鸚鵡返しに再度問われるが、
やはりどう答えるべきかが分からない。

それに結構な力で暴れているつもりなのだが、
馬乗りになった女の子はピクリとも動かない。

女の子

あなたは、だれ・・・?

壊れた人形みたいに、
また問われた。

だから私は、
思わず聞き返してしまった。

あなたは・・・だれ・・・?

すると、

女の子

わたしは・・・茜・・・宮本、茜

答えが返ってきた。

宮本・・・茜。

茜・・・ちゃん!

茜ちゃん!

会話が成立したのが嬉しくて、
気付けば馴れ馴れしく名前を呼んでいた。

わ、たし・・・は・・・

私の声に反応したのか、
今まで淀みなく発していた言葉が、
濁った。

茜ちゃん!
茜ちゃん!
茜ちゃんっ!

何か効果があると思って、
私は愛情を込めて名前を連呼した。

すると茜ちゃんは、
既に至近距離にあった顔を更に近付けて、

・・・・・・んっ

私にチューをしてきた。

んんんんんんん!?

突然の出来事に、頭が真っ白になった。

な、何!?

なんで私、
チューされちゃってるの!?

えええ!?

あまりの出来事に、
私は抵抗するのを忘れてしまっていた。

全身の力が抜け、
茜ちゃんの為すがままになってしまっている。

や、やば・・・なんか意識が・・・

徐々に思考が鈍り、
意識が朦朧とし始めた。

んんっ・・・

あっ・・・でも、やっぱり・・・

そして最後に残ったのは、

茜ちゃん・・・可愛い・・・

しょーもない邪念だった。

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