教室には二人の気配以外は無く、廊下からも化物の気配は感じられなかった。
 どこをどう移動したのか定かではないが、階段を上り下りした様子は無かったので、ここは2階のどこかだろう。

 しかし、僕は思わず首をかしげた。


 ここは普通教室だ。
 普通教室は3階以上に配置されており、2階には特別教室だけが存在しているはずである。
 しかし、今目の前にに広がるのは、普通教室。

 一体、どういう事なのだろう。


 ちらりと男の方を見てみたが、男は廊下の方に気を取られている様子で、あのやり取り以来まるで僕などこの場にいないように振る舞っていた。



 僕は一つ息をついてから、口を開いた。

ここは、2階?
こんな普通教室があるのは、おかしいと思うんだけど

 男はちらりとこちらを見てから、小さく首をかしげた。
 

そういや、そうだな。
さすがに人を抱えて階段移動したくはなかったら、アイツから距離を取ったところで鍵の開いている適当な部屋に入ったつもりだったんだが

 男の口調は、先ほどのやり取りなど無かったかのように親しげだ。

 一瞬で雰囲気を変える、この感じもアイツに良く似ていて心が冷える。

 早く、早くこの男と離れたい。
 でも、一人きりで校舎内をうろつく勇気も湧いては来なかった。

ここは、どこだろう
教室内に、何か……

俺のクラスだと、教卓に座席表が貼ってあるけど 

 確かに、座席票ならば「何年何組座席表」と書いてあるだろうし、書いてなくても知り合いの名前で判断できるかもしれない。

 僕はやっとの思いで立ち上がると、教卓へと近づいた。





 木目の浮き出た教卓は、やけにざらついた感触を手のひらに返してくる。

 薄暗くてよく見えないが、教卓とはこんな感じだっただろうか。

 とりあえず、教卓の上を見てみたが目当ての物は無く、僕はかがみ込んで教卓の中を覗き込んだ。

 教卓の中には一枚だけ板が渡してあり、棚のような役割をしている。

 流石に暗くて中身を確認できなかったため、僕は手探りで棚の中身を教卓の上に置いた。

あ……え?

 思わずそんな言葉がもれた。

 僕の手が引っ張りだしたのは、古い黒い表紙の冊子が一冊。そしてくしゃくしゃになったプリントだ。

 そして、何より、そのプリントからこぼれ落ち、僕の手を染め上げている物に息が止まる。

何やってんだよ。
……って……
切ったのか?

 男が大股で近寄って来て、僕の手を見るなりその手をつかみあげた。

切ってない。
けど……その、紙の中身……

紙って、これの事か

 そう言って男が紙の端をつまみ上げる。

 すると、ぼたりと音をたてて黒い尾を引いた何かが床に落ちた。



 男も一瞬息をのむ。





 男の足元に落ちたのは、長い黒髪がついたままの皮膚だった。
 未だにその内側から、赤黒い滴りを生んでいる。

くそ……
本格的に、おかしいな。
おい、お前が仕込んでんじゃないんだろうな

僕じゃない

 首を振りながら後ずさるが、独特な金物の匂いのような物が鼻に付き、一気に胸のあたりが苦しくなった。

 何がどうなっているのだろう。

 僕は首を振って不快感を追いやろうとするが、その度に視界がぐらつく。

てめえが出したんじゃなけりゃ、誰がこんなもん仕込めんるんだよ。
ずっと持ってたんじゃねえのか。
ああ?
昇降口に来た時から、なんかてめえおかしいよな。
なあ!

ぼ、僕じゃ……

ああ!?

 ぴしりと耳元で何かが割れるような音がした。

 この音がすると、決まってアレがおこるのだ。
 良くない。


 良くない。


 きっと、面倒だと怒られて、仮病だと罵られるのだ。それでいてきっと反省という理由で。



 わかっていても僕の呼吸はだんだんと早くなり、その度に息苦しさが増していった。


 膝に力が入らなくなって、縋るように近くの机に両手をつく。



 苦しい。




おい。お前

 立っていられなくなって床に座り込み、息の合間に手で男を制する。

 大丈夫、落ち着けば収まるのだ。

 こんなもの、少し息を止めていれば直るのだ。


 そう、わかっているのに苦しさに喘ぐ呼吸を止められない。





 ぐっとかがみ込もうとすると、不意に顔を何かで覆われた。


 固い布のようなそれに視界ごと遮られる。

落ち着け。
俺と同じように息をしろ

 真っ暗な中に、やけに静かな声が聞こえる。

 手のひらが何かに押し付けられ、それがゆっくりと上下するのに合わせて、僅かながら呼吸の速度を押さえる事ができた。



 ぐらつく頭を前に倒すと、何かにあたって止まるのがわかる。
 それが何かを考える余裕も無く、僕はただ、言われるがままに呼吸を整える事に専念していた。


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