まるで映画のような状況が、今まさに洸汰の目の前で繰り広げられていた。
月と星、街の明かりに照らされて夜空に浮かぶのは二人の人間。
まるで映画のような状況が、今まさに洸汰の目の前で繰り広げられていた。
月と星、街の明かりに照らされて夜空に浮かぶのは二人の人間。
片方は背中から真っ白な翼を生やし、まるで神話に出てくる天使のような姿をした少女――カレン・マルヴェンス。
もう片方は翼もなければ、空を飛ぶ道具すらもない。それなのに自在に宙を駆ける少年。
二人は重力を無視するかのように夜の街を飛び回り、時々その軌跡を交差させる。
落ちろ!
カトンボッ!!
叫びながら少年が自分の周りに火球を浮かべて打ち出せば、カレンは背中の翼を操って掻い潜り、
でやぁっ!!
魔法で強化した拳を突き出せば、少年は飛行魔法を操ってぎりぎりでかわす。
攻と防が目まぐるしく入れ替わり、少しでも自分に優位な位置を確保しようと動き回りながら、徐々にマンションから離れていく。
そして二人が十分に離れたことを確認してから、黒ネコが防御結界を解いて呆けていた洸汰の額を肉球でぺしっと叩いた。
呆けてニャいで早く追いかけるニャ!
急かされて、慌てて我に帰った洸汰が、猫を肩に乗せたまま玄関を飛び出して魔法使い二人が飛んでいった方へと目を向けると、そのまままるで映画のワンシーンのような非現実的な光景を眺めながら、人の気配が消えた街をひた走った。
魔法で飛行状態を維持しながら、少年は荒く息をつくと同時に内心で毒づく。
くそっ……
あいつが空を飛べるだなんて聞いてないぞ!
想定外の事態に少年は焦る。
これまで少年は魔法使いや魔獣を相手に、上空からの攻撃で相手を仕留めていた。
制空権という言葉がある通り、それだけ『空を飛べる』というのは相手より優位に立てるのである。
もちろん、先にカレンの使い魔が説明した通り、魔法道具などを使って空を飛ぶ相手もいた。
けれど、自分の意志で機動を自在に操れる少年は、空中の機動力という点において、それらよりも数段も上回っていた。
計算外という言葉が頭に浮かぶ。
彼の予定では、ターゲットが住んでいる場所に奇襲をかけた後、外に引き摺り出す。その上で、飛行魔法で相手の制空権を奪い、一気に仕留めるつもりだった。
しかし今回のターゲットはあろうことか、使い魔を憑依させて翼を生やし、自分と互角以上の空中戦を繰り広げている。
完全に自分の優位は失われ、このままでは地力で劣る自分が不利になる。
本当は俺だけでこいつを仕留める予定だったけど、こうなったら仕方ない……
あいつの力を借りるしかないか……
唸りを上げて空間を抉る少女の細腕を必死に避けながら素早く思考を巡らせた少年は、敵を炎で牽制しつつ、この場にはいない誰かに通信魔法を行使した。
強く翼をはためかせながら、少年に向かって何度も拳を振るううちに、カレンは空中戦の厄介さを思い知らされていた。
カレン自身が得意とする近接格闘では、しっかりと足場を踏みしめ、自分を土台とした上でしっかりと全身のエネルギーを余すことなく一点に集めることで、もっともその破壊力を発揮する。
しかし空中には固めるべき足場がなく、カレンの攻撃は、魔法で強化してさえ、普段の半分近くにまで落とされていた。
それゆえに、これまで何度か相手に攻撃を当てているものの、未だ相手は自分と対峙し続けている。
このままでは、目の前の相手を取り逃がしてしまう。
それだけは避けたかった。
あの魔法使いを取り逃がしたら、きっと彼のことを協会に知られて後々面倒なことになる……
今協会に出張られるわけにはいかない……
飛行魔法を使う貴重なその魔力……
私の目的のためにも絶対に逃がさない!
心に強く誓い、カレンは背中の翼を力強く羽ばたかせて少年の上に躍り出る。
空中で自分の攻撃が100%の威力を発揮できないのなら、そうできるフィールドに相手を引き摺り下ろせばいい!!
そう叫びながら、カレンは上を取られて驚く少年の顔面を、下へ向かって思いっきり蹴り飛ばした。
うがっ!?
その衝撃は凄まじく、一瞬だけ少年から意識を奪い、飛行魔法の制御をかき乱した。
結果、少年は衝撃による運動エネルギーと重力で地面へと弾丸のごとく落下していく。
そのまま地面に激突してしまえ、というカレンの願いは、けれど直後に意識を取り戻した少年が地面まで数十センチという距離でぎりぎり飛行魔法を制御して激突を防いだことで、あっけなく散らされる。
くそっ……
お前がここまで強いのは想定外だったぞ……
荒くなった息を整えながら、再びカレンの目の前に戻ってきた少年は、しかし直後ににやりと笑う。
やっぱり予備の作戦を用意しておいて正解だったみたいだな……
何を、とカレンが口を挟む間もなく、少年が高らかに指を鳴らした瞬間、まるで地面から湧き出るように大量の水が飛び上がり、一瞬でカレンを飲み込んで、その中にカレンを閉じ込めた。
がぼっ……!?
何が起きたのか分からず、宙に浮かぶ巨大な水の塊に閉じ込められたカレンがもがくのを目の前に、少年の顔が愉悦に歪む。
ふ……ふふ……ははははははは!
どうだ?
何が起こったのか分からないだろ?
ざまぁみろ!
嘲り笑う少年を無視して、カレンは急いで水から抜け出ようと手足を動かすが、水の塊はまるで意志があるように動き、いつまでもカレンを閉じ込め続ける。
このままお前が溺死するのを眺めてもいいが、それじゃ俺たちの気が納まらない……
やれ!!
どこの誰に向かって叫んだのかは分からないが、それを合図に水の塊に変化が訪れる。
突如、水の一部が歪んだかと思うと、それが徐々に何かの形へと変わっていく。
水中を素早く泳ぐための流線型の体に水を切るためのヒレ、そして獲物を引き裂くための鋭い牙を持つそれは、時に人さえも襲う獰猛な生物。
巨大なサメだった。
ゆらりと体を揺らめかせたサメは、まるで獲物を品定めするかのようにゆっくりとカレンの周りを泳ぐ。
おい、あれってまずいんじゃないのか!?
その様子を下から見ていた洸汰が、肩の上の黒猫に問うが、黒猫は小さく首を振った。
あの程度の相手ニャら問題ニャいニャ……
カレンはカレンでちゃんと考えてるニャ……
果たして黒猫の言うとおり、変化はすぐに起こった。
カレンが体の力を抜いた途端、彼女の体が光って鳥が分離し、消える。
そのまま目を閉じ、カレンが何事かをつぶやいた瞬間、彼女の目の前に魔法陣が展開されて、一匹の生物が姿を現した。
目の前のサメよりもなお巨体で、特徴的な白と黒のまだら模様を持った体と鋭い牙のその生物はシャチ。
海のギャングと恐れられるシャチは、しかしゆったりと泳ぐサメに興味を示さず、カレンの隣に並ぶ。
そして、カレンがそのシャチに手を置いた瞬間、再び彼女は光に包まれ、その姿を変えた。
その程度、何の障害にもならない……
つぶやいた瞬間、カレンは一気にサメへと肉薄すると、勢いそのままにサメを思いっきり殴り飛ばした。
肉を叩き、骨を砕く感触に顔をしかめながらもカレンが拳を振りぬいた方向には、飛行魔法を維持したまま驚く少年がいる。
強化された拳と時速80キロにも及ぶ速度で殴られたサメは、水中を砲弾のように吹き飛び、そのまま少年へとぶつかった。
嘘だろ~~~~~!!
数百キロの重さのサメにぶつかられ、飛行魔法を維持できなくなった少年が叫びながら落ちていくのを見届けたカレンは、一気に水中を泳いで水の塊から抜け出すと、空中で変身をといて洸汰のよく知る魔法少女の姿に戻って少年のすぐそばに舞い降りた。
まったく……
余計な手間をかけさせてくれたわね……
ま……待ってくれ!
俺はこの件から手を……
ぐぼぉっ!?
ため息混じりにぼやいたカレンは、慌てふためきながら何かを言いかけた少年に、躊躇なく拳を叩きつけた。
生々しい音が響いたのも構わずにゆっくりと拳を引いたカレンは、一瞬だけ洸汰のほうに目を向けた後、すぐに目を閉じて何事かをつぶやく。
そして、同時に展開された魔法陣から飛び出してきたのは、鳥でもシャチでもネコでもない、別の生物だった。
近くにもう一人敵がいるみたいなの……
あなたの力を貸してくれる?
カレンの言葉に頷き、狐がそっとカレンに触れる。
直後、何度目かの光にカレンと狐が包まれ、光が止んだときには狐の耳と尻尾を生やした少女の姿になっていた。
一晩にたくさんのカレンの違う姿を見て、もはや言葉もない洸汰を黒猫に託して、少女は空へ向かって鼻を鳴らす。
ふん……ふん……
…………見つけた
小さくつぶやいたカレンは、色を失った夜の街へと再び消えていった。