霊深度

??????

-8+ヵの、

馬鹿の金魚。……はぁ

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見なくてもいいお話。

CridAgeT

男は黒くつやのある小さな台座を見つめていた。

『朝露に溶ける茉莉花』か。そういえば、くすまないものだな、ずっと埃を払う程度のことしかしてこなかったにしては

数日前……もう2週間ほどになるだろうか? かつては大きな飾りのついた指輪が置かれていたそこは、今からっぽだった。
その指輪は、今、透ける小さな少女の下にある。

もっとも、几帳面な男は空の台座すら毎日磨いていた。最近、磨きながら、一言ずつ、呟きを漏らすようになっていた。考えを表に出さないこの男にしては、ひどく珍しいことだった。

カゲツに、この場所は不満か、と訊いたとき……離れたいと、神社へ帰りたいとは、答えてはくれなかったな

本当はもっと早くこうするべきだった。できれば情が移る前に―――いや、それは関係ないな。あいつが、私に義理を感じる前に

私も一歩引くべきだった

最初は居場所を与えるだけのつもりだったし、手元に置いて観察し研究対象にするという下心があった。そうだったはずだ

それだけだった。本当に、それしか意味はなかったはずなのに、な

重りの外れた船というのは、こういうものなのだろうか。

この男は、頭が悪いわけではない。

その癖に、感情を知らない。
自分の抱いた感情を、純粋な物差しで割り切ることを知らない。幼稚な感情しか頭脳に持たない、まるで赤子のような一面がある。

どうやら本棚に入っている心理学の本は飾りらしい。

最初から、あの少女のことが大切だった、くせに

それとも、そんな機微……細やかな関係、ささやかな絆、そういったものを感じられなくなっているのだろうか。醜いものばかり見ていると、美しいものまで信じられなくなるのだろうか。

いずれにせよ、その心の眼、そんなに曇っていては手元がくるって自分を傷つける。

その証拠に、この男は、自分の抱いた感情を、押し潰そうとしている。

どんな感情か、それは知らない。ただ、男と女がいれば勝手に生じるような、安っぽいものとは少し違う気がした。


……とはいえ、この男にとってはそれも後ろめたいものなのかもしれない。

そうでなければ、あのようなことは言わないだろう。

情を抱くまであの少女を近くに置いてしまったこと―――それを、後悔しないですむことがあるものか。




確かにあの男がどんな感情を抱こうと少女自身には関係ない。帰りたければそれでハッピーエンドだ。
だが、刺身にされるような痛みを感じているのに、それを『どうでも良い』なんて! 心臓に麻酔をかけられるとでも思っているのだろうか。

たとえそれが許されざる感情だとしたって、思い込むだけでなかったことにできるわけがない。そんなことも自覚していないなど、

この男……
『馬鹿』だ!

馬鹿に来客があった。

こんにちはぁ……

気まずそうに入ってくる姿には見覚えがある。

ノシメか。……

……入るよ?

ああ

最近この男は客人に対し無口だ。それどころではないのだろう。
だが、不思議なことに、それでも多少口を開かせるのがこの女なのだ。

あのね、アイス買ってきた

なに? こんな日に?

こんな日だからだよ? 外出た? あっついんだから

……冷凍庫に入れておいてくれ

こっちは今食べる用。残りは入れとくね

残り?

苺味。アイスは冷やしとけば賞味期限なし、知ってるでしょ?

……斜めにするなよ

気をつけるよ。

って、あのさ、冷凍庫になんでもかんでも整理しないで入れとかないでよ

管理はできている。……冷凍庫は埋まっている方が電気効率が良い

だからって……ん?

女は唐突に振り返る。

ん? なんか

女はくるくるとあたりを見回して―――




       私、の方を見た。





水槽越しに目が合う。

これは……危険? 前はここまでのものは感じなかったけど



女は、首をかしげた。そのまま、自然な動作で、白魚の腹よりもさらに光る針を髪から引き抜いた。


細められた目。今にもガラスごと刺し貫きそうで、正直私は、ぞっとした。



―――と。


男が、ゆっくりと針を握り、奪った。

面白い奴だろう? こいつほど私の霊気を浴びせられて平気でいる奴は他にいないだろうな。
警戒せずとも、少々長生きなだけのただの魚だ。まあ、そろそろ鮒になら化けるかもしれないがな

縁日で晒されているような中には、小魚のふりして最後には大きな鮒に育つものもいるという。
おそらく、そのつもりで言ったのだろう。あまり面白くない。






……まあ、ただのペットの飼い主としては、この男は合格だ。餌も温度管理も清潔さも酸素も、全く問題ない。現状に不満はない。

だから、最近ようやく感情を外に出すことができるようになってきたこの不器用な男が煩わないで済むように、この姿を保ってやっているのだ。
そうでなければ、とっくの昔に喋ってこんなガラス抜け出している。

だというのに、ひとの、いや、金魚の気も知らずにこの馬鹿は! 

仮にも霊気だらけの、まともでいられるのが不思議なくらいの空間なのだ。そんな空間で平然と生きて、ペットが妖になろうと気にしないとは何事だ。化け物を平然と飼いならしておいて、なにが鮒だ。さらっとこんなところで金魚1匹庇ってる場合か。

もうお前はさっさと素直になれ!

神社のみんなに会えないのは寂しいけど、先生がいるから大丈夫なのですよー

こっちは少女の本音を散々聞かされて、お前たちの食い違いにイライラしているんだ!

今回の霊深度? 知らん!
見なくてもいいってちゃんと言ったからな?

霊深度?-8+ヵの 「馬鹿の金魚」

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