翌朝。
起きてみると、清々しい快晴だった。
翌朝。
起きてみると、清々しい快晴だった。
おはようございます
エリザはもう起きて、外出着に着替えていた。
おはよーエリザ。
今日は勇者達が出発するかもしれません。彼らの動向を監視しに行きましょう
そうだね。
……でも、多分今日は出発しないよ。あいつ悩んでるから
あたしは昨夜、ヴァルターと話した事を伝えた。
そんな事があったのなら、確かに今日はないかもしれませんね。
でも油断は禁物です。勇者達は王都に定期的に進捗を報告している関係上、最低でも明日くらいには北上を開始しないとまずいはずです
ということで、今日は一日中、街でヴァルター達の動向を監視する事になった。
貧乏巡礼者向けの旅籠に泊まっているあたし達と違い、ヴァルター達は街の中心部、教会にほど近い人気ホテルに泊まっている。
彼らの泊まっているホテルの一階にはカフェテラスがあり、小さな芝居小屋の舞台くらいの広さのウッドデッキに、上品な真っ白いテーブルと椅子がいくつも並べられ、宿泊客らしき貴族や商人や聖職者なんかが、穏やかな陽気の下で優雅にコーヒーなんぞを飲んでいた。
そんなハイソな人々の中に混じって、魔王討伐隊の面々が朝食をとっていた。
勇者、今日か、でなければ明日には、必ず出発しなければなりません
グレーテルは諭すようにヴァルターに言うと、ボイルした白ソーセージを黒パンにはさんで一口齧った。
……明日にする
うわの空といった体で、目玉焼きの黄身をつぶしながらヴァルターが返事をする。
勇者が何を悩まれているか、わたくしにも分かっております。
わたくし自身思うところがあって、いろいろと悩んでおります。
ですが! 我々には魔王を倒すという使命があります。これ以上進行が遅れると、王都からお叱りを受けますよ
わかってる。
……明日にはボロムへ向け出発する
ヴァルターは呟くように言うと、目玉焼きを口に運んだ。
その時、かすかに、巨人のうめき声のような不気味な地響きが聞こえてきた。
最初は気のせいとも思えるほど小さかった地響きは少しずつ大きくなり、やがて耳を覆うほどの大音声となった。
な、何? この音
あ!
あれです!
エリザが南の空を指さす。
そちらの方角に目をやると、漆黒の龍が一匹、こちらへ飛んできていた。
まだ割と距離があるので大きさは正確にはわからないが、癒しの泉で退治した皇龍や、砂漠で戦ったバシリスクなどとは比べ物にならないほど大きいことだけは確かだった。
龍が空を飛ぶ時、このような地響きが発生する。翼の代わりに魔力によって空気を下に打ち付けることで飛翔しているためだとか所説あるが、とにかく地獄の底から響いてくるような重低音を伴う。今こちらに向かってきている龍は規格外に大きいので音も半端ではない。
さらに、奴はその周辺に雷雲を伴っている。
龍に付き従うその暗雲から時折ほとばしる雷鳴も入り交じり、周囲の騒音は我慢できないほどだった。
ねえエリザ。
あんな大きな龍、人里で観測された記録はないよね
ええ。
恐らく魔物の生息地域においても、首領クラスの強力な魔物だと思います
その龍は街の上空までやって来ると、教会前の広場に降り立った。
一個中隊くらい余裕をもって整列できる広さの広場は、龍の巨体をギリギリ納めるのがやっとだった。
あたしたちはすぐに広場へと向かった。
少し遅れて、勇者たちもやって来る。
勇者はいるか!
そこらの建物の壁をもびりびりと震わせる大声で、その龍は呼ばわった。
その声には聞き覚えがあった。
その声はアルベルト!?
あたしの声にぴくりと目をこちらへやった巨龍は、あたしのそばで臨戦態勢を取る勇者を見とめ、口元に笑みを浮かべた。
さよう。余は貴様らがアルベルトと呼ぶ存在であり、偉大なるかつての魔王腹心ドラゴンプリーストの嫡男にして、第一五七代魔王、ハイエロファントドラゴンである
その名乗りに、あたしは耳を疑った。
今こいつは、自分を魔王だ、と名乗った。
第一五七代魔王、ハイエロファントドラゴンであると。
アルベルトを魔王腹心の一人だと思っていたあたしの読みは外れたわけだ。
ちょ、ちょっと待ってよ!
なんで魔王が自らこんなところに出向いてくるのさ!
今の魔王討伐隊では魔王に勝てない。
仮にあたしとエリザが加勢しても勝負にもならないだろう。
だから歴代の勇者だって、魔王が魔都オズィアでじっとしている間に、魔物の生息域を旅しながら魔物を倒して実力をつけるというやり方で今までやってきたし、ヴァルター達もそのつもりだったはずだ。
そしてあたしたちは、その間に、うまくヴァルター達を説得して戦いを辞めさせるつもりだったんだけど。残念なことに、ヴァルターにとってもあたし達にとっても準備不足の今、魔王の方からこちらへ来てしまうとは。
一体なんだって、こんな有史以来先例のないことが起こったのか。
我が第二の故郷に行ってきたのだ。
余が幼少期を過ごした山と、その麓にある村へな
アルベルトの声は、なぜか少し震えていた。
村では、よそから赴任してきた天上教徒の村長が、ミタン人らを虐げていた。それだけなら余の想定の範囲内だったのだが……
村のミタン人に話を聞いてみたら、この村はつい最近まで、我が父の残した経典を信じる信徒たちで溢れていたというではないか!
それを天上教の司祭と、お前ら勇者一行が虐殺したというではないか!!
彼の怒りの理由が理解できた。
彼の父は、ミタン人に魔物と同じメレキウス信仰を流布し、魔物の味方にする目的で経典を残した。その目論見どおり、経典を信じてくれる人間があらわれはじめていたのに、その人々が無残にも殺されたのだ。
同じ人間なのにミタン人を殺す野蛮人が「勇者」などと笑わせる。ミタン人が味わった苦しみ、しかと味わいながら死ぬがよい
グラマーニャ人掃討作戦も前倒しだ。勇者どもを誅殺したらすぐオズィアに戻り、余の配下の魔物たちで軍勢を編成してグラマーニャに進行する。
ミヘル地方以北のすべてのグラマーニャ人と、天上教徒を殺しつくしてくれるわ!
さあて、どうしよう。
上手くこの場を収めることができないと、ヴァルター達は殺されてしまうし、あたし達も殺されてしまう。なにしろ、あの村での虐殺が行われた時点では、あたし達も魔王討伐隊のメンバーだったのだから。
アルベルトの長広舌を聞きながら、あたしは何とかアルベルトの矛先を納めさせる算段を練っていた。
と、とりあえずさ、人間の姿にならない?
そんな姿で暴れたら、関係のない人までたくさん巻き添えにしちゃうよ?
ここ北方だからミタン人多いの知ってるっしょ?
アルベルトに話しかけてみる。魔物は人間の姿になっている間、極端に能力が落ちる。
先日アルベルトが人間の姿でフォルケールと戦った時のことを思い返してみると、その能力が落ちた状態ですらあたし達の力をはるかに超えているわけだが、少しでも何とかできる確率は上がる。
ふん。確かに。
雑魚を屠るのにはこの不自由な身体に縛られているくらいの方がちょうどいい
こちらの思惑どおり、彼は人間の姿に変わった。
先ほどの小山のような巨龍が、嘘のように細身の若者に変身したわけだが油断はできない。彼は見た目にそぐわない圧倒的な強さを持っている。
彼が人間になったのを好機とみて、遠巻きに見ていた巡礼騎士団達が一斉に彼めがけて襲い掛かる。
アルベルトは騎士団達を一瞥すると、表情も変えずに剣を抜きはらい、大地を蹴って彼らとの間合いを一気に詰め、そして――
たまたま一番先頭を走っていた騎士団員の首を、躊躇なく刎ね飛ばした。
!!
……そんな!!
不思議な話だが、彼がこの容赦ない殺人を行う直前まで、あたしは彼にどことなく「優しさ」のようなものの片鱗を感じていた。
ザンクトフロスで彼に初めて会った時、彼はマルクを殺そうとしたフォルケールの剣を弾き飛ばした。天上教徒であるマルクを彼が本気で救うつもりがあったかどうかはわからないが、結果的に彼はマルクの命を救った。
ヘカテーが見せてくれた樫の樹亭の映像の中でだって、彼は「殺された妖精達のことを思うと胸糞が悪い」と、ヴァルターの虐殺行為に嫌悪感を露わにしていたし、今彼が激怒しているのも、殺されたミタン人達のことを思っての「義憤」だ。
あたしが今まで彼を見てきた印象を総合すると、命ある存在を殺すという行為を、忌み嫌っているように思える。およそ魔王らしからぬ話だが、あたしはそんな印象を受けていた。
だがその印象も、たった今砕け散った。
あっさりと騎士団員一人が殺され、他の騎士団員は鼻白んで少し後退するが、アルベルトは構わず彼らに向かっていき、一人、また一人と屠っていく。
ま、待ってよアルベルト!
あんたの狙いはあたし達、魔王討伐隊でしょうが!
正確にはあたし達は今はもう魔王討伐隊ではないんだけど、そんな細かいことを言っている暇はない。とにかく、騎士団員にこれ以上犠牲がでるのを止めなければ。
アルベルトは騎士団への攻撃をやめ、首だけをこちらに向けた。抜き身の剣から血が滴り落ちる。
アニカ気を付けて。
彼、前にフォルケールと戦った時よりも格段に速いです
確かに、以前見た、アルベルトとフォルケールの一騎打ちのときも、彼のスピードは人間離れしていたが、今の彼はそんな比ではない。何が起こっているのかまったく見えないほどだ。
……つまりあの時よりもさらに強くなってるって事?
それって……
考えたくない。考えたくない事だけど、あれからたった数日で、ただでさえ強かったアルベルトが、さらに尋常でない強さを手に入れたという事は……
彼はトイフェルに取り憑かれた可能性があります。
世界で最も強い魔物である魔王が、さらにトイフェルの力で強くなった。
それは、あたし達にとって最悪の『敵』が誕生した、という事を意味した。
(続く)